9月4日の観劇メモに追記するには長すぎるので新たにアップ。
7月以降、8月、9月と未アップの感想がたまる一方なのに、これ
はどうしても書いておきたかったから。
<原作と朗読劇について>
この「家守綺譚」は映画『西の魔女が死んだ』の原作者でもある
梨木香歩さんの小説だ。
時代設定は百年前。小説家志望の男、綿貫征四郎(わたぬきせい
しろう)が京都にある親友の実家に家守として住むことになり、
その二階屋との交流を描いたもの。登場するのは草、花、鳥、犬、
狸、小鬼、河童、人魚、竹精、桜鬼、聖母、亡友等々。
京都らしい疎水の描写が印象的。
原作は植物誌の体裁をとり【白木蓮】【竹の花】【ダァリヤ】な
ど28の植物の名前で章立てされていて、そのうち朗読劇のために
使用されたのは【サルスベリ】【紅葉】【ホトトギス】【檸檬】
【都わすれ】【葛】【サザンカ】【葡萄】の8つ。
おもな登場人物は綿貫征四郎のほか、征四郎の学生時代の親友で
ボート部に所属し、湖で行方不明になった高堂(こうどう)、
飼い犬のゴロー。
<舞台セット、衣装など>
舞台上に置かれた台は庭に面した縁側をイメージさせる。
その上に座布団三枚とミネラルウォター(ラベルをはがしたもの)
が並べられ、向かって右から亀治郎さん、佐々木蔵之介さん、
佐藤隆太さんの順に坐っている。三人の衣装は書生ふうの袴姿。
亀治郎さんはグレーの濃淡、あとの二人は着物が白で袴が紺色。
三人は両足を広げて腰掛けたり、座布団の上で胡座を組んだり
して思い思いに坐り直している。亀治郎さんは女性役が多かっ
たからか、正座をしている姿が最も印象的。
客席が暗くなって耳をすますと蝉の声が聴こえてきた。
舞台奥にはスクリーンに映し出された掛け軸がかかっている。モ
ノトーンで描かれた水辺には鷺が立っていて、その右側にボート
が一艘。(原作の二階屋の床の間にかかっている掛け軸だ。)
一章終わるごとに植物の挿絵が映し出され、短い音楽が入る。
<スケッチ画のように、幻想画のように>
先に本を読んでしまっているのでどうしても原作イメージと舞台
のとの比較になってしまう。
その作業が実はひじょうに新鮮で、楽しいひとときだった。
朗読を聞きながらときには緻密にスケッチされた風景画が舞台に
広がって見えたり、ときには百年前の登場人物が妙に生々しく目
の前に立ち現れたり。
また、一人で黙読しているのとは違って、ああ、ここは笑うとこ
だったのか~、と何度声に出して笑ったことか。
さすがは役者さんたち。世界を創り上げるプロである。
●佐々木蔵之介さん
登場人物の台詞や語り部分の役割分担は決まっているわけではな
く、三人で交代しながら朗読していた。
それでも比率でいえば、蔵之介さんは征四郎の役が多かった。
黙読では日記ふうのツブヤキだったけれど、舞台ではオドオドし
ていたり、びっくりしていたり、冷や汗をかいていたり。
とにかく面白いんである!
(実際に蔵之介さんが胸元から畳んだ手ぬぐいをそっと出し、お
顔をふいておられるところが今も目に浮かぶ。)
とりわけ可笑しかったのが犬のゴローとのやりとり。間とか抑揚
のつけ方が本当に楽しかった。
行方不明になったはずの高堂と再会する場面。近いのに触れるこ
とのできない親友への眼差し、距離感が伝わってくる。
そして、ラストの葡萄。怖れを抱きながら異界の人々と交流する
様子からは相手の視線まで見えるようだった。
葡萄を口にする=あちら側にいってしまうこと、を意味するのだ
ろう。征四郎が相手に敬意を表しつつ、やっと言い終えた言葉。
「家を、守らねばならない。友人の家なのです」
そこから先、やわらぐ空気。あることにあらためて気づく征四郎。
そしてラストの高堂との別れ・・・。
幻想画からクリアな色へと変わる台詞部分がほんとに素敵だった。
●市川亀治郎さん
このひとがいるだけで百年前のイメージが醸し出されている。
演じたのはおもに主人公の親友、高堂。女の人、複数。人間以外
のもの。
原作を読んだ者にとっては、なんといっても高堂に会えたのがう
れしかった。スポーツマンらしいガッチリした体型、姿勢がよく、
ボート部なのに意外に古風な男なんだと感じたり(笑)。
湖で行方不明になり、掛け軸の向こうの世界にいることを全く後
悔していない、むしろあちらの世界を楽しむ様子が伝わってくる、
亀治郎さんの高堂。
湖底に住む姫の話が泉鏡花の戯曲を思い起こさせるのだが、そっ
ちの世界にいる高堂はやはり亀治郎さんが似合う。
女性役の声色の演じ分けは亀治郎さんが得意とするところ。
お隣りの女性の台詞を亀治郎さんがひとたび口にすると、いきな
りお節介なオバチャン!イメージになり笑ってしまった。
一方、悲しい女性は声を落として弱々しく語っておられた。
亀治郎さんならではだったのが、【ホトトギス】のくだり。
尼さん・・・と思い、征四郎は苦しそうな女性を助けたが、介抱
するうちに途中から野太い声に変わり、やがてまた尼さんに戻る
という場面。うまいっ。可笑しっ。ちと恐い~。
これも黙読のときと違って、生身の狸を目の当たりにしているよ
うな不思議さがあった。
原作によればこれは「信心深い狸」で、「畜生の身でありながら
成仏できない行き倒れの魂魄を背負って」「寺へ駆け込んでくる」
のだそうだ。
歌舞伎でいえばスッポンから登場する役を、丁寧にドラマチック
にユーモラスに演じておられた。亀ちゃん、やっぱりスゴイ!
