室生寺は奈良時代末期の宝亀年間(770年-781年)、時の東宮・山部親王(桓武天皇)の病気平癒のため、室生の地において延寿の法を修したところ、竜神の力でみごとに回復したので、興福寺の僧・賢(けんきょう)が朝廷の命でここに寺院を造ることになったという。
現存の室生寺の堂塔のうち、この時期(9世紀前半)にまでさかのぼると見られるのは五重塔のみであり、現在のような伽藍が整うまでには相当の年数を要したものと思われる。
室生寺は長らく興福寺との関係が深かったが、時代は下って江戸時代の元禄11年(1698)、興福寺の法相宗から独立して、真言宗寺院となった。女人の入山が許されたことから「女人高野」と呼ばれ、これは室生寺の代名詞にもなっている。
(ウィキペディアより抜粋)
僕はこれで4回目の訪問ですが、国宝五重塔が台風で半壊する前に2回ばかり拝観しているのですが、何と無く修復後の塔は重みが無い感じです。
1.鎧坂と奥に金堂(国宝)
2.国宝五重塔、台風による倒木で左3/1が破損、修復された、9世紀前半に建造されたとされている。
3.
4.
5室生寺の石楠花
6.葛城一言主神社拝殿
7.九品寺の八重桜
8.九品寺より大和三山を望む左より天香具山、畝傍山、耳成山
現存の室生寺の堂塔のうち、この時期(9世紀前半)にまでさかのぼると見られるのは五重塔のみであり、現在のような伽藍が整うまでには相当の年数を要したものと思われる。
室生寺は長らく興福寺との関係が深かったが、時代は下って江戸時代の元禄11年(1698)、興福寺の法相宗から独立して、真言宗寺院となった。女人の入山が許されたことから「女人高野」と呼ばれ、これは室生寺の代名詞にもなっている。
(ウィキペディアより抜粋)
僕はこれで4回目の訪問ですが、国宝五重塔が台風で半壊する前に2回ばかり拝観しているのですが、何と無く修復後の塔は重みが無い感じです。
1.鎧坂と奥に金堂(国宝)
2.国宝五重塔、台風による倒木で左3/1が破損、修復された、9世紀前半に建造されたとされている。
3.
4.
5室生寺の石楠花
6.葛城一言主神社拝殿
7.九品寺の八重桜
8.九品寺より大和三山を望む左より天香具山、畝傍山、耳成山
さすがにまだたくさんは咲いていなかったようですね。
石段の両側の石楠花もポツリポツリですから、もう少し時間がかかりそうですね。
今朝見たら、我が家もやっと一輪だけが半分ほど開花していました、
小説などに度々登場する女人高野、室生寺は、呼び名から空海が開山したと思い勝ちですよね。
まあそれだけ、当時高野山に対する人々の思いが大きかったって事でもあるのでしょうが。
葛城一言主神社拝殿も僕の好きな神社です。
正確にはわかっていないようですが、いずれにせよ、朝鮮半島から攻め入ってきた天皇家から見ればか朝敵だった「葛城一族」なんと無く、親しみが湧いてきます。(笑)
最も彼らもまた、朝鮮半島の人達かも知れませんが・・。
九品寺からは大和三山が望めるんですよね。
とても天候が良くて綺麗に撮せて良かったですね。
天香具山、畝傍山、耳成山、次々と万葉集の歌が口をついて出てきてしまいます。
奈良紀行シリーズ、堪能させて頂いてます。
CMで奈良が出てくるたびに、久々に
行ってみたいなぁと思うのですが
先立つモノがないので、こちらのお写真で
楽しませて頂きました。
高校時代に行ったきりなので、もうすっかり
忘れてしまいました。
室生寺への道が新しく付けられ、以前の道の途中の磨崖仏が見られなくなりました。
古都奈良はやはり日本の原点ですから、古代史に思いを馳せながら見ると、一種の感動を覚えます。
九品寺からの大和三山の眺め素晴しかったです。
奈良は本当に見るところが沢山有り、3日位行っただけでは到底見て回れません。
京都も同様ですけれど。
聖徳太子が見ていた景色と同じ景色が見られるので、一寸興奮です。
仰るとおり古のロマンを感じてきました。
見るところは一杯有りますので、是非いらしてください。
清遊人 様なら最古の道と言われている山之辺の道、端から端まで踏破出来ますよ。大体16kmぐらいですから。
僕は両端を一寸づつ歩きましたが。未だ元気のあるうちに全部踏破したい夢をもっていますよ。