五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

初期の阿蘇道場の様子

2012-09-18 03:58:16 | 五高の歴史

今朝は初期の阿蘇道場の合宿の様子について五高同窓会報の中に飯島象太郎教授阿蘇道場便りからという報告が掲載報告されているそれを転載してみる。飯島象太郎先生は阿蘇道場の主任で責任者という立場である。今朝は第一回の合宿の様子を・・・

龍南会総務部主催夏休第一回合宿(昭和十五年七月十一日より七月十六日)

十一日、晴 初めて道場へ備え付けの夜具十人分を手荷物として立田口駅発、校長とも同行四人、六時内牧駅着徒歩にて七時道場着、夕食後静坐の仕方など校長より教示され十時就寝

十二日 曇 夕立 五時起床、道場最初の国旗掲揚心経読誦后暫時静坐、朝食、八時-九時添野校長の白隠和尚坐禅和賛講義 九時、十時校長を中心に坐禅、十時過ぎ校長帰熊、それより十二時迄国旗掲揚柱下の藪払い作業、中食、午后二時-四時静座その后三人連れで田圃の中のの温泉に行く。夕食、七時徳永総務来場参加七時三〇分-九時三〇分静坐、十時まで坐禅、直ちに就寝

静座と座禅はどのように違うのか?参考ウイキぺリア

静坐とは、静座によって精神の修養と身体の健康を図る方法。呼吸を調整して精神統一を図り、下腹に力を入れて深く呼吸することで体調を整える。

坐禅とは、姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う、禅の基本的な修行法。正式には「坐」の字を使用する。坐禅はMeditation瞑想と翻訳される場合があるが、眼を閉じて思考する瞑想と坐禅は別概念である。

十三日 曇 夕立 五時三〇分起床国旗掲揚、六時十五分-七時、静坐、朝食后野村眼を腫らせし為薬を求むる為内牧町行(町まで約半里なり)岡村約一時間の自由時間を聞き誤って裏の兜岩へ登り正午頃雨に濡れて帰る、残り三人九時三〇分-十時十分四十五分間静坐、設備工事のため会計主任、内牧町の請負師など来場、午后野村は休息させ他は二時-四時昨日の藪払の継続作業、炊事場の排水溝作り、夕刻徳永眼科に行く野村と共に帰熊、七時三〇分-八時三〇分静坐、座談、九時三〇分就寝、その夜は二人だけ也

十四日 風雨強し、 五時半起床、六時二〇分-七時、静坐朝食、八時-九時読書、九時-一〇時四〇分静坐、その後十二時迄読書中食后-二時三〇分読書二時三〇分-四時三〇分静坐、その頃風雨烈しく諸処に雨漏り地下室のまど硝子など吹落さる夕食后七時三〇分-八時三〇分静坐、坐談、十時就寝

十五日 雨 六時起床、六時三〇分-七時一〇分静坐、朝食后読書、一〇時-一〇時三分静坐、十時過ぎ泊まりがけにて添野校長来場一〇時三〇分-十一時三〇分飯島岡村の二人を相手に心経を講せらる。午后二時三〇分-四時三〇分静坐、その後、町営温泉にゆく、八時-九時、静坐、坐談十時就寝

十六日五時半起床、六時-七時静坐、朝食、九時二〇分-十時五〇分校長のお話と静坐、中食後雨の中を三人連れにて徒歩、駅に至り一時五六分内牧発汽車にて帰熊

 最初の合宿後、細かに書きましたが要するに全期中滞在せるものは小生と有志学生一人、校長は二回程泊まりがけで来られたがその外に二泊一名一泊一名に世話役の学生であり総計五名、掃除などもしたらうと思いますが箒ではく程度だったやうに覚えます。食事なども少人数のため道場番のヘヤで一緒にしていました。

確かに細かに書きましたがと断りは書いてあるが、このように何時何分から何時何分までを細かに書くためには時計とにらめっこが必要ではなかったのか、まだまだすべてのことが新しくまた珍しかったようで合宿に行った生徒も教官も張り切っている様子は見えないだろうか?龍南会総務部主催の合宿は第三回まで行われているので明日は第二回目を眺めることにする