「ないものはない」ヴァージョン@ヘドウィグ(1)からの続きです。
●『Midnight Radio』のラストビジュアル
先日、舞台を観終わった後で友人に「ラストシーンが抜けてたね!」と言って
から気づいた。そうなのだ。あのシーンを見てないせいで、どうしても最後の
『Midnight Radio』でカタルシスに浸ることができなかった私。
それに何か大きなものに抱かれる感じがないまま、あっさり終わってしまった。
これもまた三上ヘドウィグを観た者だけが感じる物足りなさなのだろうか。
2007年版。
トミーの歌う『Wicked Little Town (Reprise)』を聞き、自分のカタワレがトミー
じゃなかった、探していたものは自分の中にあったとヘドウィグが気づいた後、
ウィッグを渡してイツァークを解放する。それから女性に生まれ変わったイツァー
クが戻ってくるのだけれど、二人が舞台の上に立ったまま歌い終える。(よね?)
たしかに、それぞれが自由に生きていくんだという希望のエンディングにはなっ
ているけれど「自分一人で完全」なんだと、はっきりと示してくれる絵はない。
あれ? これで終わり?
ヘドウィグの誕生→崩壊→再生の物語を完全に終わらせるには、カタワレ
(Missing Half)が自分の中にいて、自分一人で完全(Whole)だということを
『The Origin Of Love』みたいに絵で説明してもらわなきゃ。
映画版ではそれがアニメーションのイラストで描かれ、カタワレ+カタワレでは
1つにならない。元から完全な1つだったんだよ、と言うように1つの丸い顔
が現れ、それが刻印としてヘドウィグの肌に刻まれる。
(イツァークにウィッグを渡すシーンの二人の描き方もすごく美しくて切ない。)
2004・2005年版。
トミーの歌によって、ようやくカタワレ探しの旅を終えることになるヘドウィグ。
トミーと同じメイクと衣装だけれど『Midnight Radio』を歌うのは紛れもなくヘ
ドウィグ。「雲が流れるように~信じてほしい~君は完全だと」と歌いながら、
イツァークに別れを告げる。自分を取り戻したと同時にイツァークにもウィッグ
(=自由)を返してあげるシーンはこの作品の中でも最も感動的で美しいと思う。
そのイツァークがこんどは女性に生まれ変わって舞台に戻ってくる。そして、歌
い終わったヘドウィグ(トミー)が舞台から去る。
そこに現れる写真。それはヘドウィグ(三上さん)とトミー(三上さん)。
その2つの顔がゆっくりと重なり合い、やがて1つの顔になる。
あんなに探していたカタワレは実は自分のことだった。自分はもともと完全なん
だということがメッセージとして残されるラストビジュアル。
そのメッセージは『Midnight Radio』の中で歌われていることと同じ。
三上ヘドは歌を通じて言ってくれた。力強く、美しい日本語で。
私たちを包み込んでくれた。自分自身も傷ついたその心で。
「息して 感じて 愛して 考えて
すべてを 知るの 魂で
雲が流れるように 信じてほしい きみは完全だと」
「大丈夫だから 手を取り合って そばにいるから」
「それぞれの 歌がある 落ちこぼれも 負け犬も
そう きみは Rock and Rollers 踊ってよ You Rock and Roll」
自分のことを歌いながら、その詞はそこにいる観客すべてにヘドウィグが直接届
けたいと願い歌っているのだということが、はっきりとわかった。
男も女もない。みんな一人。大丈夫、そばにいるから。
とても深くて大きな、熱くて優しいメッセージに抱かれながら、いつまでも聴い
ていたかったラストソング。それが『Midnight Radio』。
魂にダイレクトに触れることのできる歌・・・そう思った。
ヘドウィグの誕生→崩壊→再生の物語は、やはり『Midnight Radio』とラストの
ビジュアルがセットになって完結するんじゃないだろうか。
●●●●●●
