「みほとけの里 若狭の秘仏 特別公開」でお寺を巡るのは3回目。
今年の一番のお目当ては・・・無悪山安楽寺の聖観世音菩薩立像。
拝観の理由は「小野篁の念持仏」と書かれていたからだった。そのうえ
今年は33年に一度の御開帳の年とのこと。ご開帳は10月17日~18日の
2日間だけなので、18日に行ってきた。
小野篁といえば、平安時代の公卿にして闇のスター。宮廷に仕えながら
も夜ごと井戸を通って地獄に行き、閻魔大王の裁判の手伝いをしていた
という、トンデモな伝説を持つ実在の人物。(小野妹子の子孫で、書家
の小野道風の祖父。)
2008年の「京の夏の旅」異界シリーズのお寺巡りでがぜん興味を持ち、
以来、折に触れてゆかりの地の訪ねたり、関連情報を見つけて喜んだり
してきた。その都人の篁がなぜ若狭に?
場所は小浜よりもさらに東にある若狭町。
お寺の解説文によれば、838年、篁が遣唐使をめぐる問題で隠岐国に
流罪になり、2年後、許されて島から帰る途中に若狭湾の一角に漂着。
一行が峠を越え、保養のために滞在した村が無悪(さかなし)だった。
この地の観世音に参拝し、自分を救ってくださったのはこの観世音で
あるとし、篁は自らここに寺を建て、無悪山安楽寺と称したという。
お寺のホームページはコチラ
お寺をめざして歩いていると、地元の人たちが「こんにちは!」と
お声をかけて迎えてくださった。華々しいゲートのようなものも見え
てきて、ふと見ると山車も置かれている。
そうだった。この日は「聖観世音菩薩御開帳大祭」で、山車やお囃子
も出る。33年に一度の機会は地元の人々にとっても特別な日のはず。
●安楽寺
こじんまりとした仁王門を入ると前方に石段が。石段下の左手に立札
があり、「小野篁の墓」と書かれていたので、さっそくお参りをば。
二基の宝篋印塔があり、町指定文化財になっていた。篁は3年滞在した
ということだが、今なお大切にお祀りされていることがわかる。
石段を上がって・・・。
観音堂へ。
他の人に混じって堂内へあがらせていただく。
開帳のために収蔵庫から移された観音さまがいま目の前のお厨子の中に!
水瓶を持った左手には結縁紐が結わえられている。観音さまの足元には
神社で見るような鏡が置かれていた。
平安時代前期の作 像高158.8cm
大正10年4月に国宝指定、昭和26年4月に国の重要文化財に指定。
寺の縁起では、行基の作とされている。
桧材の一木造りで、下から見上げると彫眼の目が優しさを感じさせる。
ふっくらしたお顔や上半身を眺めていると気持ちが落ち着く。
全体の彫りは浅めながら、両手の先端にからむ衣が垂れて美しい。
昭和4年の修理で洗った際に当初の彩色や模様が現れたそうで、赤い
彩色がよく残っていた。色がはがれて木目がくっきり出ている部分も
それはそれでこの観音さまの歴史を感じさせて味わい深い。
都から離れたこの地で、篁の心をなぐさめた観音さまなのだから。
やっぱり実物はいい。
(撮影はOKだったけど、こちらの写真のほうがよくわかる。)
安楽寺の近くにある天満宮。
天満宮の近くにお祭りに参加する人たちが集まっていた。
時間の都合でお祭りを見届けられないので雰囲気だけ・・・。
<拝観メモ>
「平成27年度みほとけの里若狭の秘仏 特別公開」の寺
拝観料無料 パンフレット配布あり
駐車場:公開の2日間は近くの公民館の無料駐車場を利用
<その他のメモ>
拝観順序の関係で安楽寺拝観と昼食のタイミングが重なった。
お寺の周囲に飲食店がなさそうなので、買っておいた鯖寿司を大鳥羽駅
の駅舎でいただいた。無人駅だがちゃんとした建物とベンチがあった。
駅前に1軒だけ食堂があったが前を通ると行きも帰りも準備中だった。
前もって営業時間を確認したほうがよさそうだ。
(2)へつづく。
今年の一番のお目当ては・・・無悪山安楽寺の聖観世音菩薩立像。
拝観の理由は「小野篁の念持仏」と書かれていたからだった。そのうえ
今年は33年に一度の御開帳の年とのこと。ご開帳は10月17日~18日の
2日間だけなので、18日に行ってきた。
小野篁といえば、平安時代の公卿にして闇のスター。宮廷に仕えながら
も夜ごと井戸を通って地獄に行き、閻魔大王の裁判の手伝いをしていた
という、トンデモな伝説を持つ実在の人物。(小野妹子の子孫で、書家
の小野道風の祖父。)
2008年の「京の夏の旅」異界シリーズのお寺巡りでがぜん興味を持ち、
以来、折に触れてゆかりの地の訪ねたり、関連情報を見つけて喜んだり
してきた。その都人の篁がなぜ若狭に?
