公演名 赤い城 黒い砂
劇場 京都南座
観劇日 2009年4月5日(日) 11時30分開演
座席 3階1列
観劇日 2009年4月5日(日) 16時開演
座席 1階6列
第一印象のコーフン状態は先日書いたので、今回はちょっと冷静に(笑)。
個人的に相変わらず疑問は疑問のままだし、妄想自由度のかなり高い作品だ
と思うので、勝手な思い込みで書いてしまおう。
ここからは思いっきりネタバレ全開ですので、これから楽しまれる人はくれ
ぐれもご注意ください!!
それから、日替わり場面やコスチューム編レポなど、書いても読んでもオイ
シイことはゼーンブまとめて次回の予定♪
<キャスト、スタッフなど>
作:W・シェイクスピア/J・フレッチャー
脚本:蓬莱竜太 演出:栗山民也
ジンク(黒い国の獅子):片岡愛之助 カタリ(黒い国の獅子):中村獅童
ナジャ(赤い国の王女):黒木メイサ 牢番の娘ココ:南沢奈央
カイナ(ナジャの姉):馬渕英俚可 牢番ヨム:田口守
武器商人モト:中嶋しゅう クジャ王(赤い国の王):中山仁
商人タムド:児玉真二 赤兵士ヤズナ:井上恭太
商人カナメ:川上彌生 アネゴ:瀬戸摩純
医者バクト:小椋毅 ハッタリ:津村知与支
ズル:古山憲太郎 ソナコシ:西條義将
パーカッション:山田貴之
<あらすじ>
草原が広がる大地に二つの国があった。
赤い国と黒い国。
二つの国は絶えず戦争を繰り返していた。
黒い国には、「黒い国の獅子」と謳われる二人の英雄がいた。
冷静沈着な男ジンク(片岡愛之助)、自信家のカタリ(中村獅童)。
二人は無二の親友として育ち、戦場では目を見張る活躍ぶりを見せていた。
赤い国には、その勇猛さから「赤い国の魔女」という異名を持つ女がいた。
王女ナジャ(黒木メイサ)。
戦場で刀を交わす三人。
ナジャの美貌とその剣技の美しさに心奪われるカタリ。
運命の出会い。
そこへ、突然の閃光――訪れる静寂――
赤い国の兵器により、黒く焼き爛れた大地。
そうして三人は、荒れ狂う運命に巻き込まれていく――
(公式サイトよりそのまま引用)
<舞台装置など>
・開演前
舞台左右に城のシルエットが遠景で描かれている。
舞台中央に大きな布が垂らしてあり、その向こうに階段が少しのぞいている。
全体に赤と黒だけの色使い。大きな布だけが青。
・階段
階段の上はクジャ王の部屋になったり、戦場の見通しのよい場所、御前試合
の競技場、盗賊たちの出没する荒野の高台になったりする。
・回り舞台
城内と地下牢が180度反対側にセットされていて、暗転による話の流れの切断
がないのがいい。登場人物たちが迷路のような城内を進むシーンでは、回り
舞台によって城の風景が変わってゆく。回り舞台がいわば道中を追いかける
カメラの役割をしていて面白かった。
・地下牢
牢獄には地上からの光が差し込んでいるだけ、に見える。
3階から見ると、牢獄の地面を下から青いライトで透過させていて美しい。
再び1階で確認すると地上からの光がかすかに届いている感じがちゃんと出
ているのは、下からのライトのせいだとわかった。
舞台装置はすべて上階から見たほうが圧倒的に楽しめる。
<赤と黒 プラス 青>
赤と黒の戦いに、青の要素をプラスしたのが原作と大きく違う点。
青=武器商人、モト。
あるいは『マクベス』における魔女。
あるいは、悪魔。
冒頭で口上を述べる代わりに、青い服を着た男が登場し、こう言い結ぶ。
「知らないことこそ罪なのだ。私は、世界が知らないことを教えるために来た。
私はこの世界のきっかけであり、この世界のモトだ。」
隙あらば誰か人間を餌食にしようとしているこの存在が、物語に大きな影を落
とすことになる。
<ジンクとカタリ プラス 青>
王女ナジャが自国のまがまがしい歴史について、ボタンの掛け違いだと言った
が、ジンクとカタリ、無二の親友だった二人も、あるときからずっとボタンを
かけ違えたまま結末を迎えてしまったように思う。
