キャッスルマン病とわたし。

稀少難病『特発性多中心性キャッスルマン病』になってしまったわたしの日々。
夫・Uさん&チワワに支えられて。

キャッスルマン病のこと。 【カミングアウト】

2007-10-08 | キャッスルマン病のこと。
【 カミングアウト 】


旦那さまと暮らし始めたのが2004年10月。

めまいで倒れ、「病院わらしべ長者」となったのが2005年3月。

旦那さまと入籍したのが2005年8月。

生検による病理診断などからキャッスルマン病だと確定したのが2005年11月下旬。



わたしは、自分の家族や会社関係の人たちには病状を常に報告していましたが、

旦那さまとの結婚を決めた時、まさか自分が原因不明の稀少難病だなんて、

夢にも思ってはいませんでした。


そして、自分の家族に病気のことを伝えるのに抵抗はありませんでしたが、

さすがに旦那さまのご両親にカミングアウトするのには勇気が要りました。


それには第一に、わたしが旦那さまとの結婚に負い目を感じている事がありました。

理由① わたしがだんな様より年上である事。

理由② だんな様は初婚だけど、わたしは再婚である事。

理由③ わたしには、だんな様と11歳しか違わない子供がいる事。

理由④ だんな様は、「長男」かつ「末っ子」=「息子が一人しかいない」事。


わたしたちは夫婦は、世間一般で言うところの「年の差婚」です。

①~④を見る限り、まず普通の親御さんだったら、拒絶反応を示すのが当たり前でしょう。


もっと年相応の、若くてピチピチで初々しい、オシャレでスタイルが良く、

センス抜群で、容姿端麗、親戚に自慢できるようなお嫁さんがいいと思うのが普通です。


でも、彼の家族・・・ご両親と、わたしよりだいぶ若いお姉さまが二人(笑)は

わたしの事を快く迎え入れてくれました。


ご両親に結婚の話をするとき、親子の縁を切られたらどうしようとか、

会ってもらえなかったらどうしようとか、

うちの息子を騙すなって追い返されたらどうしようとか、

本当にいろんなことを考えて、不安な日々を過ごしたものです。



そんな、ある種、ハードルの多い結婚だったのにもかかわらず、

ご両親に許していただいた矢先に、今度は

「キャッスルマン病という難病になってしまいました。」

という、哀しい報告をしなければなりませんでした。


診断がついたのは、籍を入れてわずか3ヵ月後の事です。

主人にも、子供にも、わたしの両親にも申し訳ない思いでいっぱいでしたが、

彼の両親に対しては、これ以上ないくらいに申し訳なく、

やりきれない気持ちが溢れかえってしょうがありませんでした。


わたし、彼の両親に結婚の話をするときに、

「わたしは彼より年上で、離婚歴もあるし、大きな子供もいますけど、

 絶対に息子さんを幸せにしますから

って言ったんです・・・・・。


こんなわけのわからない病気になってしまって、彼を「幸せ」に出来るのか?

医療費が高くてお金もかかるし、またいつ倒れるかわからないし、

薬の副作用がどう出るかわからないから妊娠は避けて下さいと言われ、

わたしはこの先も彼と生きていく資格はあるのだろうか?

と自問自答を繰り返しました。

彼がわたしと暮らしていく事は、果たして本当に幸せなのだろうか?と。



彼は、「僕はmocoと一緒にいたいんだ」って答えてくれました。




でも、さすがに彼の両親にはなかなか言い出せません。



わたしは嘘をつくのが上手ではないし、隠し事は嫌いだし、

何より話し好きなので、黙っているのが非常に苦痛でしたが、

そのうちに、

「mocoが話すと、話しが必要以上に大げさになりそうだから

 僕が一人で話してくるよ。」

と、元来、話しべたな彼は、ネットでプリントアウトした資料を片手に

実家に向かいました。

でも、ご両親が不在だった為、その日は資料だけ置いて帰ってきたとの事。

結局、その後、別件で実家に帰ったときに話したようですが、

やはり彼も言い出しにくかったのでしょう。


わたしは自分の口で話す義務があると思うのですが、

だんな様の意向を汲んでいます。


ただでさえ、彼にはいろいろと良くして貰っているのに

これ以上、気苦労をかけたくもありません。


でもやっぱり、自分の口で説明できていない事は、

わたしにとって、心残りではあります。

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