●佐藤隆太さん
さわやかなイメージがある。
三人の中では語り(つまり征四郎の書いた日記ふうの文章)を
読んでいる場面が多かったように思う。もしかしたら征四郎の設
定年齢に近い声かもしれないと思いながら聞いていた。
一番印象に残っているのは蔵之介さんの征四郎に、佐藤隆太さん
が演じる後輩の編集者が原稿を取りに行くくだり。
先輩、後輩のやりとりがむりなく自然に入ってきた。
ひとつだけ勘違いしていた。これは【紅葉】の章なのに、二人の
会話からなぜだか夏の話だと思い込んでいた。
とにかく、暑いさなかの舞台ではあった。
下駄の鼻緒の色が佐藤隆太さんだけ白で、あとの二人は黒だった。
当日のプロブラムに佐藤隆太さんが書かれた一文より引用。
「僕達ならではの距離感で呼吸を合わせ、観に来てくださった方々
に、この作品の不思議で懐かしい情景を思い浮かべてもらえるよう、
そして、少しでも暖かい気持ちになって頂けるように、心をこめて
読みます。」
はい、あったかくなれましたよ。
そして、この朗読劇こそほんとうは痛手を受けた人々といっしょに
聴きたい舞台だと思ったりした。
●このブログ内の関連記事
~今、僕らが出来ること~朗読劇「家守綺譚」 観劇メモ(1)
7月以降、8月、9月と未アップの感想がたまる一方なのに、これ
はどうしても書いておきたかったから。
<原作と朗読劇について>
この「家守綺譚」は映画『西の魔女が死んだ』の原作者でもある
梨木香歩さんの小説だ。
時代設定は百年前。小説家志望の男、綿貫征四郎(わたぬきせい
しろう)が京都にある親友の実家に家守として住むことになり、
その二階屋との交流を描いたもの。登場するのは草、花、鳥、犬、
狸、小鬼、河童、人魚、竹精、桜鬼、聖母、亡友等々。
京都らしい疎水の描写が印象的。
原作は植物誌の体裁をとり【白木蓮】【竹の花】【ダァリヤ】な
ど28の植物の名前で章立てされていて、そのうち朗読劇のために
使用されたのは【サルスベリ】【紅葉】【ホトトギス】【檸檬】
【都わすれ】【葛】【サザンカ】【葡萄】の8つ。
おもな登場人物は綿貫征四郎のほか、征四郎の学生時代の親友で
ボート部に所属し、湖で行方不明になった高堂(こうどう)、
飼い犬のゴロー。
<舞台セット、衣装など>
舞台上に置かれた台は庭に面した縁側をイメージさせる。
その上に座布団三枚とミネラルウォター(ラベルをはがしたもの)
が並べられ、向かって右から亀治郎さん、佐々木蔵之介さん、
佐藤隆太さんの順に坐っている。三人の衣装は書生ふうの袴姿。
亀治郎さんはグレーの濃淡、あとの二人は着物が白で袴が紺色。
三人は両足を広げて腰掛けたり、座布団の上で胡座を組んだり
して思い思いに坐り直している。亀治郎さんは女性役が多かっ
たからか、正座をしている姿が最も印象的。
客席が暗くなって耳をすますと蝉の声が聴こえてきた。
舞台奥にはスクリーンに映し出された掛け軸がかかっている。モ
ノトーンで描かれた水辺には鷺が立っていて、その右側にボート
が一艘。(原作の二階屋の床の間にかかっている掛け軸だ。)
一章終わるごとに植物の挿絵が映し出され、短い音楽が入る。
<スケッチ画のように、幻想画のように>
先に本を読んでしまっているのでどうしても原作イメージと舞台
のとの比較になってしまう。
その作業が実はひじょうに新鮮で、楽しいひとときだった。
朗読を聞きながらときには緻密にスケッチされた風景画が舞台に
広がって見えたり、ときには百年前の登場人物が妙に生々しく目
の前に立ち現れたり。
また、一人で黙読しているのとは違って、ああ、ここは笑うとこ
だったのか~、と何度声に出して笑ったことか。
さすがは役者さんたち。世界を創り上げるプロである。
●佐々木蔵之介さん
登場人物の台詞や語り部分の役割分担は決まっているわけではな
く、三人で交代しながら朗読していた。
それでも比率でいえば、蔵之介さんは征四郎の役が多かった。
黙読では日記ふうのツブヤキだったけれど、舞台ではオドオドし
ていたり、びっくりしていたり、冷や汗をかいていたり。
とにかく面白いんである!
