写真が趣味です。

風景と花の写真を主に!

伊豆大島

2006-01-27 10:10:08 | 写真
昨日お天気が良かったので、披露山にカメラを担いで出掛けました。
残念ながら富士山は、見えてはいるが、ヘイズが濃く写真は断念。
何か取るものは無いかと見回したら、伊豆大島が目に入りました。
あまりはっきりしていませんが、たまにしか見えませんので、ご覧下さい。
家の方は、多少伊豆七島に近い所為か、大島の噴火の時の溶岩は夜はっきり見えましたし、三宅島の噴火の時は2回ばかり風の具合で硫黄の臭いがしました。
尤も、近いと言っても見えるのは大島と利島だけですが。


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古い写真 追加

2006-01-20 00:09:47 | 写真
前回で終わりの心算でしたが、写真を見直しましたら、アンカレッジの写真がありましたので、ずに乗ってもう1回追加です。
この時、1981年の時は未だソ連の上空を通過できなかったのでアンカレッジ経由でした。
当時給油と清掃のため1時間位空港の待合室にいましたが、殆ど日本人で「アラスカうどん」なる食べ物を売っていました。
お土産品(当時は洋酒のお土産が幅を利かせていましたので行きに予約して置くと帰りにはちゃんと梱包されていて便利でした)
今はロシアの上を飛んで行きますからアンカレッジとはご縁がなくなりました。

前回のシャルトルからパリに戻る途中ベルサイユに寄りましたが、時間が無く良く見られませんでした。
ベルサイユ宮殿での出来事ですが、当時オリンパスOM1にズームを付けて首からぶら下げていたら、写真の上手い人と間違えられて、スペイン人のおばさん達にシャッターを押すのを頼まれ、押そうとすると「チーズ」ではなく、いっせいに「モナリサ」と叫びました。当たり前ですが、処変れば言葉も変りますね。
僕はそれまで世界中で「チーズ」だと思っていましたので、やはり「井の中の蛙」でした。




庭から宮殿を望む




ご存知 「鏡の間」です




マリー・アントワネットの寝室








機長が放送で「北極上空です」 てな事云ってましたので1枚。
氷とクレバスが微かに写っているだけです。




アンカレッジ空港に着陸直前
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古い写真 ⑰ シャルトル

2006-01-15 17:18:28 | 写真
パリに滞在中自由行動の日があり、西にあるシャルトルに出掛けました。
パリの南西のモンパルナス駅より汽車に乗り約1時間、途中にはベルサイユがありました。

このシャルトルには世界遺産になった(この当時は世界遺産は無かった)ノートルダム大聖堂(パリのノートルダムより100年ぐらい古いそうです)
ヨーロッパを代表する宗教建築最高傑作のひとつだそうです。
現存する大部分は、1194年の火災の後に建てられたのです。
二つの塔は向かって左がゴシック様式の「新鐘塔」、右がロマネスク様式の「旧鐘塔」。正面、南北のポルタイユ(門)の美しさ、「シャルトルの青」とたたえられる青いステンドグラス、パイプオルガンなども世界的に有名です。

又、街の綺麗な事と云ったら素晴らしいの一語です。
一軒一軒の家が花で飾られ、正直、こんな綺麗な街は今迄見たことありませんでした。




シャルトルのノートルダム大聖堂の塔 インターネットより転載




大聖堂の青のステンドグラス インターネットより転載




大聖堂の後ろ側より撮影




街中より大聖堂を見る




この街灯、凄くお洒落だと思いませんか









尚、古い写真シリーズは今回で終わりとします。
まだ、他の出張、家族旅行等でストックした写真がありますので、折に触れアップして行きたいと思っております。
変色写真の数々、お見苦しかったでしょうがお許し下さい。
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寒川神社と大岡越前の墓