そういえば、今回はロックに関するネタがずいぶん省かれていた~。都市名を
つけたバンドの名前とか。ロック・ネタで遊ぶことも全然なかったし。
ただ、2007版の山本ヘドウィグの歌い方は熱くなりすぎず、凛とした感じで好き。
そういうところはJCMに似ている。
もちろん、三上ヘドウィグのシャウト混じりのパワフルな歌い方も好き。
もしまたこの作品が違うキャストで上演されたらやっぱり観に行くんだろうな。
今回これを書くのに、カンペキに封印していた過去を掘り起こしてしまった。
某BBSの過去ログ(まだ残っている!)の自分の投稿や当時配信して頂いたML、
自分が書いたメール等を読み返し、2004年版ライブCDもついついリピート。
おかげでどっぷりヘドウィグ漬け。で、思った。もうねえ・・・
日常生活に影響のあるこういう封印はめったに破るもんじゃないなあ~!(笑)
「ないものはない」ヴァージョン@ヘドウィグ(1)(このブログ内の関連記事)
ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ 観劇メモ(このブログ内の関連記事)
>「Midnight Radio」のラストビジュアル
まさしく、これだ!(笑)
自分で感想書いてても(何か大きな事を忘れてる)と、思っていたものの、
それが何だが全然思い出せず、モヤモヤしてたの。
そうよ!「再生」が無かったのよね。
これ、最大のメッセージだよねぇ。
ムンパリさんのおかげでスッキリしたわ♪
しかし、なんで自分気づかなかったんだろう?
(中途半端な崩壊だったから?(毒))
私、未だに三上版のライブCDを聴いては、
その歌詞の意味を何度も何度も胸に刻んでいるような気がします。
そして映画を観てはHEDWIGの可愛らしさに惹き込まれ、
嘆きに共感し、崩壊で涙し、、、
もうドップリ浸かってますね。(笑)
しかーし!
私には東京ファイナルが残ってます。
「初心」に返って、成長した山本HEDWIGを堪能して来たいと思います♪
ムンパリさん!
最高の「ないものはない」ヴァージョン、有難う!
私、リアルタイムで書けなかったから、今回はじめて感想を書いたようなものなんです。
> そうよ!「再生」が無かったのよね。
> これ、最大のメッセージだよねぇ。
そうなんだよねー。まさか、今回あれを蛇足だと思ってカットしたんじゃないでしょうね! もしイラストや写真を使わないなら、それに代わる何かを見せてほしかった。いろんな部分を整理してわかりやすくしたつもりかもしれないけれど、最後に『The Origin Of Love』の本当の結末を示してくれないと、え? ってなってしまう。エンディングがただの仲直りのハッピーエンドになってしまうんだよね。「きみは完全だ」って言ってほしい!!
ところで、某BBSで麗さんの名前発見!(笑)。トレーラーハウス/おうし座/B型さん(笑)。私も兵庫/おひつじ座/A型、ピュアというHNで参加してます。麗さんの投稿もしっかり読み直しましたよー(笑)。今でもウンウン頷けます♪
いまでもあのサイトの方たちといいおつきあいをさせて頂いてま~す♪
> しかーし!
> 私には東京ファイナルが残ってます。
> 「初心」に返って、成長した山本HEDWIGを堪能して来たいと思います♪
了解!! 楽しんできてよー。
山本ヘド、私のお薦めは、『The Origin Of Love』のときの指さし確認です。
ファイナルのヘドウィグを「さあ、倒しなさーい!!」
見つかっちゃった♪(笑)
もうね、BBSに書き込まれる皆さんの感想や、
その日のネタが楽しくて毎日覗いてましたからねぇ。
思わず自分も参加したくなって、
一度書き込みしたら止まらなくなってました。(笑)
コスプレして大千秋楽に参加したのも、
良い想い出になってます♪(笑)
てな訳で、山本ヘドのファイナル!
「引き倒して」くるわよぉ~ん。(笑)
いつもいつも楽しみに覗いてましたよ。
日替わりのネタが楽しかったですもんね!
