星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

「ないものはない」ヴァージョン@ヘドウィグ(1)

2007-04-02 | 観劇メモ(演劇・ダンス系)
2007年版ヘドウィグの舞台を100%楽しんだ後でフツフツとわいてきた想い。
もしも今回の公演が日本版初演だったら、ヘドウィグのリピーターにはきっと
なってないよなあ。「これがオマエの好きなヘドウィグかい?」って聞かれた
ら、やっぱり困る。
私自身は三上さんのファンというわけではないし、ましてやヘドヘッド(熱烈
なヘドウィグファン)でもないけれど、三上さんの舞台と映画版ヘドに共感し
た一演劇ファンとして、今回「ないものはない」「なくてザンネン!」と感じ
た点を素直に書いておきたいと思った。
2004・2005年版の舞台を観ていない人にも、ある場合とない場合のニュアンス
の違いが伝わればいいなと思って。長いですが、興味のある人はどうぞ。

<2007年版にないもの>
●歌詞の日本語訳
歌詞そのものがストーリーやテーマを語っているものなので、意味がわから
ないと舞台での展開や、キャストの心情を追いかけることができない。
必ずしも日本語の歌詞で歌う必要はないけれど、字幕とか何かの手段で、す
べての観客に平等に伝える努力をしてほしかった。

ということで、2007年版に集中するために封印していた2004年版追加公演の
ライブCDを聴き始めたら、涙が出て止まらなくなってしまった私。
ひとことでいうと、このCDは愛にあふれている。物語の中の愛はもちろん、
作り手、演じ手、観客が一体となって生まれた愛が詰まっていると思う。
特に後半の3曲は、なんとかみんなに届けたいという思いで、三上さん自身
が時間をかけて意訳による作詞でメッセージを伝えたことが大きいと思う。
英語で歌う時も絶対に伝えたい内容は日本語になっていて、それがまた絶妙!

●『Wig In A Box』での合唱
この曲は観客が参加できる曲という設定になっているはず。
今年の東京公演ではそんな気配もなかったらしいが、大阪公演のヘドウィグ
はJCMを真似て歌の途中で「Everybody!」と呼びかけていた。

ちなみに、2004年追加公演ではそのシーンはこんな感じ。(ライブCDより)
ヘド「さあ、あなたたちの出番よ。歌いなさい。後ろに歌詞が出るからね。
   英語だっていいのよ」
  (ここでヘドといっしょに合唱)
ヘド「もう1回くるよ」
  (ここからは観客だけで合唱)
歌が終わると、ヘド「ああ、よくできたわねー、みんなたち♪」


ここで2004年版の公式サイトをチェック。(※サイトの一部は削除されています。)
その中の「舞台写真をupしました!」では、写真の下に『Wig In A Box』の歌
詞がちゃんとアップされている。ラストの『Midnight Radio』でみんなが手を
上げていたのもここに書いてあったからなんだよね。
こういうことの積み重ねが一体感につながったんじゃないかと思う。
この作品の日本初上陸を何がなんでも成功させようとする人々の<作品愛>が
感じられる2004年版サイトが私は大好き♪

●観客とのやりとり
山本ヘドは歌がうまい。だからライブコンサートは楽しいけれど、観客とのコ
ミュニケーションがなくて寂しかったな。お客はヘドを観賞してただけ。
わずかなアドリブも、普通の舞台によくある程度だったしね。
そもそも毒気、ブラックジョーク、ウィットに富んだヘドウィグの会話の中に
知らず知らずのうちに引き込まれてゆくのが観客の運命。今のはアドリブなの? 
台本なの? と思えるようなヘドの話術にスリルを感じたりするんだよね。
それで、ついヘドに反応してしまうお客さんがいたり、逆に客いじりをしてみ
たりするヘド。ちょっとした日替わりの台詞にも毎回ドキドキさせられた三上
ヘドの舞台。ほんとにライブな感じだったなー。

●カーウォッシュ
2007年版の『Sugar Daddy』はヘドとイツァーク、二人の歌が素晴しくてそれ
だけですっごく楽しめた。それはそれでよかったと思う。
ちなみに、2004・2005年版の三上ヘド。手拍子でノリノリの歌の途中、下まで
降りてきて通路を歩き回り、そこでめぼしい人を見つけてカーウォッシュ。
カーウォッシュというのは映画版DVDの特典ディスクを見ればわかるんだけど、
すわっているお客さんの体の上にまたがり、腰を動かして往復するというもの。
そんな協力的なお客さんが必ずいるとは限らないし、役者さんにとってはすご
くリスキーだと思うけれど、これってほんとに場内が盛り上がるから。
なくてもお話は進むけど、やっぱりあってほしい。

