◆やや右下の空き地(旧桃ケ丘小学校)も犬小屋跡地
撮影場所は犬小屋の真ん中に立つ中野サンプラザ
犬屋敷は、5代将軍徳川綱吉が設けた幕府の野犬保護施設で、犬を囲って飼育したことから「お囲い御用屋敷」ともいいました。中野4丁目あたりの旧町名「囲町」はこれに由来します。
綱吉は「生類憐みの令」によって動物の殺生を禁じました。
特に犬を保護して、江戸城郊外の中野に最も大規模な犬屋敷を造り、支配役以下多数の役人や医者を置いて、野犬の飼育をしていたようです。
犬屋敷は元禄8年(1695)末に収容を開始し、綱吉の死去により宝永6年(1709)に廃止されるまで、15年間存続します。敷地は現在の区役所を中心にJR中央線をはさんで約30万坪(約100ヘクタール)に及び、5つの大囲には、各数百棟の犬小屋・餌場・日除場・子犬養育場があって、最盛時には8万数千頭、飼料費は年額9万8千両にも達しました。その後、幕府は方針を変えて、めす犬の収容を主体とし、他は近在の農家に養育料をつけて預けることにしました。犬屋敷の莫大な費用は、江戸の商家や天領の農民たちの負担で賄われました。
話がそれますが、この犬屋敷。その跡地はつい最近まで公有地として大いに利用されていました。例えば、昭和初期の公的スパイ養成学校としてたびたび小説などに登場する陸軍中野学校、電電公社(NTTのこと)、区役所、図書館、体育館、公立中学校、駅、警察大学校、公園などなど
つい最近になって、早稲田大学、明治大学、帝京大学などが建設され町並み随分変わってきました
写真にある「囲」はこのような「犬屋敷」の名残です。
桃園は、「犬屋敷」跡地に多くの桃が江戸時代に植えられていた名残と言われ、江戸時代の名所となってからの地名です(山梨の桃にはかなわないですが)。
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