萌ちゃんのひとりごと

里山暮らしの萌ちゃんが日々の暮らしの中で思うことを綴っています

初夏の様相

2018-04-21 20:34:04 | 日記
暑い1日が終わった。まだ4月、今からこれじゃ先が思いやられる
が、先のことをあれこれ心配しても仕方ないので、思わないことにする

今日は一段と新緑がきれいだった
ツツジは終わり、緑の中にフジの薄紫が目立つようになった





先週は甘酒作りに明け暮れた
例年、JA加工場の作業は4月のひしお・甘酒作りでひとまず終わりとなる
今年はひしおを止めて甘酒に変えたので、甘酒がいつもの2倍出来た
作業に参加した人は、いつもの2倍以上の甘酒を受け取ることになり
「うれしいなあ~」と言いつつ、その保存に苦慮している

気温が高いこの時期、室温で放置しておくと、甘酒はカビてくる
なるべく早く、冷蔵庫か冷凍庫に入れてしまわないとマズイ
私もジップロック7袋分を冷凍庫に無理やり押し込んだ

今日の新聞に
「(甘酒は)おいしいだけでなく‟飲む点滴”と言われるほど栄養満点・・」
という記事が載っていた
最近、甘酒ブームで、こんな記事をよく目にする
私たちはブームになるかなり前から甘酒を作っている
栄養満点に加えて、最高の美容液とも言われている
みんな、アラ古希とは思えないほど《元気溌剌》なのは、甘酒のおかげ?
夏に向かって、体力減退が懸念される
甘酒の魔力で、来るべき暑さを乗り切ろうと思っている





完全自立寿命

2018-04-19 14:46:48 | 日記
多分、大多数の人が「寿命を延ばすことより、健康寿命を延ばす」ことの方を重視していると思う
「ただ生きているだけでは、うれしくない」ということをよく聞く

「健康寿命」というのは、一口で言ってしまえば
「寝たきりにならないで、自分で自分のことができる状態」ということだろうか
別のサイトでは、もっとわかりやすく書いてあるものあった
が、それでは不十分ではないかと、常々思っていた

4年前、母は老人施設に入所した。85歳だった
父はもう30年以上前に亡くなり、母はずっと一人暮らしをしていたが
十分自立して暮らしていた
老人施設の入所を決めたのは、一人暮らしが不安になってきたからだが
実は、その数年前から、「大丈夫かな?」と思うことが起きていた
本人は、「大丈夫、大丈夫」言っていたが
実は大丈夫ではなかったのだ

母は施設に入所するまで、自分のことは自分でできていた
食事を作ることもとることも、排泄も着替えも・・今でも(施設に入っても)それはできている
が、おかしいと思ったのは、非日常なこと起きた時に
その判断や処理がうまくできなくなってきたからだ
例えば、市役所から何か手続きを求めるような文書が来た時
書かれていることが理解できない
どうしたらいいのか対処できない
健康診断に行った時、指示されることが分からない
だから、次にどこへ行ったらいいのか分からない
と言ったようなこと

自分で食事の用意をしたり後片付けをしたりはできる
洗濯したり、掃除したりはできる
ゴミ出しもできる。定期的に通っている医者にも行ける
けど、普通やってないことに遭遇すると
判断できない・対処できない
そんな突発的なこと・非常時なことが起きても
自分で判断して対処できてこそ『自立』していると言えるのではないだろうか

完全に自立して暮らせる状態=『完全自立』(私が勝手に作った言葉だけど)は
世のいう「健康寿命」よりもっと短いのではなかろうか
と思ったのは、母の様子を見てきたからだ

どんなに頑張っても、いつかは人の手を借りなければ暮らせなく時が必ず来る
その時誰の手を借りるかは、人それぞれ
子供に頼るもよし、行政の助けを頼むのもよし、まったくの他人の手を借りるのもいい
その判断は自らするのが一番いいと思う
自分で納得して決めたのなら、不安や不満はおこらないと思う

母は施設に入ることは自分で納得して決めたのだが
家を片付けて出ることは、その時点ではもうできなかった
私たち兄弟が手分けして片付け、母の住んでいた家を空にした
母は今でも、家に自分の持ち物が残っていると思っている
自分で最後まで始末できなかった(体力的にも気力的にも)分、心残りなんだと思う
認知症が進み、理解度が落ちているので、いくら説明してもわからない
自分の手で、自分の持ち物の処分や契約解除をしておけば
スッキリした気分で施設での生活が出来ていただろうと、残念に思う

