カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 1- 8 (年間第九主日)

2008年05月31日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

この季節、降る雨は麦雨(ばくう)と言い、吹く風は(麦の秋風)とも言います。麦は雨に降られると品質が落ちるため、梅雨入り前のこの頃が収穫のピークになっています。それが終わると黄金色の麦畑は一変して、清々しい緑の早苗が整然と並ぶ水田へと変わっていきます。
菊池と山鹿教会も新しい風に吹かれているような気がします。その風は今度、堅信式のため来られる司教様です。教会にとって大きな意味のある出来事だと思います。司教様はイエス様の使徒たちの後継者であり、福岡教区の牧者です。このように教会の中心的な象徴です。そして、今年迎える殉教者の列福式が大きな勇気の風となって日本の教会を吹き渡っています。今日はマリア様の訪問の祝日を祝いながら、主の日、復活されたイエス様の祝日の心の準備をいたしましょう。マリア様は私たちの心にある喜びを、素晴らしい歌に表現されます。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」、日曜日の福音書は神の国について話すようにしていますが、天の国はわたし達にとってどのようなことか、霊的な概念ですから想像しにくいです。しかし「神の国」はイエス様自身です。イエス様やあるいは神様に親しみをつくるためには、言葉や願いばかりではつくれませんが、イエス様に象徴される神の国に入るためには、まず神様の言葉、神様の心、神様の思いを受け入れて自分の生き方の土台にするのです。イエス様はちょうどこの心の態度についてとっても綺麗なたとえ話を語ってくださいます。
岩の上に建てられた家、つまり丈夫な土台を持っている家は、いつでも神様のみ胸を受け入れ自分のものにして、物事を行う人に似ています。神様の言葉はわたし達の人生の中に、わたし達の心に注がれていますから、それを聞くため、受け入れるため、注意深さが必要です。そうしない場合、わたし達の人生は砂の上に建てられた家に似ています。ちょっとした嵐でも、わたし達の土台なしの生き方は倒れてしまいます。それでも、わたし達をいつも導いてくださる神の言葉を、時に受け入れられない場合があります。その時自分が以前にできたこと、行ったこと話した多くの良い事について自慢しても神様の目には無意味なことです。そのようなわたし達が神様に優先されるものではないのです。神様のみ胸を受け入れてそれに従って自分の生き方を合わせれば、心の平和や人生の喜びを得ることができます。日本の殉教者の人生の歴史に沿ってみれば、彼らが困難の中でも心の平和、大きな喜びを味わったのは神様のみ胸に従ったためです。自分の未来をいつも考える私たちにとって、人生を丈夫な土台の上に建てるべきではないでしょうか。だから私たちの行ったことを自慢せず、いつも聖書の言葉に表わされる神様のみ胸に従うように、私たちの人生の未来を定め、イエス様が勧められた思いを心に留めましょう。
                            モヨリ神父
*【注目】
毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、
聖書による「イエス様のたとえ話と奇跡について」の勉強会があります。