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○観劇を決めた理由
・野田秀樹さんの作品だから。
蜷川さんの演出による掛け算の結果も見たいと思った。
○販売グッズ
公演パンフレット、ニーベルングの指環(書籍)、
蜷川さん関連書籍、野田さん関連書籍、各掲載誌等。
蜷川さん演出作品DVD、キャストの出演作品DVD、等々。
公演も終盤なので、以下ネタバレ。バリバリの全開です。
2階の最後列で観たにもかかわらず、ワクワクハラハラ、手に汗握る観劇。
やはり、野田さんの戯曲は面白い。よくできていますねー。そこにプラス
して今回は、蜷川さんの衝撃の企みに参りました。
こうなったら、なにがなんでも3部作全部を上演してほしい!!
<かなりおおざっぱなあらすじ>
神様と巨人とコビトの住む世界。この世を支配するために、彼らはペニス
の商人が発明した「ヒト」の卵を奪い合う。
神様に追放された3人の女騎士のワル!とキューとレ?
けっきょく彼女たちが卵を拾い、神様に隠れて育てることに。その透明の
卵の中から生まれたのがヒト・・・サスケだった。
一方、引っ越してきた部屋でアマチュア無線の仲間と交信する空飛びサス
ケ。彼は通信販売で新しい無線機を手に入れる。送られてきた無線機の
おまけとして現れるおまけ。彼女は昨日までこの部屋の住人だったという。
おまけの兄は偶然にもサスケの無線の友、その後の信長だった。その後の
信長がサスケに、富士山に登ろうとけしかける。
彼には何か秘めたものがあるらしい。空飛びサスケが棒高飛びが得意だと
いうことも無線の会話で知っていた。
彼といっしょに富士山へと逃走するうちに闘争本能が芽生えたサスケ。そ
んな二人を二人の刑事が追いかけて。最後にサスケは信長のことを時限爆
弾作りの犯人だと知る。信長がサスケに自分の気持ちを託して言う。
「飛べ、サスケ、百億年の宇宙の森、ユグドラシルを飛び越えろ!」
<舞台装置など>
蜷川さんの他の作品でも見たことがあるが、開演前から役者さんが登場し
ている。日本や西洋の時代劇の格好をした人たちが舞台にとどまらず、場
内を徘徊している。中2階や2階席にも。
ふと気がつくと、蜷川さんも1階の真ん中あたりで役者さんと立ち話をし
ている。あ、神様は今日この劇場にいらっしゃる、大阪の舞台ではなかっ
たんだなと、なぜか嬉しかったりする私。
赤のTシャツにデニムパンツの鈴木杏さんも蜷川さんのところに来て話し
込んでいた。このあたりの演出は戯曲の冒頭のト書き・・・「心の準備も
できていない時にいきなり始まる。」・・・に関係ありそう。
こうしたト書きが全編を通じて字幕スーパーのように舞台両端の画面に映
し出される。(「天保十二年のシェイクスピア」の時と同じ。)
開演前の舞台には、ワルキューレが乗る馬(木製)、ライト兄弟が乗る飛
行機(木製)、サスケが誕生する透明の大きな丸い卵などが置かれていた。
背景はオープンになっていて、機材やセットの搬入口から外が、つまり、
いま現在の渋谷の風景が見えている。舞台の演出上、たしかにこの搬入口
を利用するのだが、ここにこそ今回の蜷川さんの意図が強く感じられた。
今から始まるのは神話の世界の話じゃない、現代の私たちの物語なんだよ
と言っているようだった。
また、映像を投影しているのか、クライマックスの場面となる富士山がビ
ジュアル的にとてもきれいだった。
<私にとっての21年目の衝撃>
蜷川さん、ズルイですよー。1985年初演を観て「なんかワカラナイけど、
すごくイイ」と、胸の奥からつきあげてくる熱い想いと得体のしれない高
揚感に浸ったこの作品。
それを21年たった今「あからさまにしちゃおうぜ」なんて。
演出家のあぶりだした2006年版「白夜の女騎士」に私はすごく泣けた。
大人として。現代人として。
泣けた理由は3つぐらいある。
まず、21年間眠り続けていたのは、登場人物の眠り姫じゃなくて自分のほ
うだった。私には何も見えてなかったんだという理解力の乏しさに泣けた。
それから、私の好きな棒高飛びの少年の試技のシーン。ここがビジュアル
として、すべて蜷川さんによる解釈(政治闘争)に塗り替わっていたとい
う衝撃。21年前の高揚感がそれに入れ替わってしまったことに泣けた。
いや。違う。
泣いた本当の理由は、やはりパンフレットの蜷川さんの言葉にあるように
<変革というものを志した若者たちの挫折の物語>に対してなのだと思う。
ここで政治闘争の爆弾犯の話として語られている物語が、いま生きている
