歌舞伎の演目にもなっている「山科閑居」。
浪人となった大石内蔵助が隠棲した場所に、9月のある日行ってみました。
小高い山の途中にあるその跡地は、今はな~んにもなく大木とベンチがあるだけ。
傍らには後世の人々が内蔵助を偲んで建てた石塔や石碑がありました。
眺めはいいけれど、伏見の町との間には稲荷山が立ちはだかっているし、やはり都
の賑わいは遠し、という感じ。
いったいどの道を通って色里に通ったの? って思ってしまうほど(笑)。
閑居址のすぐ側、石段を上がったところにある岩屋寺は大石内蔵助ゆかりの寺。
内蔵助は本尊である不動明王に毎日お参りし、大願成就を祈願したそうで、本懐を
遂げて後、邸宅、田畑等を寺に寄進したとのこと。
寺が預かった遺品の中には、愛用の菓子鉢や文机、稽古用の刀などのほかに、主税
が討ち入りに持って行った小さな念持仏や、討ち入りで使われた鎖襦袢などもあり
ました。(お寺の前には遺髪塚があります。)
浅野内匠頭の位牌とともに、討ち入り前に内蔵助が作らせたという47人全員の位牌
を目の当たりにすると、じーんとくるものが。その中には生きて帰らせることになっ
た寺坂吉右衛門の名前も。
同じく討ち入り前に彫らせた木像の四十七士は一人一人顔が違っていて、見た瞬間、
鳥肌が立ってしまいました。
濁り江の にごりに魚はひそむとも など かわせみのとらでおくべき
大石良雄
義士たちが内蔵助の秘めた決意を知ったとされる、自筆の歌も残されています。
・・・と、ここまでは歴史上のお話。実際に大石内蔵助が遊んだのは祇園じゃなく、
伏見撞木町の遊郭だったという話も聞きました。
岩屋寺にある「大石内蔵助手植えの梅」の札 |
岩屋寺から歩いて、すぐ近くの大石神社にも寄ってみました。
立て札によるとここは「赤穂義士大石内蔵助の山科隠棲の地に義挙を顕彰するため、
1935年、当時の浪曲界の重鎮であった吉田奈良丸など、多くの崇敬者により創建さ
れ」た、とのこと。
境内で「一力亭」の立て札を見た途端、気分は一気に『仮名手本忠臣蔵』の世界へ。
大星由良之助が遊んだ一力亭はもともとは「万亭」と呼ばれていたとか。札に縦書
きされたその字も「一」と「力」をくっつけて書いてあり、万の字にも読めました。
宝物殿には手紙等の遺品が展示され、現勘三郎さんや里見浩太朗さんの写真、キム
タクのポスターも。皆さんTVドラマの撮影の際にお参りされたようですね。
●山科閑居址、岩屋寺(いわやじ)、大石神社
JR・京阪山科駅から京阪バス「大石神社前」下車徒歩約10分
または地下鉄東西線「椥辻(なぎつじ)」下車徒歩約20~30分
※12月14日には「山科義士まつり」あり
<こんなところにも♪>
内蔵助が通った法住寺。木像の四十七士はここにも。(東山の三十三間堂向かい) |
来迎院には内蔵助ゆかりの含翠茶庭が。(泉涌寺の近く) |