85歳。一人でも十分暮らせていると思っていた時は、もう遅かったのだ
では、『完全自立』ができる時って何時ごろまでなんだろう・・
周りの高齢者をつらつら観察するに
私は、後期高齢者になる頃ではないかと思っている








里山便り・卯月、更新

2018-04-15 19:52:23 | 日記
ホームページの「里山便り・卯月」にサロンのお花見を更新しました

「いつ、どこで大地震が起きても不思議でない日本」という文で始まる新聞記事を読んだ
先日も、近県で、北海道東部で、かなり大きな地震があった
「南海トラフ巨大地震」の発生は、今後30年以内に70%と言われている
地球規模の時間では、30年以内というのは、《今》と言っても良いくらいの時間
「日本で、地震を避けることは不可能なこと」だとも言われている

必ず起きるものなら、どう対処するかを考えておくことが大切
「いつ、どこで大地震が起きても不思議でない日本」と述べた
地震学者の「大木聖子さん」は、次のようにも述べている
「大学の授業で地震の対策を書かせると、学生は家具固定や
食料備蓄などを挙げます。ところが翌週、
実行したかどうかを聞くと多くがやっていません。
知識があっても行動に繋がらないと意味がないのです」

耳が痛い言葉だ。分かっていても出来ていない
大地震が起きて、その時は備蓄や避難経路など関心を持つが
ものの1週間もすれば、何もなかったように日々を暮らす
なんとか、もう少し日常生活に危機感を持ち続けなければいけない
小さなこと一つでも・・
今日、南海トラフ巨大地震が起きるかもしれないのだから







二人で1.7人前

2018-04-14 14:33:41 | 日記
家の周りで最後まで残っていた桜も散り始め、今年の桜もそろそろ終わりになってきた
山は芽吹きの時期で、山が灰色がかったかなと思ったら新芽が出だし
たちまち、柔らかな緑色に変身、今は目にも鮮やかな緑で覆われてきた
草地にはタンポポが黄色い絨毯を敷き詰めたように咲いている

見納めの桜、新緑の中の桜もまた良し


この時期の緑は鮮やか。けど、すぐに青葉に変わって夏色になる


あぜ道、草地、桃畑・・タンポポがいっぱい。心が弾む

ダンナが完全リタイアして、5年目に入った
4年前、退職が迫るにつれ、世の奥様方と同じく、私も「夫原病」がすごく不安だった
1日中家に居座られ、世話に明け暮れなければいけないかと思うと
ホント、目の前が真っ暗だった(大げさでなく)

収入は減るは、自由時間は奪われるは・・散々な老後になるんだ
自由を謳歌できるのもここまでか、と、泣く泣く覚悟を決めていた

そして、4年前、憂鬱な春を迎えたのだが、実際にリタイア生活が始まってみると
何だか予想していた暮らしぶりとは違っていた
家事も思っていた以上に分担してくれたし、の仕事にも出てくれるようになった
何より、私の自由時間を奪うことがなかった
それまでの生活と何ら変わることはなかった
むしろ、仕事が減った分、時間にゆとりができ
気持ちがゆったりして来て、身体も楽になった

それまで、家のこと・地域の付き合いなど、ほぼ一人でやっていた
自分では気づいていなかったが、70近くまで年齢を重ねて
それらの用事を一人でこなすには、もう限界を超えていたのかもしれない
背負っていた荷物を、少し分担してもらうと、〈な~んだ、楽じゃん!〉

ということで、4年が過ぎた訳だが
〈案ずるより産むがやすし〉だったと、今では思っている
何事もやってみないと分からないものである
今は、二人で1.7人前くらいかな
やがて、二人で1.5人前、いつか二人合わせても1人前にしかならない時が来るだろう
少しずつ生活のスケールダウンをしながら、乗り切っていかなければならないだろうな













「里山便り・卯月」をアップ

2018-04-11 16:36:54 | 日記
ホームページの里山便り「卯月」のページを新設しました

今年は桜の季節がメチャクチャで、いい写真が撮れなかった
写真は去年のものだが、普通の年はこんな風に桜が楽しめる
日本人ってみんな桜が好き
そして、みんな自分の一押しの桜を持っている
紅葉もしかり

今年ほど慌ただしく桜の季節が過ぎ去ったのを知らない
こんなことは、今年だけの異常な出来事にして欲しい
それでなくても桜の命は短い
来年は、いい桜を見せてほしいものだ