その原因となったのはナジャ。
カタリが敵国の王女をひとめ見て、恋をしてしまったから。
一点の曇りもないほどに親友として愛し合っていた二人に、一滴の「悪意」が
落とされた瞬間だ。ポトン、と。
「こんな時に敵国の王女に恋するなんて、笑ってでもいないと泣いてしまう」
と牢獄で話すジンクの心の中は、兄弟同然のはずのカタリへの失望と嫉妬、
そのうえ極度の頂上志向もあわさって、真っ暗闇だったに違いない。
この直後からだ。ジンクのカタリへの接し方が変容するのは。
ジンクの態度が変わっていく理由がカタリには全くわからなかったと思う。
「たどってもたどってもボタンをかけ違えた場所がわからない」のはナジャの
台詞だが、その状態こそカタリの気持ちだったのではないだろうか。
(あれほど憎々しいジンクだけれど、この場面まではとてもかわいらしい
しね♪)
一滴の悪意を抱いてしまったジンク。そのにおいをモト=悪魔が嗅ぎ付け、声
をかける。
(ジンクの最後の行動、言葉についてはあらためて書いてみたい。ここ、物議
をかもすポイントだもんね。それを受けたカタリの言葉も。実はここがワタシ
的に一番胸にしみたシーンでもある。)
<男と女 プラス 青>
滅びゆくのは男たち。国を救うのは女たち。
ラストシーンはそんな対比になっていた。
年老いた王は人生は暇つぶしだと言いながら息絶え、次代を造り上げるはずの
若者二人は死ぬ。
武器商人と手を組んだ男たちが次々と死んでゆくのは象徴的だ。
これは、人間の運命は神が握っているという意味の台詞で結ぶ原作とは逆のよ
うに思える。
人間の所業をコントロールするのは悪魔だと。神ではなく。
冒頭の「私はこの世界のきっかけであり、この世界のモトだ」という言葉を
思い起こさせてゾッとする。
勝負の結果にこだわり、結局は己自身のことしか考えていなかった男たち。
その点、つねに国を、民をどうするかというビジョンを持って行動していたの
は、女であるナジャだった。
自分を取り合った男たちの死に直面し、自分の父の葬儀を民衆に知らせながら、
国を捨てて逃げ出そうとする民の前にすっくと立ち、赤い旗を掲げよ!
と叫ぶナジャはあのドロクロワの描いた、民衆を導く自由の女神みたいだ。
豊かな時代は終わった、だがこんな時でも子を産め。育てよ。お前たちのこと
は私が守る、と宣言するナジャの言葉には鳥肌が立ち、涙が出てしまった。
(メイサさん、ほれぼれするほどカッコいいしね!)
ナジャはこう続ける。
立ち去る者はいつでも思い出せ、祖国のこの赤い旗を。そして、生きよ!
国を出ようとした民衆たちはその声に足を止め、ナジャのもとに跪く。
(ナジャの次なる敵は、いよいよ青だ。)
ここで、野田秀樹氏が書いてきた幾つかの作品を思い出す。
『パンドラの鐘』のヒメ女、『贋作 罪と罰』の三条英、近作では『パイパー』
のフォボス(の母)。
国家を治める女、選ばれた人間だと自覚している女、子を産むことで滅亡する
星に希望を咲かせる女。
蓬莱竜太さんの脚本は今回が初めてなので、作品傾向は全くわからないけれど、
こういうフェミニズム的な要素は今までにあったんだろうか。
この国では女王が死んだら神になる、という設定も重要なキーワードであると
思う。
ナジャ自身には母性は感じないが、本能的にとってきた行動が「女」的だった
といえると思う。
国を栄えさせるのは民であり、命を生み出すのは女性にしかできないこと。
戦が好きで、血が好きなナジャではあるが、相手の国を滅ぼすことには興味が
ないように思える。
もう一人の女、ココ。
牢番の娘ココはカタリを地下牢から逃がした後、父との近親相姦めいた関係や
兵士たちの慰みものにさせられたことで精神に異常をきたし、それと同時に
いつのまにか不思議な力を持つようになる。
言葉を発するだけで兵士を殺すことができるようになったココ。
「私、兵隊さん、キライ」。これだけで次々と死んでゆく兵士。
これは何を意味するのだろう?
