五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

中川校長から職員一般に対する相達(職員の制服について)

2009-12-20 07:09:46 | 五高の歴史
明治二十六年十二月十一日 中川校長から職員一般に対する相達職員の制服

「学校に於いて生徒を教育薫陶して知能を発達し徳器を養成するの方途種々あるべしと雖も就中徳義心を鼓舞し作興するは躬行実践に依らざるべからず故に服装の如きも挙止を律するに於いて一定に制あるを必要とし曾て生徒の制服を定め生徒をして之を着用せしめ来たりしも職員に於いては未だ一定の服制無之に付今般経伺の上別紙雛形の通り服制相定む依って来る二十七年一月一日より実行可有之尤も右実行後学校に於いて相行と候諸儀式には礼服として相用と候事に相定め候条此の旨相達す」

秋田実教授の五高着任に際しての服装の想い出には五高職員の制服は下記のようなことが見える。
「京都の会見の際神戸の外人教師、日本人教授連同様、黒い背広に縞ズボン、山高帽に仁丹方八時髭の私のスタイルを見た吉岡校長は、阪神の先生方はハイカラであるから五高の先生方は黒色詰襟服に黒いボタンの制服丸型制帽に五高校章をつけたものを着用していると、警告めいたことを言われたので、それは質素そのもののようでそれも結構と思った。熊本に行って実際に見ると先生方はそのような制服一点張り組と下無地式背広の若い先生方であった。」とある。
         制服姿の職員たち

制服とはある組織の集団に属するものが着用することを目的に作成された服のことであり、熊本市内では現在では私立の女子高生は多いが、その他警察官や自衛隊員の制服はお目に掛かることが多い。制服は購入者にとっては普段着用している私服いわゆる標準服に比べて規定された服を規定の金額で買わねばならないので購入するのに際しては生地、色合い等を選ぶ必要もなく、面倒でないと言われる。