●入国管理局ネタ
とにかくブラックジョーク満載のこの舞台で、なければ作品の奥行きが出ない
と私が思うのがこれ。
ヘドウィグに懇願してザグレブからアメリカに連れてきてもらったイツァーク。
想像するに彼(彼女)は短期労働ビザの期限切れ等で不法滞在の身分。イツァー
クがヘドウィグに反抗的な態度をとると「入国管理局が来たー」とヘドに仕返
しされるという小芝居が入るわけだけど。
これはヘドウィグがイツァークを隷属させ、優位な立場でいられる大事な根拠。
二人の結びつきが普通の夫婦じゃないことがよくわかるシーンだと思う。それ
がラストのイツァークの解放につながるんだよね。

入国管理局ネタのない2007年版イツァークは、一人芝居の台詞を分担する役割
のほかに、シャボン玉で演出効果を出したりして、ヘドのそばで世話を焼く人
という感じ。失意のヘドを抱きとめ慰めてあげてるイツァークも2007年版なら
では。それはそれでたしかに筋は通っているんだけどね。解放の意味がかなり
薄れてしまうのがザンネン。

●露骨な表現
今回のヘドはたとえば、ファッ○、フェ○など、露骨な言葉はあまり使わず、
TV放送だってできそうな言葉使いだった。車中のヘドとトミーのセックスシー
ンでも、あとはご想像の通りよ、なんて言ってたし。
体を使って具体的な仕草で表現するのは、三上さんの独壇場だったかも。
マイクを使ってレロレロ・・・とか、ジュルジュル・・・とか(笑)。
最初ビックリしたけれど、これってゲイの人たちのメイクラブについてある意
味、お勉強する(^^;) シーンだと思う。
普通に恋して、純粋にトミーを愛し、でも、メイクラブの方法がほんの少し違
うという決定的な事実からくる別れ、そして裏切り・・・。
ヘドウィグの置かれている環境を感覚的にわかったうえで後半のヘドウィグを
見るから、あの悲痛さがいっそう伝わってくるんだと思う。

曲の中では『Angry Inch』。これはかなり過激な曲。
2007年版では英語だけですませちゃったけど、2004・2005年版では、性転
換手術が失敗して1インチ残ってしまったというくだりを、放送禁止用語連発
の日本語でちゃんと伝えていた。
ヘドが英語で歌っている時、イツァークが日本語で叫ぶ。
「守護天使が居眠りしている間にお股はバービードール!」
そのあとに三上ヘド「手術から目覚めるとアタシのあそこから血が出てた・・・」
とか「アタシのチン○○のあったところ」とか、それはそれはとびきりの日本
語でガンガン攻めて、怒りをぶつけてきたんだった。
あの過激な洗礼は今も忘れられない。

●トマトクラッシュ
カタワレのはずのトミーに拒絶され、自分の作った曲まで盗まれ、身も心もズタ
ズタに引き裂かれて、急に壊れ始めるヘドウィグ。
その象徴的なシーンがトマトクラッシュ。
映画にも三上版にもあるけれど、2007年版ではこのシーンは削除されている。
(ウィッグを取り、ストッキングを引きちぎるシーンはある。)

ヘドウィグが子供のころ歌の練習をしていて、バックアップコーラスではなく、
メインメロディを歌ってしまい、ママにトマトを投げつけられたという語りが
ある。トマトはその頃からの、いわばヘドウィグの分身のようなもの(?)
(トミーに向かって「アンタは私のミルクの出ないオッパイから音楽を搾り取っ
てビジネスにした」と言っていた台詞も想起させるシチュエーション。)

トミーに逃げられた後、失意の中、ヘドウィグは自分のウィッグをはぎ取り、
胸のブラから2つのトマトを取り出し、ブラを引きおろして自分の裸の体にト
マトを叩きつける。観客が息をのんで見つめる後半のクライマックスシーン。
映画ではトマトの果汁がヘドの体にベッタリつき生身のヘドウィグが流した血
のよう。みんなに切り刻まれて体中傷だらけ、という歌詞がダブる。
そして、三上ヘドの舞台。
ウィッグを取り去った惨めな姿で立つヘド。ブラから2つのトマトを取り出し、
その1つにかぶりつき、それから両方の手でトマトを何度も自分の胸に叩きつけ
る。トマトの果肉が客席にまで飛び散って、ヘド自身のかけらが散乱したよう。
この見せかけの自分をブッ壊すシーンは、いつも激しく、かなり異様だった。
トマトクラッシュという<ヘドウィグ崩壊の儀式>。
2007年版の舞台しか観てない人は、ひょっとしてすごいシーンを見逃しちゃっ
たかもね(笑)。

