多分、大多数の人が「寿命を延ばすことより、健康寿命を延ばす」ことの方を重視していると思う
「ただ生きているだけでは、うれしくない」ということをよく聞く
「健康寿命」というのは、一口で言ってしまえば
「寝たきりにならないで、自分で自分のことができる状態」ということだろうか
別のサイトでは、もっとわかりやすく書いてあるものあった
が、それでは不十分ではないかと、常々思っていた
4年前、母は老人施設に入所した。85歳だった
父はもう30年以上前に亡くなり、母はずっと一人暮らしをしていたが
十分自立して暮らしていた
老人施設の入所を決めたのは、一人暮らしが不安になってきたからだが
実は、その数年前から、「大丈夫かな?」と思うことが起きていた
本人は、「大丈夫、大丈夫」言っていたが
実は大丈夫ではなかったのだ
母は施設に入所するまで、自分のことは自分でできていた
食事を作ることもとることも、排泄も着替えも・・今でも(施設に入っても)それはできている
が、おかしいと思ったのは、非日常なこと起きた時に
その判断や処理がうまくできなくなってきたからだ
例えば、市役所から何か手続きを求めるような文書が来た時
書かれていることが理解できない
どうしたらいいのか対処できない
健康診断に行った時、指示されることが分からない
だから、次にどこへ行ったらいいのか分からない
と言ったようなこと
自分で食事の用意をしたり後片付けをしたりはできる
洗濯したり、掃除したりはできる
ゴミ出しもできる。定期的に通っている医者にも行ける
けど、普通やってないことに遭遇すると
判断できない・対処できない
そんな突発的なこと・非常時なことが起きても
自分で判断して対処できてこそ『自立』していると言えるのではないだろうか
完全に自立して暮らせる状態=『完全自立』(私が勝手に作った言葉だけど)は
世のいう「健康寿命」よりもっと短いのではなかろうか
と思ったのは、母の様子を見てきたからだ
どんなに頑張っても、いつかは人の手を借りなければ暮らせなく時が必ず来る
その時誰の手を借りるかは、人それぞれ
子供に頼るもよし、行政の助けを頼むのもよし、まったくの他人の手を借りるのもいい
その判断は自らするのが一番いいと思う
自分で納得して決めたのなら、不安や不満はおこらないと思う
母は施設に入ることは自分で納得して決めたのだが
家を片付けて出ることは、その時点ではもうできなかった
私たち兄弟が手分けして片付け、母の住んでいた家を空にした
母は今でも、家に自分の持ち物が残っていると思っている
自分で最後まで始末できなかった(体力的にも気力的にも)分、心残りなんだと思う
認知症が進み、理解度が落ちているので、いくら説明してもわからない
自分の手で、自分の持ち物の処分や契約解除をしておけば
スッキリした気分で施設での生活が出来ていただろうと、残念に思う
85歳。一人でも十分暮らせていると思っていた時は、もう遅かったのだ
では、『完全自立』ができる時って何時ごろまでなんだろう・・
周りの高齢者をつらつら観察するに
私は、後期高齢者になる頃ではないかと思っている
「ただ生きているだけでは、うれしくない」ということをよく聞く
「健康寿命」というのは、一口で言ってしまえば
「寝たきりにならないで、自分で自分のことができる状態」ということだろうか
別のサイトでは、もっとわかりやすく書いてあるものあった
が、それでは不十分ではないかと、常々思っていた
4年前、母は老人施設に入所した。85歳だった
父はもう30年以上前に亡くなり、母はずっと一人暮らしをしていたが
十分自立して暮らしていた
老人施設の入所を決めたのは、一人暮らしが不安になってきたからだが
実は、その数年前から、「大丈夫かな?」と思うことが起きていた
本人は、「大丈夫、大丈夫」言っていたが
実は大丈夫ではなかったのだ
母は施設に入所するまで、自分のことは自分でできていた
食事を作ることもとることも、排泄も着替えも・・今でも(施設に入っても)それはできている
が、おかしいと思ったのは、非日常なこと起きた時に
その判断や処理がうまくできなくなってきたからだ
例えば、市役所から何か手続きを求めるような文書が来た時
書かれていることが理解できない
どうしたらいいのか対処できない
健康診断に行った時、指示されることが分からない
だから、次にどこへ行ったらいいのか分からない
と言ったようなこと
自分で食事の用意をしたり後片付けをしたりはできる
洗濯したり、掃除したりはできる
ゴミ出しもできる。定期的に通っている医者にも行ける
けど、普通やってないことに遭遇すると
判断できない・対処できない
そんな突発的なこと・非常時なことが起きても
自分で判断して対処できてこそ『自立』していると言えるのではないだろうか
完全に自立して暮らせる状態=『完全自立』(私が勝手に作った言葉だけど)は
世のいう「健康寿命」よりもっと短いのではなかろうか
と思ったのは、母の様子を見てきたからだ
どんなに頑張っても、いつかは人の手を借りなければ暮らせなく時が必ず来る
その時誰の手を借りるかは、人それぞれ
子供に頼るもよし、行政の助けを頼むのもよし、まったくの他人の手を借りるのもいい
その判断は自らするのが一番いいと思う
自分で納得して決めたのなら、不安や不満はおこらないと思う
母は施設に入ることは自分で納得して決めたのだが
家を片付けて出ることは、その時点ではもうできなかった
私たち兄弟が手分けして片付け、母の住んでいた家を空にした
母は今でも、家に自分の持ち物が残っていると思っている
自分で最後まで始末できなかった(体力的にも気力的にも)分、心残りなんだと思う
認知症が進み、理解度が落ちているので、いくら説明してもわからない
自分の手で、自分の持ち物の処分や契約解除をしておけば
スッキリした気分で施設での生活が出来ていただろうと、残念に思う
85歳。一人でも十分暮らせていると思っていた時は、もう遅かったのだ
では、『完全自立』ができる時って何時ごろまでなんだろう・・
周りの高齢者をつらつら観察するに
私は、後期高齢者になる頃ではないかと思っている