道場については同窓会報に記載があるが校友会誌龍南には全然載っていない。しいてあげれば飯島教授の「阿蘇道場より」が龍南248号の97ページから102ページに掲載してあるのみである。阿蘇道場は同窓会の財産であるので五高当局は当事者以外はほとんど知らないというのが実情であった状態である。
このことは平成三年俺が管財係担当者として解体処分したときまで、解体については同窓会の方にも相談しなければならないとか言う声はあったがと解体してしまおうという声は全くなく、国の財産として昭和四十年国有地として受け入れたのも俺であったし、解体処分後も、無理に処分してしまわずまだ大学で管理しておいても良かったのじゃないという声もだいぶ耳にした。国有財産として大学の財産に受け入れるといったようなことは一切知った人はなくただ勝手なことを言う人ばかりで言いたい人には言わせておけということに徹底しておった。顛末については熊本大学阿蘇研修所の顛末について に詳しく記載しています。
初期の阿蘇道場行の道場主任飯島象太郎教授の報告から、
第三回合宿 (八月三十一日より九月三日)
全期滞在一名、二泊三名、一泊一名、日帰り一名計七名
この時は九月四日迄の予定でありましたが小生所用のため九月二日総務と自由参加学生と二人だけ残して帰熊して終ふ始末で少しはまりが足りませんでした。然し早朝起床後拭き掃除をし国旗掲揚、宮城遥拝、朝食前三十分の静坐など大体形もきまりその後は作業登山、静坐など適宜取りまぜてやって居りました。
以上三回の合宿で夏休みも過ぎました。合宿といっても極めてささやかな集まりでありましたが
その間に道場らしい生活振りも一つ二つは見つけることが出来たと思います。尤も合宿修練の合間には一人二人という具合に読書、勉強にふさわしい涼しい道場の夏を自由に訪れて一、二泊した学生もありました。
かくて秋二学期に入りまして九月二十二日には開場式、土曜から日曜にかけては一泊道場行、その様子は後で述べ度いと思いますが唯一つここに道場として申し上げねばならない事はは十一月にはいって従来の龍南会が所謂発展的解消の形をとって新たに龍南学徒報国団の誕生したことであります。それまでは道場も龍南会の道場部としてその生長発展を目指していたのですがその後は新たな報国団の一部とし一つの役割をつとめなければならぬ事になりました。続いて合宿の様子をも少し申し上げます。明日は合宿の様子を見ることにする.