私も嬉しくてついつい参加してしまいました。
それより、麗さんも!!!!!
コスプレしてたんだー。立派なヘドヘッドじゃんっ。
その頃に知り合ってみたかったなあ~(笑)。
季節は夏だったし、すごく開放的な気分で
みんなが仲間のような気が(勝手に)したものでした。
あっはっは! そうだった。
2007年ファイナルは「引き倒して」ねーっ!!
やっとコメントすることができました。
わたし宛の日記も、なななんと気づいたの今日でして
ひたすらご免なさいです!
やっぱり、「ないものはない」バージョンに、私も共感です。
山本ヘド、すごく歌上手だったけど、なんだか客席との一体感が薄くてなんだか辛かったのです。
舞台の設定的には、最初の「物珍しもの見たさ」な雰囲気は良かったかもしれません。
けど、その状態からグイグイ、ヘドウィグの”魅力”で盛り上げて欲しかった。歌だけでは盛り上がれません。。。
せっかく『Wicked Little Town』まできてうおおって思ってきたのに、
なんでイツァークの長髪のヅラまでとるねん。。。!?
ここでポッキリ折れてしまいました。
素直に腕を上げられなかったのです。
ホンマ違う演出家で山本へド見てみたかったって、切実に感じますね!
うまいだけにもったいないです。
演出でだいぶマイナスで、できるだけ純粋に楽しもう~と思ってたのだけど、私には無理でしたぁ。
同行のダンナは、非常に楽しめたみたいですけどもね。
うちも三上版CD、聴いちゃいましたよ~
客席との距離の近さに泣きそうです。
三上ヘドの最後の日に、一緒に見られたことは奇跡ですね☆
(また後日、先日の日記にレスさせていただきます。明日からやっとの新婚旅行にでかけるんです*^^* しかし寝不足だ!)
長文失礼いたしました↓
あ~スッキリした!
勝手に観劇体験&私生活を暴露(笑)しちゃったので、怒ってるかもって思ってた・・・ナンテネ。
コメントまで頂いちゃって、どうもありがとーねー♪
そっかー、イツァークの長髪ヅラ脱ぎ事件で、素直に腕を上げられなかったのねー。うんうん。
私は観劇当日は三上ヘドのことをカンペキに封印して、友人といっしょに楽しんだので、腕も上げたし、歌もいっしょに歌ったよ。でも、封印を解いたら、この通り(笑)。
楽のZeppの最前列、ほんとミラクル~!!
> あ~スッキリした!
今回の公演は、もしかして前ヘドを知ってる人のほうが辛かったかもね~。私もchimacoさんと同じく、思っていることをここに書いてスッキリした~。次回もしこの作品が上演される時は、演出家の考えをよく聞いてから観ようね!(笑)。
で、いま新婚旅行中? どうぞごゆっくり。思い出深い、楽し~い旅になりますように♪
「あるもの、ないもの」ヴァージョン楽しく拝見しました。三上氏のヘドは未見で、JCMの映画で予習をし山本ヘドの舞台に臨んだんですが、感動まで辿り着けず、果たして映画と伝えたいことは同じだったんだろう~かと・・?
トミーが「WICKED LITTLE TOWN」を歌う前に「どこかで聞いているあの人のためにも歌う・・」という台詞三上氏でもあったんでしょうか?
ウィグも「THE LONG GRIFT」歌う前にはずしてしまうのは何か意味があるんでしょうか?
あと 最後トミーがいるであろう方を向いて暗転終了も?
「MIDNIGHT RADIO」ジョンヘドは浄化されたように感じられた(笑顔もあり)けど山本ヘドは力強い歌声ではあるけどまだ蟠りが残ってるように感じられました
ま・人それぞれの感じ方ではありましょう~が・・
ファイナルも終了し今更なのですが、ヘドウィグに詳しい方のご意見が知りたくコメントしてしまいました。すいません。
コメントいただき、とってもウレシイです。
私自身もそんなふうにヘドウィグに興味を持ち、どんどん深みにはまっていったのを思い出します(笑)。
ご質問についてですが、わかる範囲内できちんと書きたいと思いますのでもう少し待って頂けますか?
