こんな大変な時期にイベントに参加している場合なのか?
と自問自答しながら、
でも、参加しないからどうなるものではないし、
と思って参加してきました。
五條市の統神社から賀名生にある「賀名生の里歴史民族資料館」まで、
幻の五新線を歩くイベントです。
五新線は明治時代から、五條市と新宮市を鉄道で繋ごうということで
何度も計画、中止を経て、
なんとか五條と坂本の間の工事が完了したのですが、
鉄道は敷設されず、結局バス専用道路として開通しました。
自分が通っていた高校の近くにあるのに、バス専用道路なので、そこを歩くことは初めてでした。
賀名生まで約10km。相方も誘ったのですが、却下されました(涙)。
独りでやじの部屋で待っているそうです。
JR五條駅のそばの統神社を9時半に出発。
15分ほど歩いて、国道168号線を県立五條病院近くまで歩き、
そこを少し進んだところに五新線に入る道が分かれます。
長閑な農村の間を歩いてゆきます。
ここは元吉野郡西吉野村、今は合併によって五條市西吉野町となっています。
道の両際に迫る山の斜面には柿畑や梅林が広がります。
ほぼ平行して国道168号線が通っているのですが、
こちらはほぼ直線、国道はうねうねと曲がりながら走るので、
何度か交差します。
ただ、こちらは車一台が通るのがやっとの細い道路です。
吉野川の支流丹生川(にゅうがわ)とも何度も交差します。
美しい川です。
途中二度トンネルを通るのですが、こちらは長いほうの生子(おぶす)トンネル。
800mを超えるトンネルで、出口が見えているので侮っていると、
途中は真っ暗で足元は見えないし、天井から水滴が落ちてくるわ、地面に水が溜まっているくぼみがあるわで、大変。
山肌に広がる梅林。
道路の上をまたぐ賀名生大橋。
二時間半かけて賀名生の里に到着です。
ここまで14000歩。
向こうに見えているのは「賀名生の里歴史民族資料館」。
えっ、皇居?
ここは後醍醐天皇が吉野に南朝を開く少し前にしばらく滞在したところです。
その後吉野で南朝を開くのですが、その後高師直が吉野を攻め、
後村上天皇以後長慶、後亀山天皇の皇居としてこの屋敷が使われ、南朝の歴史を刻んできたとの事です。
この建物は普段は住居として使われています。(堀家住宅)
この扁額は天誅組総裁の吉村寅太郎の筆によるものです。
すぐ近くにある奈良県最大級の梅林「賀名生梅林」に行きました。
梅の木が20万本ほど植えられているそうです。
ただ、凄い坂道を登らないといけないので、下のほうだけ見てきました。
香を紹介できないのが残念です。
このあと資料館にもどり、そこで弁当を食べました。
いつもとかわりばえしませんね~。
二時間少しここで過ごした後、再び出発点にもどりました。
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