2006-01-10 17:02:47 | 写真
8日、友人(ジー様ばかり)と寒川神社から大岡越前守のお墓をめぐるウォーキングに行きました。
8日だと云うのに、寒川神社は大変な人出。
車は大渋滞だったが、此方はウォーキングだったので関係なし。








お御籤



寒川神社にお参りして、一路大岡越前の守忠相の墓のある浄見寺へ向かう。









この浄見寺の傍に茅ヶ崎市が相模川に沿ったところにあった古い農家を移築してあり、中々雰囲気の良い建物でした。
ここの庭で昼食を摂る。








暗かったのでISO1600やはりノイズが出ました。

その後、スリーハンドレットGCの中の道を通り茅ヶ崎駅へ、当日の歩数計は
21,000歩でした。
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古い写真 ⑯ ロワール川の古城巡り

2006-01-07 11:22:30 | 写真
ロワール川の古城巡りに行きました。
最初は「シャンボール城」
ロワール河を渡ってからは、森の中の道を走りつづけます。ロワール地域で最大のシャンボール城(部屋数440室)の周囲には広大な森が広がっています。

16世紀前半のこと、シャンボール城はフランソワ1世の狩猟の館でした。
城の周囲の森は王の狩場でした。その森は総延長 32kmの石の壁で囲まれていました。(そのフランス王フランソワ1世は、ハプスブルク家の皇帝カール5世の最大の宿敵だった。)

現在のシャンボール城はフランス大統領の狩猟場になっているのですが、といっても城で行われるのは狩猟ではなく、その他の催し物。ドゴール氏以降の大統領は狩猟は好まないらしいのです。



シャンボール城





シャンボール城



静かな川面に浮かぶルネッサンスの名城「シュノンソー城」
このお城見たことある・・・方、よくキャンディーの缶にこの城が描かれています。

ロワール川の支流、シェール川に降り立った優雅な白鳥を思わせるこの城は、16世紀の築城以来、多くの女性によって愛され、守られてきたゆえに「6人の女たちの城」の異名をとっています。
その女城主のエピソードのなかでとくに有名なのはアンリ2世の20歳も年上の寵姫ディアーヌ・ド・ポワチエをめぐる物語です。
彼女は王によりこの城を贈られたものの、王の死後は本妻のカトリーヌ・ド・メディシスに城を奪はれてしまいます。
初期ルネッサンス様式とゴシック様式にイタリア風の装飾も融合した珍しい建築様式の城で、18世紀にはモンテスキューやボルテールといった思想家もしばしばここを訪れたとの事です。
<反省>フランス中世史を予め少しでも齧って置けば、「カトリーヌ・ド・メディシス」が如何云う人か分ってずっと興味を持って見られたと思いました。
いずれにしても住みたいとは思いませんでしたが、外観は素晴らしく、風景にマッチして素敵でした。
他にもいくつかの城に行きましたが、天候が悪く写真が上手く撮れなかったので、カットします。
それからジャンヌダルクで有名なオルレアンも途中にありました。




シュノンソー城




シュノンソー城









大広間・・・此処で舞踏会などが行はれていたのでしょうか。




シュノンソー城の庭園



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箱根駅伝

2006-01-03 22:34:58 | 写真
今日3日、箱根駅伝の復路の応援に藤沢に行って来ました。
今日で駅伝の応援はは4回目ですが、何時もながら選手たちの脂肪とは無縁の筋肉美には惚れ惚れします。
自分の腹を摘みながらの感想(汗)
藤沢は丁度8区になるのですが、ドラマが待っていました。
僕の目の前をトップで通過して行った順天堂大学の難波 裕樹選手が戸塚の中継地点前で脱水症状で失速、4位に落ちてしまいました。

優勝した亜細亜大学の選手に拍手!!
参加全選手に拍手!!

スポーツ写真は子供の運動会以外、撮ったことが無いので、ボツ写真ばかり。
かろうじて撮れた物をアップしますが、お見苦しいのはご勘弁を。




順大、難波裕樹選手この時はトップで通過















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