アイヌコタンの「イコロ」でアイヌの古式舞踊を見た時
演目の最後に、踊り手の人が「北海道に来た記念に一緒に踊りましょう」と声をかけてくれた
これまでも、旅をした時に、「一緒に踊りましょう」と誘われたことは何度かあった
玉造温泉で、安来節を見学した時
徳島・白地温泉でで阿波踊りを見せてもらった時
高知では、商店街によさこい踊りを見に行った時
それぞれのところで、踊りの輪に誘われたけど
輪に入って踊ったのは、高知の時だけ
それも、友達が誘ってくれたから
いつの時も、どうしようかな~と、迷っているうちに踊りが始まってしまう
優柔不断な自分が嫌になるわ~
今回も五分五分の気持ちでいたが、エイ・ヤアーとばかり、1歩踏み出してしまった
自分の中で何がおきたのだろうと、つらつら考えてみるに
私一人が踊っても、踊らなくても、世の中、別に何も変わらないし
後になって、〈踊っとけばよかった〉と思うくらいなら、踊ろうと思ったから
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン♪」というあの感じ
踏み出す前の1歩はとても大きく感じるけど
踏み出してみると、〈なあ~んだ、こんなもんか、大したことないじゃない〉
乗り越える壁を高くしているのも、飛び越える溝を広くしているのも自分自身
思い切って1歩前へ足を出した方が得だわ
〈持ち時間はどんどん少なくなっているんだから〉
でも、よくよく考えてみると
今回の場合、勇気を出したというよりも
単に年を取って、厚かましくなっただけかもしれないなあ~
演目の最後に、踊り手の人が「北海道に来た記念に一緒に踊りましょう」と声をかけてくれた
これまでも、旅をした時に、「一緒に踊りましょう」と誘われたことは何度かあった
玉造温泉で、安来節を見学した時
徳島・白地温泉でで阿波踊りを見せてもらった時
高知では、商店街によさこい踊りを見に行った時
それぞれのところで、踊りの輪に誘われたけど
輪に入って踊ったのは、高知の時だけ
それも、友達が誘ってくれたから
いつの時も、どうしようかな~と、迷っているうちに踊りが始まってしまう
優柔不断な自分が嫌になるわ~
今回も五分五分の気持ちでいたが、エイ・ヤアーとばかり、1歩踏み出してしまった
自分の中で何がおきたのだろうと、つらつら考えてみるに
私一人が踊っても、踊らなくても、世の中、別に何も変わらないし
後になって、〈踊っとけばよかった〉と思うくらいなら、踊ろうと思ったから
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン♪」というあの感じ
踏み出す前の1歩はとても大きく感じるけど
踏み出してみると、〈なあ~んだ、こんなもんか、大したことないじゃない〉
乗り越える壁を高くしているのも、飛び越える溝を広くしているのも自分自身
思い切って1歩前へ足を出した方が得だわ
〈持ち時間はどんどん少なくなっているんだから〉
でも、よくよく考えてみると
今回の場合、勇気を出したというよりも
単に年を取って、厚かましくなっただけかもしれないなあ~
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