長くなったので続きは(2)に回します。(また明日ね~笑)


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4 コメント

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私も観ましたよん。 (ラカン)
2007-04-03 19:33:25
三上さんのは観ていないのですが。
歌詞が分かりやすいようにきちんと工夫された演出だったんですね~。確かに今回のは原典を知らない人にはものすごく不親切な舞台でしたね。フィーリングだけで乗りきれっちゅうんかい、みたいな(笑)。あんなにメッセージ性の強い楽曲ですら(なかにはしょうもない歌詞もありますが…笑)。なんか作品の精神性をあんまり重視していないような、演出家が一面的な消化のみで作り上げてしまったような印象を受けました…。
それにしても耕史くんは体育会系でしたね(笑)。清濁のダクの方ももっと見せて欲しかったなあ。自制心、ありすぎですよね。
返信する
よっ! ()
2007-04-04 23:31:21
待ってました!(笑)
「ないものはない」ヴァージョン!

もうね、激しく同意!
頷きまくってました。

私も特別、三上氏のファンという訳ではなかったし、
舞台を観るまでHEDWIGという作品自体を知らなかったんだけど、
三上氏が演じたHEDWIGに魂を揺さぶられ、感動し、
惚れぬいた者としては、2007年度版のHEDWIGには、
これ程までの感情の揺さぶりは貰えませんでした。

これはね、ムンパリさんが言っている通り、
「作り手、演じ手、観客が一体となって生まれた愛」が、
全くと言っていい程感じられなかったのが最大の原因。
自分のblogで言いましたが「上っ面」だけなんだよね・・・。

>お客はヘドを観賞してただけ。
ただただ頷くばかりです。(笑)
観客とのコミュニケーションが薄いまま、
「LIFT UP YOUR HANDS」って言われても、、、ねぇ。(笑)

ムンパリさんが書いているように、HEDWIGで大事なシーンが、
今回の舞台ではごっそり抜けていた事に改めて憤りを感じてます。
(入国管理局とかカーウォッシュ、トマトクラッシュとかね)

三上版の時に、カーウォッシュをしている最中の、
HEDWIGを間近で観た回があったんだけど、
なんとも言えない程の”恍惚”とした表情が未だに目に焼きついていて忘れられません。

うわぁ~、私も封印していた記憶が次々と甦ってきたわ。
てな訳で、、、次、いってみよー!(笑)
返信する
そうなんですよ~。 (ムンパリ)
2007-04-05 01:06:46
ラカンさん、こんばんは。
これでも舞台を観た時点ではいっかー、と思ってたんですよ、私(笑)。三上さんのほうがきっと特別なんだろうなと思ってたので、ハナから比べようともしなかったし。
でも、初観劇の人にこの作品の本当のよさが伝わらなかったらヤダナァ~と思って。

> なんか作品の精神性をあんまり重視していないような、
> 演出家が一面的な消化のみで作り上げてしまったよう
> な印象を受けました…。
「ないものがない」ことで、大事なことが伝わらなかった可能性大ですね。地上波で放送されたカットだらけの映画みたいなものかも。

> 清濁のダクの方ももっと見せて欲しかったなあ。
毒気や不健康さ、不快なところが全くないヘドウィグだと思いますよ。耕史くんはほんとはトミーでいたかったんじゃないかなあ。にしても、上半身鍛えてますね~!(笑)

もしもお時間があれば、2004・2005年版を観劇した人のブログを読んでみてください。それからときどきTVで映画版の放送もあるので機会があれば観てみてくださいね。本当のよさがきっとわかってもらえると思います♪
パルコ劇場のオンラインショプで、今なら三上版のCDも買えますよ。
返信する
ついに! (ムンパリ)
2007-04-05 01:07:15
麗さん、書いちまいましたー!!(笑)
封印を破るな、破るな、ってずっと言い聞かせてたんだけどね。
あのCDを聴くとほんとに「愛」がいっぱいで涙が出るよね。CDには麗さんも参加してるんでしょう!(私も気持ちだけはそうよー。)
これほど「ないもの」だらけとは、私も書き出してみて初めて気がついたのよんよんよんよん(笑)。

> なんとも言えない程の”恍惚”とした表情が
> 未だに目に焼きついていて忘れられません。
間近で見るとそーだったんやね~♪ あの時は観客もいっしょになって指笛とか拍手とかで盛り上がってましたよね! いい雰囲気なのよね。

> 観客とのコミュニケーションが薄いまま、
> 「LIFT UP YOUR HANDS」って言われても、、、ねぇ。(笑)
はい~。急に言うことはきけないですよねえ。それも英語だし(笑)。

つぎ、いってみよ!
返信する

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