すみません。いま別のことが頭を占領してて(笑)。こんな不器用な私をおゆるしくださいね。
とりあえず、すぐに書けるものだけ先に書いておきます。残りは後日に・・・。
> トミーが「WICKED LITTLE TOWN」を歌う前に
> 「どこかで聞いているあの人のためにも歌う・・」
> という台詞三上氏でもあったんでしょうか?
あります。以下、ライブCDより。
「今夜は彼女はどこにいるかわかりません。でも、みんながうーんと静かに聴いてくれたら・・・ひょっとしたら・・・僕の声が彼女の耳に届くかもしれません」
未見の人には先入観を持ってほしくないのですが、すでに舞台を観られたのでしたら三上ヘドウィグのライブCD、ぜひ聴いてみてください。きっと心に触れるものがあると思いますよ。
●HEDWIG AND THE ANGRY INCH
オリジナル・ジャパニーズ・キャスト・ライヴ・アルバム
「パルコ劇場 オンラインショップ」CDのコーナーにあります。
https://www.dpcity.com/cgi-bin/play_order/play_shops/shop_s.cgi?page=newgoods.html&cart_id=
できたら、深みに入り込みたくはないのですが・・
三上氏のCDもすでに注文していて来るのを楽しみに待ってる状態であります。
疑問に思ってた答えありがとうございます。
トミーの台詞も鈴勝さんがつけたもの?って思ってました。
実は困りました。三上さんの舞台の記憶が薄れていて(笑)。
映画版と舞台版とでは構成が違うし、オリジナル(英語)の台本も持っていませんし。
そこで、2004年当時にMLを通じて知り得た内容を元に、思い出しながら書いてみます。(私には宝物といえる資料!三上版上演時にはイロイロ素敵な交流がありました。)
> ウィグも「THE LONG GRIFT」歌う前にはずしてしまう
> のは何か意味があるんでしょうか?
まず、ここの状況を思い出してみますね。
「WIG IN A BOX」の歌でもわかるようにヘドウィグがウィッグをはずすのはスイッチオフの意味。ここではTOMMYの事で一番辛い部分を語ってしまったことで、これ以上歌が続けられなくなったという感情をよく表していると思います。
バンドがイントロを繰り返してもヘドウィグが歌えないので、バンドメンバーが代わりに歌まで歌ってしまうという曲が「THE LONG GRIFT」。
自分用のスポットライトを消してもらって、観客からは見えない場所で悲しみに沈んでいるヘドウィグと、彼女につきそっているイツァーク。(三上版では心配するイツァークをヘドが遠ざけるという演出だったと思います。)
おそらくオリジナルの台本でも、この歌の時にウィッグをはずすという設定になっているのではと思います。
> あと 最後トミーがいるであろう方を向いて暗転終了も?
三上版で暗転するのは、トミーが「WICKED LITLLE TOWN」を歌った後です。ヘドウィグで暗転終了はしません。
資料によれば、「MIDNIGHT RADIO」が終わった後は暗転せず、舞台奥のドアが開き、まぶしい光とともに大歓声が聞こえてくるんです。
いま舞台で歌っていたヘドウィグ(と同時に大歓声の中で歌っていたトミー)がその光のあふれるほうへ歩いて去っていき、それをイツァークが見送るという演出でした。
そこにヘドウィグとイツァークの写真が現れ、2つの顔が重なって1つになるというラストビジュアル。やがて照明が少しずつ落ちてゆき、バンドとイツァークも去る。
そんなエンディングだったんですねえ。
上の記事本文にも書いていますが、カタワレは自分だった、自分一人で完全なんだという意味合いがはっきりと出ているのが三上版ですね。
映画版でのジョンヘドは、おっしゃる通り、最後に浄化されたように感じられますよね。
三上さんのはまたちょっと違います。・・・それは聴いてのお楽しみということで!