龍南会雑誌から加藤清正掟
熊本城を加藤清正が1,607年築城して四百年、2,007年が四百年目に当り復原工事が完成して、2,008年5月6日まで記念イベントが行なわれた、特 に4月20日には本丸御殿が一般に公開された。龍南会雑誌に、加藤清正掟というのが掲載されていてこの龍南会雑誌が発行されたのが明治25年であるのでこの掟の掲載を考えた当時の編集者は文中で三百年前の肥後武士と記している。
まずは龍南会雑誌について紹介しておこう。
龍南会雑誌(172号から龍南会雑誌改め龍南)は五高の校友誌である。第五高等中学校時代の明治24年10月28日第一号が発行され、昭和19年6月15 日の第二百五十四号まで・・・以後は時局の要請で用紙節減のため休刊ということで最後の編集者は何時の日か再びの復刊を願っていた。しかし世はそれを許さず遂には廃刊に為ってしまった。龍南会雑誌にはそれぞれの時代の教授や学生が論文・詩歌句・創作(小説)を発表した。この中から後の世の日本の中枢として 活躍する多くの小説家、歌人、詩人等が誕生した。(T―higashi)
熊本城を加藤清正が1,607年築城して四百年、2,007年が四百年目に当り復原工事が完成して、2,008年5月6日まで記念イベントが行なわれた、特 に4月20日には本丸御殿が一般に公開された。龍南会雑誌に、加藤清正掟というのが掲載されていてこの龍南会雑誌が発行されたのが明治25年であるのでこの掟の掲載を考えた当時の編集者は文中で三百年前の肥後武士と記している。
まずは龍南会雑誌について紹介しておこう。
龍南会雑誌(172号から龍南会雑誌改め龍南)は五高の校友誌である。第五高等中学校時代の明治24年10月28日第一号が発行され、昭和19年6月15 日の第二百五十四号まで・・・以後は時局の要請で用紙節減のため休刊ということで最後の編集者は何時の日か再びの復刊を願っていた。しかし世はそれを許さず遂には廃刊に為ってしまった。龍南会雑誌にはそれぞれの時代の教授や学生が論文・詩歌句・創作(小説)を発表した。この中から後の世の日本の中枢として 活躍する多くの小説家、歌人、詩人等が誕生した。(T―higashi)