私はこう結論づけた。
ココは戦争を起こす者の象徴として兵士を嫌っている。これは「戦争はやめて」
と叫ぶ女性たちの心の声を代表しているのでは?
兵士を嫌うココが、戦好きのナジャのもとに最後に寄り添っているのは、ナジャ
の戦いが国と民を守るための戦いだと本能で察知しているからだと思う。
相手をやみくもに滅ぼす戦いではなく。
長々と書いてしまったので、本日はここまで。
ジンクの最後の言葉について。ジンクは本当にカタリを○○○○としたのか?
についてはまたあらためて。
もう一つの疑問点は赤い国の秘密について。これがイマイチわからなくて今も
モヤモヤしたままだよ~。
赤い城 黒い砂 京都南座公演(7)大ネタバレ編その4(このブログ内の関連記事)
赤い城 黒い砂 京都南座公演(6)大ネタバレ編その3(このブログ内の関連記事)
赤い城 黒い砂 京都南座公演(5)大ネタバレ編その2(このブログ内の関連記事)
赤い城 黒い砂 京都南座公演(4)大ネタバレ編その1(追記)(このブログ内の関連記事)
赤い城 黒い砂 京都南座公演(2)千秋楽カテコ(このブログ内の関連記事)
赤い城 黒い砂 京都南座公演(1)(このブログ内の関連記事)
二人の新聞記事(このブログ内の関連記事)
「赤い城黒い砂」インタビュー@ヴァンサンカン4月号(このブログ内の関連記事)
「五月花形歌舞伎」と「赤い城黒い砂」(このブログ内の関連記事)
「赤い城 黒い砂」会見と衝撃のポスター♪(このブログ内の関連記事)
舞台「赤い城 黒い砂」の新聞記事が!(再追記版)(このブログ内の関連記事)
劇場 京都南座
観劇日 2009年4月5日(日) 11時30分開演
座席 3階1列
観劇日 2009年4月5日(日) 16時開演
座席 1階6列
第一印象のコーフン状態は先日書いたので、今回はちょっと冷静に(笑)。
個人的に相変わらず疑問は疑問のままだし、妄想自由度のかなり高い作品だ
と思うので、勝手な思い込みで書いてしまおう。
ここからは思いっきりネタバレ全開ですので、これから楽しまれる人はくれ
ぐれもご注意ください!!
それから、日替わり場面やコスチューム編レポなど、書いても読んでもオイ
シイことはゼーンブまとめて次回の予定♪
<キャスト、スタッフなど>
作:W・シェイクスピア/J・フレッチャー
脚本:蓬莱竜太 演出:栗山民也
ジンク(黒い国の獅子):片岡愛之助 カタリ(黒い国の獅子):中村獅童
ナジャ(赤い国の王女):黒木メイサ 牢番の娘ココ:南沢奈央
カイナ(ナジャの姉):馬渕英俚可 牢番ヨム:田口守
武器商人モト:中嶋しゅう クジャ王(赤い国の王):中山仁
商人タムド:児玉真二 赤兵士ヤズナ:井上恭太
商人カナメ:川上彌生 アネゴ:瀬戸摩純
医者バクト:小椋毅 ハッタリ:津村知与支
ズル:古山憲太郎 ソナコシ:西條義将
パーカッション:山田貴之
<あらすじ>
草原が広がる大地に二つの国があった。
赤い国と黒い国。
二つの国は絶えず戦争を繰り返していた。
黒い国には、「黒い国の獅子」と謳われる二人の英雄がいた。
冷静沈着な男ジンク(片岡愛之助)、自信家のカタリ(中村獅童)。
二人は無二の親友として育ち、戦場では目を見張る活躍ぶりを見せていた。
赤い国には、その勇猛さから「赤い国の魔女」という異名を持つ女がいた。
王女ナジャ(黒木メイサ)。
戦場で刀を交わす三人。
ナジャの美貌とその剣技の美しさに心奪われるカタリ。
運命の出会い。
そこへ、突然の閃光――訪れる静寂――
赤い国の兵器により、黒く焼き爛れた大地。
そうして三人は、荒れ狂う運命に巻き込まれていく――
(公式サイトよりそのまま引用)
<舞台装置など>
・開演前
舞台左右に城のシルエットが遠景で描かれている。
舞台中央に大きな布が垂らしてあり、その向こうに階段が少しのぞいている。
