公演名 ダブル・サイレンス 沈黙の分身
劇場 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
観劇日 2009年6月13日(土) 15:00
座席 1階J列
<振付・美術・照明・衣裳>
勅使川原三郎
<出演>
勅使川原三郎 佐東利穂子
ジイフ 鰐川枝里 塩谷南 高木花文 加見理一
杉下せり 山本奈々 林誠太郎
兵庫公演が追加になった。
遠征あきらめモードの折、ナントあちらから遠征してくださるとは。
ありがたや~。これで行かなきゃ女じゃない!
てなワケで、当初の予定を変更。こっちの劇場に来てしまいました~。
よかったー! 現在進行形の勅使川原さんが見られてうれしかった。
公式サイトによれば・・・(ポスターがちとコワイのよぉ)
「今回のテーマは“沈黙”。完全な無音室内で黙っていたとしても、心臓
の鼓動や呼吸音など、体内から聞こえてくる音が必ずあるという状況で、
人は“沈黙”を経験することができるのか。また、経験できるとするなら
ばそれは強烈な経験となり得るのではないか」。
・・・・・・
だそうだけど、私はなんの予備知識もなしに観た。
ダンスのことはわからないけれど、ただこのひとの創り出す世界が好き!
それだけのミーハーな観客。
今回は全く初めて見る、白いスモークの群舞と振動音の世界を体験。
無音のときのダンサーの息づかいまでが計算された、超ミニマル&贅沢な
世界を味わうことができた。
ついでに書くと、4年前に神奈川県で観たときは観客に若い人が多いと感
じたけれど、今回はご高齢の観客が多かった。
これは長い間、地方公演がなかったということでは?
きっと地方の若者には勅使川原三郎を知るチャンスがないのだと思う。
だから、もっと地方に来てくださーい!!(←けっきょくこれかいっ!)
<ダンスとからむ舞台装置>
スモーク。
ビジュアル的には超ミニマリズムなステージ。
何もない空間に、ほぼ照明だけで変化をつけているようだった。
が、そこにスモークを出現させることでステージが一変。
シチュエーションに合わせ、床からプチ間欠泉のように吹き出るスモーク
は、数十秒滞在して、ゆっくりと形を変えながら消えてゆく。それは人間
の影のようにも、沈黙の白い群舞のようにも見えた。
スモークはすわった人間の手から吹き出たり、仰向けになった人物の口か
ら吹き出ているように見えるパターンもあった。
勅使川原さんのソロのときに一度だけ、パンッと音がして、舞台を切り裂
くように水平にスモークが走った。そのときはゾクッとした。
音。
ブーンという機械の運転音のような超低音。
聴こえなくなるまで徐々にあげてゆく、キーンという高周波音。
集団の人間の声は「塊」として聴こえたり、個々の罵声として聴こえたり。
それらの音がとぎれたとき、無音の状態に切り替わる。
でも、無音は完全な静寂ではない。
10列目の私のところにもダンサーの息づかいが聴こえてくる。
踊り続けるための呼吸音は力強いと感じたり、激しい動きの中でもそれな
りに規則正しいことがわかったりした。
色。
旋律のない音だけの時はコスチュームも照明もモノトーンの世界。
クラシック音楽に合わせて集団で踊ったときだけカラフルな衣裳だった。
その時はのびやかで心地よい・・・でもふつうっぽいダンス。
<ダンスの雰囲気をちょっとだけメモ>
イントロはこんな感じ。
照明が消され、場内が闇に沈むと聞こえてきたのはブーンという低い音。
いや、音というより振動だ。音=振動。
振動は客席にまで伝わってきて、ちょっと不快感を伴う。
ステージがほの明るくなると、ショートヘアの人が背を向けて立っている。
(佐東利穂子)
頭と上半身が小刻みに揺れている。「痙攣」にも見える小刻みな運動。
ステージの奥に男性が登場。こちらを向いて同じような動きをしている。
(勅使川原三郎)
二人は直立歩行をしようとするが、振動のせいでうまく歩けない・・・
そんなふうに私には見えた。
やがて奥の一人が消え、残された一人が踊り出す。
もう痙攣じゃなくダンスに変わっている。
途中で振動音がプツッと途切れると、無音の状態がしばらく続く。
耳をすますとダンサーの息づかいが聴こえてきた。
ソロの佐東さんのダンスは体のキレもよく、しなやかでとてもエネルギッ
シュ。勅使川原さんの世界をカンペキに体現している感じ。素晴しい!
手が描く軌跡が阿修羅像の手のように残像となって見えるのが美しい。
集団で踊るダンサーたちがあとから登場。
十代の若い人も混じっていた。ソロの佐東さんが勅使川原さんのダンスの
統合形とすれば、さらに若いダンサーたちはそれぞれがパートを受け持ち、
全員でその世界を表現しているよう。
特に三人が一体となってズレながら横に倒れてゆく動きがすごい。起き上
がっては倒れ、倒れては起き上がる動作のリピート。
独特の振付がこんなふうに伝えられていくんだな、とちょっと感動。
沈黙に向かおうとするダンサ-たちは、音=振動によって制約を受けている
ようにも、自由になれるようにも見えた。
<勅使川原三郎さん>
やっぱり、このひとのソロ公演を見るのはもう難しいんだろうか?
今回も4年前も体の動きは変わらないと思うのだけれど。
勅使川原さんが数人のダンサーとからむシーンがあった。
背を向けて立っている向こう側に、男女がこっちを向いて立ち、何か声を
発している。ヒソヒソ話がだんだん音の塊に。音塊はやがて聞き分けられ
るほどの罵声へと変わってゆく。
ここでも直立歩行困難みたいなポーズ。それがダンスになっているのが
このひとらしい。
ステージ前方に出てきて踊っているときは、うまいとかそういう表現を超
えた存在感に息をのむ。
手を前に突き出す。それを制する手。口を開け何かを言おうとする。それを
制する心。みたいな、二つの相反することを同時にしようとする振付に見
入ってしまう。
深呼吸したように見えた瞬間、ほっとした。
実質約70分で、カーテンコールは10分ぐらい。
次にナマで観られるのはいつのことだろう?
一度でいいからガラスものをナマで見たい。
きっかけはTV映像で見た『青い隕石』、「月の駅」。
光の中、ガラスの破片の上でステップを踏む白塗りの若者の姿に、わけも
なく惹き付けられた・・・。
初めてナマで観たのは「DAH-DAR-SKO-DAH-DA」京都公演。
一番最近では、「BONES IN PAGES」。
見られない間をつなぐのは、わずかのTV映像と雑誌・ネット情報だけ。
2006年の「ガラスノ牙」はTV映像だけど、久々のガラスものに大コーフン♪
これはいつかまた、ぜひ地方でも再演してほしい。