五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

創建当時の阿蘇道場の合宿の様子

2012-09-19 03:21:02 | 五高の歴史

昨日は阿蘇道場を利用するようになって夏休み最初の合宿の様子であったが、今朝はその二回目、第二回合宿 八月十五日より二〇日までの様子、

一週間の予定で合宿は行われていたようである。報告は昨日と同じ飯島象太郎先生である。全期滞在者六名、一泊四名、計十名

十四日午後六時内牧駅着、偶然絵具箱をさげた菅野教授と道伴れになり午後七時頃道場着学生は一人も居らず、後に学生が後れたのではなく自分の早過ぎた事を知る。

十五日五時半起床、菅野君と二人、国旗掲揚宮城遥拝后共に朝食、午前及午後三回に渡って独り静坐、夕刻五名の学生到着、食後一同へ坐り方指示、暫時静坐、坐談后就寝

十六日五時十五分起床、六-七静坐、朝食後菅野君学生一名と共に帰熊、九-十一静坐、午後は作業の予定の処大雷雨にて果さず、道場全部をふき掃除す。後、雨のはれ間を学生一人と町の温泉に行く、夜四名の学生外出、独り一時間許り静坐。

  十七日、五時三〇分起床、六-七静坐、朝食後八-十静坐、十時過ぎ校長来場静坐、今でこそ校長の動きはすべて公用自動車であるがこの時代は列車であり十時すぎ道場に到着することは大事であったろう午後一時から二時信心銘の講義をして頂く、添野校長は禅の修業の大家ということで禅の話をされたのだろう。二-四の作業後裏の山に上がる者あり、夕食後虹の橋東の空に二重にかかる。七-九静坐、就寝

十八日、五時十五分起床六-七静坐、朝食八-十信心銘の御講義、十時より校長の先達(後達?)として兜岩に登り十二時道場へ帰着、昼食後校長帰熊、午後二時より作業途中夕立のため中止。五-七静坐(夕食後は蚊多き為夕食前に行うこととす)夕食後町の温泉に行く、満月の夜也

十九日五時三〇分起床、六-七静坐、八-一〇読書、嘗て道場建築の基礎工事に働ける卒業生来場、十一-十二静坐、午後一-四開墾作業、五-七静坐、夕食後自由時間。

二十日五時十五分起床、道場全部のふき掃除、六-七静坐朝食、八-一〇静坐の后合宿解散。登山する者あり直に帰熊する者あり、

この最初の合宿から静坐、静坐と座るための合宿していたのであり、現在の我々の椅子の生活からは想像もつかない。確かに座布団、寝具はこの道場を整理したとき捨てることに大事したことが思い出される。明日はその第三回目の様子を眺めることにする。