五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

阿蘇道場日誌から

2012-09-26 04:14:39 | 五高の歴史

六月七日 日曜 雨
五時起床、清掃参拝の後、坐禅朝食 八時半より一同「青年学徒に賜りたる勅語」謹写。九時より坐禅会、雨益々繁し、正午中食、帰路に着く、立田口に着きても雨模様変らず、解散、

二年半の竜南生活を終わって今熊本の地を去ろうとしつゝある我等、果たして思い出の如何のつきぬものあらん、龍南生活思えば短かりき、されど生命の生活は、時と処を得て我等魂を育くみにあらずや、

この大阿蘇雲霧の間に煙をみて、静かに帝国の前途を想う時、帝国の我等に求むるは果して何、帝国の求めて止まざるものは、意中湧然と湧き出ずるを思う。召される日を静かに待ちて日々自己の学務に専念する若人の胸に燃える炎は熱し、戦場と銃後と、その本分は異なれり、しかし国思う心に二つなきを事を而して学の道への遭遇と心に期しつつ、進んで男の子に幸あれとする如し、

今大阿蘇は雲中にあり、翼の限り飛ぶ鷲の影はるかなる雲際に煙、うづまくと先人の歌ひしも宣なる哉と思う人、あに我一人のみならんや来りて学ぶ人のうつりゆくは昔と今は変らざれども歩み来し野辺の小路に人知れず咲く花の真心も変らざるべし (文三の二組三十名外飯島)

        

土曜と日曜の道場行の様子である。文三の二組三十名と署名してあるのでクラスの合宿であったのだろうか?「青年学徒に賜りたる勅語」の謹写は毛筆で書いてある。現在も二百枚前後残っている。滞在した教官、学生も署名が入っているところを見れば教官、学生が同じものを書いている。精神修養この上なしというところである。今日は記念館に出て数枚写真に写したのでそのうちに公開することにしたい。昭和十七年は道場が開場して三年目道場行きも落ち着いて土曜、日曜と学生の方も来週の道場訪問は我々の番であると道場行を楽しんでいたようにも見える。クラス単位、学年単位、サークル単位と研修に励んでいる。