(実際に蔵之介さんが胸元から畳んだ手ぬぐいをそっと出し、お
顔をふいておられるところが今も目に浮かぶ。)
とりわけ可笑しかったのが犬のゴローとのやりとり。間とか抑揚
のつけ方が本当に楽しかった。
行方不明になったはずの高堂と再会する場面。近いのに触れるこ
とのできない親友への眼差し、距離感が伝わってくる。
そして、ラストの葡萄。怖れを抱きながら異界の人々と交流する
様子からは相手の視線まで見えるようだった。
葡萄を口にする=あちら側にいってしまうこと、を意味するのだ
ろう。征四郎が相手に敬意を表しつつ、やっと言い終えた言葉。
「家を、守らねばならない。友人の家なのです」
そこから先、やわらぐ空気。あることにあらためて気づく征四郎。
そしてラストの高堂との別れ・・・。
幻想画からクリアな色へと変わる台詞部分がほんとに素敵だった。
●市川亀治郎さん
このひとがいるだけで百年前のイメージが醸し出されている。
演じたのはおもに主人公の親友、高堂。女の人、複数。人間以外
のもの。
原作を読んだ者にとっては、なんといっても高堂に会えたのがう
れしかった。スポーツマンらしいガッチリした体型、姿勢がよく、
ボート部なのに意外に古風な男なんだと感じたり(笑)。
湖で行方不明になり、掛け軸の向こうの世界にいることを全く後
悔していない、むしろあちらの世界を楽しむ様子が伝わってくる、
亀治郎さんの高堂。
湖底に住む姫の話が泉鏡花の戯曲を思い起こさせるのだが、そっ
ちの世界にいる高堂はやはり亀治郎さんが似合う。
女性役の声色の演じ分けは亀治郎さんが得意とするところ。
お隣りの女性の台詞を亀治郎さんがひとたび口にすると、いきな
りお節介なオバチャン!イメージになり笑ってしまった。
一方、悲しい女性は声を落として弱々しく語っておられた。
亀治郎さんならではだったのが、【ホトトギス】のくだり。
尼さん・・・と思い、征四郎は苦しそうな女性を助けたが、介抱
するうちに途中から野太い声に変わり、やがてまた尼さんに戻る
という場面。うまいっ。可笑しっ。ちと恐い~。
これも黙読のときと違って、生身の狸を目の当たりにしているよ
うな不思議さがあった。
原作によればこれは「信心深い狸」で、「畜生の身でありながら
成仏できない行き倒れの魂魄を背負って」「寺へ駆け込んでくる」
のだそうだ。
歌舞伎でいえばスッポンから登場する役を、丁寧にドラマチック
にユーモラスに演じておられた。亀ちゃん、やっぱりスゴイ!
●佐藤隆太さん
さわやかなイメージがある。
三人の中では語り(つまり征四郎の書いた日記ふうの文章)を
読んでいる場面が多かったように思う。もしかしたら征四郎の設
定年齢に近い声かもしれないと思いながら聞いていた。
一番印象に残っているのは蔵之介さんの征四郎に、佐藤隆太さん
が演じる後輩の編集者が原稿を取りに行くくだり。
先輩、後輩のやりとりがむりなく自然に入ってきた。
ひとつだけ勘違いしていた。これは【紅葉】の章なのに、二人の
会話からなぜだか夏の話だと思い込んでいた。
とにかく、暑いさなかの舞台ではあった。
下駄の鼻緒の色が佐藤隆太さんだけ白で、あとの二人は黒だった。
当日のプロブラムに佐藤隆太さんが書かれた一文より引用。
「僕達ならではの距離感で呼吸を合わせ、観に来てくださった方々
に、この作品の不思議で懐かしい情景を思い浮かべてもらえるよう、
そして、少しでも暖かい気持ちになって頂けるように、心をこめて
読みます。」
はい、あったかくなれましたよ。
そして、この朗読劇こそほんとうは痛手を受けた人々といっしょに
聴きたい舞台だと思ったりした。
●このブログ内の関連記事
~今、僕らが出来ること~朗読劇「家守綺譚」 観劇メモ(1)
又BS103の「フォト575」という番組で愛之助さんが写された写真がアップ、そのフォトを見て575の句を投稿できるようになっています。愛之助さんは10月にその放送に出演されるようですが。
アップがなかなかできないズボラな私をおゆるしくださ~い。
それにしてもこんな大事な情報、どうして私たちが自力で
発見しないといけないんでしょう。
みんなでシェアするって大事ですね。
このたびは背中を押していただき本当にありがとうございました。