ももたろうパートナーズ 2006

視覚障がいのある方といっしょに走るジョギングクラブ・ももたろうパートナーズ 

京山大周回マラニックです。その3です。

2021-01-10 20:18:51 | 京山大周回マラニック2021/1/9

伊東邸エイドでエネルギーチャージを終えた桃パは、北上を始めました。

すき家がある交差点を渡ります。

桃太郎が入った桃が流れてきたという笹が瀬川を渡ります。

左の山がならずやま、右のやまが、ぼうずやまです。

ならずやぼうずって、なんでしょうね。

山裾に向かいます。まずぼうずやまです。

坊さんの頭かなー

はくさん神社です。

案内板がありました。

アップにします。

はくさんじんじゃは、石川県の白山権現から勧請(かんじょう)したそうです。

権現(ごんげん)は仏教の仏さんですから、明治期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で、無理やりはくさん神社と改称させられました。

また、古くは吉備の冠じゃであった温羅の頭目の首塚だったそうです。

あおはか神社の伝説につながります。

それにしても、地元の民は散々な目に遭っていますね。

右の首部(こうべ)から東ならず、中ならずと西に向かいます。(地図の右から左へ)

下の地図は、精緻な登山地図です。地元の登山家のグループが作成されました。

昔ながらの狭い路地を通っていきます。

迷子になりそうです。

山がむき出しになっていますね。

2年半前の西日本豪雨で崩れ、今も工事をしているのだと思います。

昔からある道です。古民家も残っています。

山沿いに走ります。

若宮八幡さんです。階段が急です。麓から拝みました。

さらに西を目指します。

記念写真も撮り合います。

貝畑さんはここからお別れです。ありがとうございました。

この階段もとんでもなく急です。おひとり登っています。

天津神社です。あまつと読むのでしょうか。

さて、これから、矢坂をめざします。旧山陽道です。

 

お読みいただきありがとうございました。

その4に続きます。


京山大周回マラニックです。その2です。

2021-01-10 04:56:44 | 京山大周回マラニック2021/1/9

コース紹介です。図は伊東さん作成です。

右端の総合グラウンドから時計の逆回りに走ります。

約15kmです。

京山は、地図の中央からやや右です。

左上が、ならず(楢津)、左下が矢坂、万成です。

中央下が三門です。

縁起のよい村名が並びます。

一斉に総合グラウンド内のコースに飛び出しました。

まだ太陽が低く日蔭は寒いです。

武道館に向かいます。

テニスコートの角を曲がります。

靴ひもを結んでいる人がいますね。

交差点にでてきました。信号待ちです。

これから歩道を走ります。

まだ自転車等は少ない時間帯です。

信号が青になりました。右手に中国銀行です。

歩道が広く走りやすいです。

左寄りを走ります。

ラッセン前を通過。帰りに寄ります。

岡山セントラルホスピタル前です。

前に回りました。

カメラマンが最後尾のため、どうしても後を走っている人が中心になります。

ご容赦を。

セブンイレブンを過ぎます。

空港への道がある交差点をそのまま直進します。

京山中学校前のバス停を通過します。

後続のグループを待ちます。

最初の神社、青陵(あおはか)神社の上りです。

広場でゲートボールをされていました。その脇を歩きました。

神社の境内です。

右に階段があります。この階段からはおりませんが…

境内に案内板がありました。

「あおはかじんじゃ」と「うらでんせつ」です。

やまと政権から派遣された吉備津彦命が、地元の民である「うら(温羅)」を攻めて、

頭目夫婦の首を持ち帰りこの辺りに埋めたが、怨念からうめき声が聞こえて地元の民が困りました。

そこで、この地に石棺を造り丁寧に埋葬すると、声も消え万物が育ったとのことです。

「ももたろうの鬼退治」は、地元の民にとってはとんでもない話だったのですね。

坂を下ってきました。

別ルートからも戻ってきました。

なんと、伊東邸前エイドです。

力を頂きました。

お読みいただきありがとうございました。

その3に続きます。