五月二日 火 晴
ゴールデンウィークのためか県外の車のナンバーが多い、そのためか大学まで三〇分も係った。八時四十五分には開室し叙別式一件書類の続きの整理を始めた。同時に今江先生が現れ阿蘇研修所の跡地が九州産業大学の教授が購入したので、研修所の絵葉書を一組貰っていくと探しに来て新しい地主さんに五高の阿蘇道場は五高にとってはこのようなものであったと説明のために持っていくそうである。九産大の教授は大学を定年退官後自宅の建築のため購入されたようである。
先週の木下三郎さんから返却された溝渕校長の手紙を見せ、どのような事情で木下さんが保持していたか、その辺を調査したことを説明してやるととても喜んでおられた。叙別式の書類の残りのものの整理を終わったときは十二時三〇分も過ぎていた。
特に注意を引いたところでは昭和十八年九月二〇日行われた繰上げ卒業式で、卒業生総代として答辞を読んだのが現大分県知事平松守彦氏であり送辞を読んだのが、前の佐世保の市長であった桟熊獅氏であり、桟さんはこの一ヶ月後行われた学徒動員の答辞も読んでいる。二人とも成績は優秀であったのである。そして戦後は政界で大活躍されていることは全国民が認めるところであろう。
台帳と祝辞、答辞、送辞を整理してみると封筒の表面に書いてある事項だけで整理してあるらしく内容の確認も必要であることで面倒で少々困る。この時代の校長の告辞は口述であるため原稿はなく封筒には校長口述、または講演と記されている。職員総代の原稿がないものも口述であったようである。また封筒に記載があって原稿がないものは欠と朱記してある。欠と記載されているものは原稿も存在しないので祝辞はなかったのだろうか?
叙別式一件書類の中からは出欠の有無まで確認することまでは出来ないが、それゆえ欠となっているようだ。告別式一件書類明治四十五年から昭和七年まで続けて封筒の表題と内容物を確認した。殆どのものが合致したが中には入っていないものもあり惜しまれる。
特に吉岡卿甫第七代校長は几帳面な性格であったと見え文面の内容は殆ど同じであったが、毎年告辞の原稿をしたためておられたようである。告辞、答辞、送辞、職員総代祝辞と斜め読みで眺めた程度であったが、日露戦争から、第一次世界大戦、支那事変、満州事変,第二次世界大戦へと時代を映した内容が読み取れ、五高も日本民族を戦争に駆り立てたその片棒を担いだ根本精神も読み取れる。大正十一年の職員総代岡本清逸教授の祝辞で当時は左翼的思想が蔓延シテいたのか、被れることを特に注意しておられることは注目された。
卒業式一件書類もどうやら一段落したので今日の作業は四時に終わった。
ゴールデンウィークのためか県外の車のナンバーが多い、そのためか大学まで三〇分も係った。八時四十五分には開室し叙別式一件書類の続きの整理を始めた。同時に今江先生が現れ阿蘇研修所の跡地が九州産業大学の教授が購入したので、研修所の絵葉書を一組貰っていくと探しに来て新しい地主さんに五高の阿蘇道場は五高にとってはこのようなものであったと説明のために持っていくそうである。九産大の教授は大学を定年退官後自宅の建築のため購入されたようである。
先週の木下三郎さんから返却された溝渕校長の手紙を見せ、どのような事情で木下さんが保持していたか、その辺を調査したことを説明してやるととても喜んでおられた。叙別式の書類の残りのものの整理を終わったときは十二時三〇分も過ぎていた。
特に注意を引いたところでは昭和十八年九月二〇日行われた繰上げ卒業式で、卒業生総代として答辞を読んだのが現大分県知事平松守彦氏であり送辞を読んだのが、前の佐世保の市長であった桟熊獅氏であり、桟さんはこの一ヶ月後行われた学徒動員の答辞も読んでいる。二人とも成績は優秀であったのである。そして戦後は政界で大活躍されていることは全国民が認めるところであろう。
台帳と祝辞、答辞、送辞を整理してみると封筒の表面に書いてある事項だけで整理してあるらしく内容の確認も必要であることで面倒で少々困る。この時代の校長の告辞は口述であるため原稿はなく封筒には校長口述、または講演と記されている。職員総代の原稿がないものも口述であったようである。また封筒に記載があって原稿がないものは欠と朱記してある。欠と記載されているものは原稿も存在しないので祝辞はなかったのだろうか?
叙別式一件書類の中からは出欠の有無まで確認することまでは出来ないが、それゆえ欠となっているようだ。告別式一件書類明治四十五年から昭和七年まで続けて封筒の表題と内容物を確認した。殆どのものが合致したが中には入っていないものもあり惜しまれる。
特に吉岡卿甫第七代校長は几帳面な性格であったと見え文面の内容は殆ど同じであったが、毎年告辞の原稿をしたためておられたようである。告辞、答辞、送辞、職員総代祝辞と斜め読みで眺めた程度であったが、日露戦争から、第一次世界大戦、支那事変、満州事変,第二次世界大戦へと時代を映した内容が読み取れ、五高も日本民族を戦争に駆り立てたその片棒を担いだ根本精神も読み取れる。大正十一年の職員総代岡本清逸教授の祝辞で当時は左翼的思想が蔓延シテいたのか、被れることを特に注意しておられることは注目された。
卒業式一件書類もどうやら一段落したので今日の作業は四時に終わった。