私たちにつながっていることを忘れてはならないということ。
棒高飛びの少年のしなるグラスファイバーにこめられた思い。その思いを
こめた側の「お前に託した。今度こそ飛んでくれ」という強烈なメッセー
ジを、観客の一人として受け取ってしまったせいなのだ。
頂上にたどりつけなかった信長の思いが私には痛くて、それで泣けた。
野田さんがテロリズムの話をオブラートでぐるぐる巻きにして、めくらま
しのように書いたのが、野田さんの作家としての美意識なのか、テレなの
か、それとも着地点をそこに持っていきたくなかったからなのか。
それとは反対にストレートで痛々しい2006年版「白夜の女騎士」。
夢の遊眠社時代にはより神話色の強い作風で心動かされ、いま2006年版で
は現代人の物語として心打たれた。
観劇の順序が逆でなくてヨカッタと思う。そして、何よりも両方を観られ
たことに素直に感謝したいと思う。
私の耳には未だに1985年の野田さん演じるサスケ少年の棒高飛びの試技の
台詞がこびりついている。(最初は自信なさそうだった少年の声が、いつ
のまにか壮大な神話を語っていたときの、劇場に充満するあの張りつめた
空気と時間を忘れることはできないだろうな。)
<主な登場人物3人について>
空飛びサスケ(松本潤さん)
初演の野田さんとは全く違うところがヨカッタ。蜷川さん演出の舞台なの
で、息継ぎや間がNODA MAPの芝居とは違う。それはさておき。
目をつむったまま卵の中から生まれるシーンをオペラグラスで覗いた時に、
あ、いいかも!と思った。2006年版のサスケは、何よりも現代の象徴でな
ければ。松本潤さんはそういうポジションをきちんと体現していて、芝居
がわかりやすかった。役者さんとしての技術的なことは発展途上なのだと
思うけれど、そういう点も含めて私には自然に受け止められた。
その後の信長との関係も、年齢的に見た目がいいバランスだったと思う。
富士山で命綱にぶら下がって信長と争いながら登るシーンが実に楽しそう。
ここは毎回アドリブなのかな? 一度、信長に頭突きをしたのだけれど、
自分の方が痛そうにしていたのに笑った。
一つだけ、台詞の中に決定的に松本さんに合わない箇所がある。ハム仲間
にサスケが嘘をついていた自分の身長のこと。あれは体の小柄な野田さん
だから笑えた台詞なのでスラリとしたマツジュンには違和感があった。
ついでに余談を。本能寺の変で信長とともに戦うサスケ。この時、信長か
ら渡された棒高飛びのグラスファイバーのポールを槍のように使っていた
が、それが神話に登場する<とねりこの槍>の意味にもなっていた。
その後の信長(勝村政信さん)
うまい! サスケとのコンビネーション、バランスがすごくいい。
サスケが何を投げかけてもすべて受け止めていて、信頼されている感じ。
それがこの芝居のキモでもある部分につながっているように思った。
サスケは最後に、信長の爆弾犯としての素性を知り、それも受け止めた
まま飛び越えるわけだから、信頼関係が生まれていなくてはならない。
勝村さん、カルイところ、遊ぶところ、はじけるところは見ていてホン
トに面白い。巨人の糞を刀で斬ろうとしたり、「飛びながらヤルのか?」
とサスケにからみながら何度も飛び上がるシーン等、細かい芝居をあげ
たらキリがない。
面白さとは逆のシリアスなシーンの重さもちょうどいい。
妹を爆弾で吹き飛ばしてしまうところの台詞は怖いくらい。
頂上にたどりつけなかった思いをサスケに託す台詞のところで、涙が吹き
出た。傷ついて痛々しくて切ない信長に私はカンペキにヤラれてしまった。
勝村さんの信長がいるから、サスケがいきいきと安心して演じられるのだ
ろうなと思う。
おまけ、眠り姫(鈴木杏さん)
台詞がよく通るし、聞き取りやすい。芝居もうまい。無邪気な明るさも
ある。サスケの頭を半ば本気で叩いているのが印象的だった。
そして、やっぱりあのシーン。兄の手違いで時限爆弾を開けたときの吹き
飛ばされ方に感心した。ゆっくり動かす体の角度、ひねり方を見ただけで
悲惨さが想像できた。
エンディングで、飛び続けるサスケと交信する声が明るくてホッとする。
自分用のメモでもあるので、また長々と書いてしまった。
主要キャスト以外のキャストについて、それから「ニーベルングの指環」
に関連したメモも、時間ができたら後日アップしたいと思う。
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