五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高の資料整理顛末記 2000

2010-05-28 03:19:21 | 五高の歴史
五月三十日 火 晴のち雨
梅雨入りも間近いと言うことか朝からはとても晴れていたが、十一時過ぎから小雨が降り出した。あさの出発は七時四十五分で,先週と比べて通行はスムーズである一般に交通巡査と呼んでいる人たちではなく交通巡視員とか呼ばれる人達の交通整理であったからだろうか、八時二十分に到着したので開室は四十五分

雑件書類の綴じ直しから始める。昭和二十二年度分は簡単に出来たが、その昔の物、昭和十一年度,十三年度,十四年度、十五年度何れも其の一、其の二と綴りが別冊になっており、また表紙がないものもあって、どの年度の分も綴り紐はその使命を果たさなくなっている。それ故ビニール紐でまとめて括ってある。ばらばらになっているものは読むにしても面倒で仕方がない。内容の順序としてはなるべく綴じられた時のままで保持してあるようで、綴じ紐を通し直すだけでいいのであるがその作業もなかなか難しく時間ばかり掛かってしまう。其の一、其の二、其の三を纏める必要のないものはそのままの状態で綴じ直しておいた。この雑件綴りは他の職員進退や例規綴り等に比べて手抜きして綴ってあるようだ。四時間くらい係り十一年度と十三年度分の冊子を綴りなおした。

五高時代の化学実験室(重要文化財に指定されている)


十一時頃教育学部西川先生が来館し、今秋の十一月ハーン生誕百五十周年の展示をする為、展示室の大きさ、展示ケースの大きさ等々を調査して松江の小泉八雲記念館から必要資料を送ってもらう手続きを行う為に、まだ時間的余裕はあるがといって調査を行われていた。その他に近々に予定しているこのハーンの時代の英語教師大倉増次郎についての資料はなかろうかとの相談を受けたので、人事記録、職員進退等から明治二十四年の嘱託発令、明治二十五年大倉増次郎から本田増次郎への復籍関係、明治二十六年の辞職等々と関係資料を集めてやった。この本田増次郎については以前リデルライト記念館の事務長から調査依頼があっていたのでスムーズに資料の蒐集が出来た。
本日の雑件書類の綴りはピンからキリまで綴じこんであり、其の中のお知らせの通知から昭和十三年度の科学研究費の報告書があった。浅井東一教授の「火山植物の生態に関する研究」昭和十三年七月で四百字原稿用紙総計五十二頁に上る論文、補助金三百円に関する収支明細書、を八月三日付けで報告してあった。補助金の支給は一人であったのか別綴り等はなく雑件の中に整理してあった。
今日は既に四時を過ぎたので室内の掃除は来週行うことにした。