五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

明治三十一年の入学式の様子

2009-12-23 04:41:41 | 五高の歴史
ここでは明治三十一年九月二十日実施されている入学式の様子を紹介する。
体育館当時は雨天体操場と呼ばれていた。ここで入学式と特待生選定式が行われている。午前九時一同が着席すると、教職員は会場の東側に座り西面して旧新生徒は各々南北に並んでいる。その席が決まると中川校長が特待生選定式を行う事を述べられる。つづいて余田助教授は特待生に選定せれた生徒の名前を呼び上げた。呼び上げられた生徒は会場の中央に進み出て学校長から選定状を受け取り特待生の選定式が終わった。このときの特待生の中では五高の秀才と言われている内丸最一郎、寺田寅彦の両氏があったことだけを記して於く。
つづいて入学式に移って。校長から心温まる演説があった。それは「凡そ人には自治の精神がなければならず。今日の青年に欠けている所は只人に依っては敢えて自ら修め自ら立つことになさざるにあり従ってその責任を忘れ我が身を経ず苟も自らわが責任を知りて立つの志あらば何ぞ不祥事を耳にするが如きことあらむ」と色々の規定についての注意があった。そして新入生総代の宇津忠満氏答辞を述べた。ここで湯浅孫一郎氏が在校生総代として答辞を述べた。それは学園の現状を述べて新入生の注意を乞い地方的感情を一掃して共同一致以て学園の良風を増進せんことを望むということであおの語気が強く、会場は粛然としていた。式ここに終わり前学年度の無欠席生徒の氏名の報告あって式が終わった。

今日は十二月二十三日で天皇誕生日、皇居では一般参賀の記帳が行われていたそうでそのニュース報道がにぎあっていた。天皇の生誕については同窓会報の七号で報告している天皇は今年で七十六歳だそうである

昭和八年十二月二十三日には皇太子殿下(現在の天皇)の誕生がりこの七号では笛廼舎の生誕の祝いが巻頭を飾っている。

   皇太子殿下御降誕を祝ひて   笛廼 舎
 
あさつくひけさは一入かがやきて
竹の園生に皇子あれませり。
   以下略