場所は小浜よりもさらに東にある若狭町。
お寺の解説文によれば、838年、篁が遣唐使をめぐる問題で隠岐国に
流罪になり、2年後、許されて島から帰る途中に若狭湾の一角に漂着。
一行が峠を越え、保養のために滞在した村が無悪(さかなし)だった。
この地の観世音に参拝し、自分を救ってくださったのはこの観世音で
あるとし、篁は自らここに寺を建て、無悪山安楽寺と称したという。
お寺のホームページはコチラ
お寺をめざして歩いていると、地元の人たちが「こんにちは!」と
お声をかけて迎えてくださった。華々しいゲートのようなものも見え
てきて、ふと見ると山車も置かれている。
そうだった。この日は「聖観世音菩薩御開帳大祭」で、山車やお囃子
も出る。33年に一度の機会は地元の人々にとっても特別な日のはず。
●安楽寺
こじんまりとした仁王門を入ると前方に石段が。石段下の左手に立札
があり、「小野篁の墓」と書かれていたので、さっそくお参りをば。
二基の宝篋印塔があり、町指定文化財になっていた。篁は3年滞在した
ということだが、今なお大切にお祀りされていることがわかる。
石段を上がって・・・。
観音堂へ。
他の人に混じって堂内へあがらせていただく。
開帳のために収蔵庫から移された観音さまがいま目の前のお厨子の中に!
水瓶を持った左手には結縁紐が結わえられている。観音さまの足元には
神社で見るような鏡が置かれていた。
平安時代前期の作 像高158.8cm
大正10年4月に国宝指定、昭和26年4月に国の重要文化財に指定。
寺の縁起では、行基の作とされている。
桧材の一木造りで、下から見上げると彫眼の目が優しさを感じさせる。
ふっくらしたお顔や上半身を眺めていると気持ちが落ち着く。
全体の彫りは浅めながら、両手の先端にからむ衣が垂れて美しい。
昭和4年の修理で洗った際に当初の彩色や模様が現れたそうで、赤い
彩色がよく残っていた。色がはがれて木目がくっきり出ている部分も
それはそれでこの観音さまの歴史を感じさせて味わい深い。
都から離れたこの地で、篁の心をなぐさめた観音さまなのだから。
やっぱり実物はいい。
(撮影はOKだったけど、こちらの写真のほうがよくわかる。)
安楽寺の近くにある天満宮。
天満宮の近くにお祭りに参加する人たちが集まっていた。
時間の都合でお祭りを見届けられないので雰囲気だけ・・・。
<拝観メモ>
「平成27年度みほとけの里若狭の秘仏 特別公開」の寺
拝観料無料 パンフレット配布あり
駐車場:公開の2日間は近くの公民館の無料駐車場を利用
<その他のメモ>
拝観順序の関係で安楽寺拝観と昼食のタイミングが重なった。
お寺の周囲に飲食店がなさそうなので、買っておいた鯖寿司を大鳥羽駅
の駅舎でいただいた。無人駅だがちゃんとした建物とベンチがあった。
駅前に1軒だけ食堂があったが前を通ると行きも帰りも準備中だった。
前もって営業時間を確認したほうがよさそうだ。
(2)へつづく。