全体に赤と黒だけの色使い。大きな布だけが青。
・階段
階段の上はクジャ王の部屋になったり、戦場の見通しのよい場所、御前試合
の競技場、盗賊たちの出没する荒野の高台になったりする。
・回り舞台
城内と地下牢が180度反対側にセットされていて、暗転による話の流れの切断
がないのがいい。登場人物たちが迷路のような城内を進むシーンでは、回り
舞台によって城の風景が変わってゆく。回り舞台がいわば道中を追いかける
カメラの役割をしていて面白かった。
・地下牢
牢獄には地上からの光が差し込んでいるだけ、に見える。
3階から見ると、牢獄の地面を下から青いライトで透過させていて美しい。
再び1階で確認すると地上からの光がかすかに届いている感じがちゃんと出
ているのは、下からのライトのせいだとわかった。
舞台装置はすべて上階から見たほうが圧倒的に楽しめる。
<赤と黒 プラス 青>
赤と黒の戦いに、青の要素をプラスしたのが原作と大きく違う点。
青=武器商人、モト。
あるいは『マクベス』における魔女。
あるいは、悪魔。
冒頭で口上を述べる代わりに、青い服を着た男が登場し、こう言い結ぶ。
「知らないことこそ罪なのだ。私は、世界が知らないことを教えるために来た。
私はこの世界のきっかけであり、この世界のモトだ。」
隙あらば誰か人間を餌食にしようとしているこの存在が、物語に大きな影を落
とすことになる。
<ジンクとカタリ プラス 青>
王女ナジャが自国のまがまがしい歴史について、ボタンの掛け違いだと言った
が、ジンクとカタリ、無二の親友だった二人も、あるときからずっとボタンを
かけ違えたまま結末を迎えてしまったように思う。
その原因となったのはナジャ。
カタリが敵国の王女をひとめ見て、恋をしてしまったから。
一点の曇りもないほどに親友として愛し合っていた二人に、一滴の「悪意」が
落とされた瞬間だ。ポトン、と。
「こんな時に敵国の王女に恋するなんて、笑ってでもいないと泣いてしまう」
と牢獄で話すジンクの心の中は、兄弟同然のはずのカタリへの失望と嫉妬、
そのうえ極度の頂上志向もあわさって、真っ暗闇だったに違いない。
この直後からだ。ジンクのカタリへの接し方が変容するのは。
ジンクの態度が変わっていく理由がカタリには全くわからなかったと思う。
「たどってもたどってもボタンをかけ違えた場所がわからない」のはナジャの
台詞だが、その状態こそカタリの気持ちだったのではないだろうか。
(あれほど憎々しいジンクだけれど、この場面まではとてもかわいらしい
しね♪)
一滴の悪意を抱いてしまったジンク。そのにおいをモト=悪魔が嗅ぎ付け、声
をかける。
(ジンクの最後の行動、言葉についてはあらためて書いてみたい。ここ、物議
をかもすポイントだもんね。それを受けたカタリの言葉も。実はここがワタシ
的に一番胸にしみたシーンでもある。)
<男と女 プラス 青>
滅びゆくのは男たち。国を救うのは女たち。
ラストシーンはそんな対比になっていた。
年老いた王は人生は暇つぶしだと言いながら息絶え、次代を造り上げるはずの
若者二人は死ぬ。
武器商人と手を組んだ男たちが次々と死んでゆくのは象徴的だ。
これは、人間の運命は神が握っているという意味の台詞で結ぶ原作とは逆のよ
うに思える。
人間の所業をコントロールするのは悪魔だと。神ではなく。
冒頭の「私はこの世界のきっかけであり、この世界のモトだ」という言葉を
思い起こさせてゾッとする。
勝負の結果にこだわり、結局は己自身のことしか考えていなかった男たち。
その点、つねに国を、民をどうするかというビジョンを持って行動していたの
は、女であるナジャだった。
自分を取り合った男たちの死に直面し、自分の父の葬儀を民衆に知らせながら、
国を捨てて逃げ出そうとする民の前にすっくと立ち、赤い旗を掲げよ!
