六月十三日 火 晴
梅雨前線が南下したということで熊本地区はここ二~三日は天気がいいそうである。八時四十分に開室した。掃除機をかける予定にしていたが、管財が修理はまだしていないので箒で掃くことにして、先週の続き雑件書類関係を綴じた。この冊子総合的にまとめたのは多分戦後であろう。綴じ紐で綴じてあるしかし年月の経過が永い為か全く閉じ紐の役割は果たしていなく、できる限りその綴じ紐の穴を利用して畳糸で綴じなおしているが、数回綴じ直した穴が見られ、なるべくもとの穴を見つけて綴じることにしている。
雑件種類はあらゆる書類を綴じこんであるので内容を見ていくと面白いものもあるが一々読んでいく暇はない。作業をつづけて昭和二十一年度、二十二年度、二十三年度、二十四年度を終わったのは二時過ぎであった。そのご食事をした。
台帳には昭和二十六年度の雑件もあるようになっているが、見つけることは出来なかった。
この時代の用紙は質が悪く茶色に変色しているが、畳糸で製本して閉めなおしてみるが紙が毀れることはないようである。表紙が破れているものは裏張りしたり延ばしたりして補修した。例の如く、斜め読みで気がついたことは昭和二十二年度には事務官を対象にした文部省主催で大学高等専門学校事務講習会が開催されている。九州、中国地区の大学と専門学校の職員は六月十六日九州大学で開催されている。その後の昭和三十年代には熊本大学の管理関係部門の幹部になっている連中の名前が見出せる。医大から、奥村仁氏、工専から西村豊喜氏,有田末雄氏、五高から荒木信義氏、加藤忠喜氏、師範から中本滝雄氏等々の名前があった。
その他戦時中の科研費の研究等も検討すればいも白いかもしれない。昭和十九年十月の松本雅明教授の「詩経にあらわれた自然の思想」石坂正蔵教授の「敬語法の研究」に壱万五千円の申請があっている。
文とは関係ありません
昭和二十三年十月十日には教育勅語の返還が行われている。その前年の衆議院において平和日本になっているということで「教育勅語等の取扱いについて」と言う案件が検討されていた。二十二年、二十三年の雑件書類にはこのように戦争に負けたからといって今までの世の中を一度に覆えさんでも良かったのではないかと思えるものも多い。
文学部の教務主任が昭和二〇年に長崎の三菱造船所に学徒動員された当時生徒であった人が原爆手帳の申請をされるそうで当時の関係書類を捜されているそうで、Uさんが七十周年記念誌の百三十七頁にその記載があるのでと教えられたそうでそこをコピーしてくれとコピーに来た。続習学寮史がより詳しいと思われるが折角教えてあるので黙ってコピーさせておいた。室内が紙の崩れが目立つようになったが、掃除機が壊れているので箒で掃いて雑巾掛けした。来週からは生徒という冊子を整理したいがなにしろ紙の崩れがひどくどうなることやら・・・。
梅雨前線が南下したということで熊本地区はここ二~三日は天気がいいそうである。八時四十分に開室した。掃除機をかける予定にしていたが、管財が修理はまだしていないので箒で掃くことにして、先週の続き雑件書類関係を綴じた。この冊子総合的にまとめたのは多分戦後であろう。綴じ紐で綴じてあるしかし年月の経過が永い為か全く閉じ紐の役割は果たしていなく、できる限りその綴じ紐の穴を利用して畳糸で綴じなおしているが、数回綴じ直した穴が見られ、なるべくもとの穴を見つけて綴じることにしている。
雑件種類はあらゆる書類を綴じこんであるので内容を見ていくと面白いものもあるが一々読んでいく暇はない。作業をつづけて昭和二十一年度、二十二年度、二十三年度、二十四年度を終わったのは二時過ぎであった。そのご食事をした。
台帳には昭和二十六年度の雑件もあるようになっているが、見つけることは出来なかった。
この時代の用紙は質が悪く茶色に変色しているが、畳糸で製本して閉めなおしてみるが紙が毀れることはないようである。表紙が破れているものは裏張りしたり延ばしたりして補修した。例の如く、斜め読みで気がついたことは昭和二十二年度には事務官を対象にした文部省主催で大学高等専門学校事務講習会が開催されている。九州、中国地区の大学と専門学校の職員は六月十六日九州大学で開催されている。その後の昭和三十年代には熊本大学の管理関係部門の幹部になっている連中の名前が見出せる。医大から、奥村仁氏、工専から西村豊喜氏,有田末雄氏、五高から荒木信義氏、加藤忠喜氏、師範から中本滝雄氏等々の名前があった。
その他戦時中の科研費の研究等も検討すればいも白いかもしれない。昭和十九年十月の松本雅明教授の「詩経にあらわれた自然の思想」石坂正蔵教授の「敬語法の研究」に壱万五千円の申請があっている。
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昭和二十三年十月十日には教育勅語の返還が行われている。その前年の衆議院において平和日本になっているということで「教育勅語等の取扱いについて」と言う案件が検討されていた。二十二年、二十三年の雑件書類にはこのように戦争に負けたからといって今までの世の中を一度に覆えさんでも良かったのではないかと思えるものも多い。
文学部の教務主任が昭和二〇年に長崎の三菱造船所に学徒動員された当時生徒であった人が原爆手帳の申請をされるそうで当時の関係書類を捜されているそうで、Uさんが七十周年記念誌の百三十七頁にその記載があるのでと教えられたそうでそこをコピーしてくれとコピーに来た。続習学寮史がより詳しいと思われるが折角教えてあるので黙ってコピーさせておいた。室内が紙の崩れが目立つようになったが、掃除機が壊れているので箒で掃いて雑巾掛けした。来週からは生徒という冊子を整理したいがなにしろ紙の崩れがひどくどうなることやら・・・。