カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
菊池教会の電話:0968-25-2381

毎週の一言 1- 7 (キリストの聖体)

2008年05月24日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

麦秋の季節にふさわしく、菊池市の周辺は美しい金色で染まってきました。麦の収穫の時になって、すでに農夫たちの麦刈りが始まっています。それは日本画に見るような美しい景色を思わせます。その素晴らしい金色の景色の中で、教会は私たちに感動的な祝日を準備しています。
それはキリストの聖体の祝日です。皆が若い頃を振り返りながら、この祝日の意味を深めるようにしてください。
私の故郷の習慣では、キリストの聖体の祝日に信者たちは教会から出て、大きな行列をつくり、実ってきた麦畑の間を通って歩いていました。その時「恵みのパン・・・いつくしみと愛に・・・」を歌いながら、とても身近に神様の慈しみと愛を感じていました。わたし達はそれぞれが一粒の麦のようなものですが、その麦を挽き粉にすることによって、わたし達は皆で一つのパンになれます。そのパンはイエス様の体、復活されたイエス様自身です。そのパンは教会の心を表しながら、イエス様から教えられた愛を語ってくれています。焼きたてのパンをオーブンンから取り出すと美味しそうな香りがただよってきます。それを裂いて皆で一緒に食べると、私たちは一つの家族一つの心、一つの教会であることを感じます。そのパンはイエス様の言葉によって天から降ってきたパンです。つまり飢えを満たすパンであるだけではない、心や人生をも満たすパンです。そのパンはイエス様の肉です。このようにイエス様は私たちに、ご自分を身近な存在として現わされたのです。そのことでわたし達に限りない愛の意味を示してくださいました。
人間は親の愛によって生まれ生きています。そのお母さんから受けた愛は命であり、生きる肉と血になっています。洗礼によってイエス様から生まれた者達はイエス様から愛されその愛の形のパンで生かされています。
キリストの祝日にあたり、このような思いで心を満たしましょう。イエス様の言葉によりますと「わたしを食べるものも私によって生きる」
                        モヨリ神父

 《お知らせ》
†毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、イエス様のたとえ話の勉強会があります。信者でない方でも参加ができます。