と叫ぶナジャはあのドロクロワの描いた、民衆を導く自由の女神みたいだ。
豊かな時代は終わった、だがこんな時でも子を産め。育てよ。お前たちのこと
は私が守る、と宣言するナジャの言葉には鳥肌が立ち、涙が出てしまった。
(メイサさん、ほれぼれするほどカッコいいしね!)
ナジャはこう続ける。
立ち去る者はいつでも思い出せ、祖国のこの赤い旗を。そして、生きよ!
国を出ようとした民衆たちはその声に足を止め、ナジャのもとに跪く。
(ナジャの次なる敵は、いよいよ青だ。)
ここで、野田秀樹氏が書いてきた幾つかの作品を思い出す。
『パンドラの鐘』のヒメ女、『贋作 罪と罰』の三条英、近作では『パイパー』
のフォボス(の母)。
国家を治める女、選ばれた人間だと自覚している女、子を産むことで滅亡する
星に希望を咲かせる女。
蓬莱竜太さんの脚本は今回が初めてなので、作品傾向は全くわからないけれど、
こういうフェミニズム的な要素は今までにあったんだろうか。
この国では女王が死んだら神になる、という設定も重要なキーワードであると
思う。
ナジャ自身には母性は感じないが、本能的にとってきた行動が「女」的だった
といえると思う。
国を栄えさせるのは民であり、命を生み出すのは女性にしかできないこと。
戦が好きで、血が好きなナジャではあるが、相手の国を滅ぼすことには興味が
ないように思える。
もう一人の女、ココ。
牢番の娘ココはカタリを地下牢から逃がした後、父との近親相姦めいた関係や
兵士たちの慰みものにさせられたことで精神に異常をきたし、それと同時に
いつのまにか不思議な力を持つようになる。
言葉を発するだけで兵士を殺すことができるようになったココ。
「私、兵隊さん、キライ」。これだけで次々と死んでゆく兵士。
これは何を意味するのだろう?
私はこう結論づけた。
ココは戦争を起こす者の象徴として兵士を嫌っている。これは「戦争はやめて」
と叫ぶ女性たちの心の声を代表しているのでは?
兵士を嫌うココが、戦好きのナジャのもとに最後に寄り添っているのは、ナジャ
の戦いが国と民を守るための戦いだと本能で察知しているからだと思う。
相手をやみくもに滅ぼす戦いではなく。
長々と書いてしまったので、本日はここまで。
ジンクの最後の言葉について。ジンクは本当にカタリを○○○○としたのか?
についてはまたあらためて。
もう一つの疑問点は赤い国の秘密について。これがイマイチわからなくて今も
モヤモヤしたままだよ~。
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舞台「赤い城 黒い砂」の新聞記事が!(再追記版)(このブログ内の関連記事)
ネタバレなしで野田さんとの比較できないので、拙宅はさわりだけにしました。しかし、暴力の応酬の後の秩序の回復は、ばりばりシェイクスピアしてました。
この手の演出は正義と秩序の体現者が美しく気高くないといけません。メイサさんサイコー。
なんせ一回だけなんで、理解浅いですが、野田さんは見た目やストーリー変えても主題変えられないです。多分蓬莱さんも最終的にはそうだったのではないでしょうか。ということは…。あれです。
始まった時は新感線テイストかな~と思ったのですが、
いつのまにか野田さんにぶつかってしまいました(笑)。
そういう意味でもメイサさん、パーフェクトです♪
主題ですが、2回目を見た時に違う印象を持ちました。
もしかしたらジンクとカタリだけは原作にグイッと
近づいたのではないかと。
展開も結末も全く違うのですが、あの二人は・・・
あれですね。・・ってどれやねんっ!
(いや、しかしこれも見方が分かれるようで。ふふ。
また書きますねー。)