●宿坊めぐり(&思い出探し)
如意輪寺から戻り、かき氷で体を冷やした後、宿坊の建ち並ぶ界隈へと。
高校時代の同級生の話によれば、高1の時に吉野の宿坊で合宿したらし
い。が、全くの記憶喪失状態。
今回の散策でもやっぱり記憶のかけらもありませんでした。
過去のある部分の記憶がピンポイントで飛んでしまうなんて・・・。
思い出してはいけない秘密でもあるのか>自分(笑)。
けっきょくミステリーは未解決のままタイムオーバー。
あ、めぐった宿坊は喜蔵院、櫻本坊、竹林院群芳園でした。
>> 桜本坊 公式サイトはこちら
>> 竹林院群芳園 公式サイトはこちら
●忠信の史跡 花矢倉
竹林院前バス停付近のYの字の箇所で花矢倉への道を確認。ロープウェ
イの駅でもらった地図と現地標識とを見比べ判断に迷い、時間をさいて
しまいました。けっきょく現地の標識通りでよかったのですが。
宮坂という坂の途中で屋根付きの無料休憩所があったのでひと休み♪
花矢倉はまだ先なんだろうか?
家の前でお盆の迎え火をされていたおばあちゃんがいらして、道を尋ね
るとあと20分とのこと。お礼を述べてさらに上へ。
けっこうきつい勾配だし、ドライブウェイだし、ふう~、疲れた。
ドライブウェイを離れて遊歩道を登ると、少し広くなった場所に到着。
そこに立った時、突然ゾクゾクッ。なに?この寒気は。
案内板には「横川の覚範の首塚」とありました。内容を要約・・・
静御前と別れた義経が水分神社まで逃げのびたところ、豪僧横川の覚範
が追いすがってきたので、佐藤忠信が義経の身代わりとなり後ろの谷、
中院谷で戦い、花矢倉から矢を浴びせて討ち取った。義経一行はその隙
に落ちのびたとのこと。
その覚範の首塚は目の前にありました。
ここから遊歩道をたどってゆくと、ありました! 花矢倉が。
史跡であることを示す石碑や案内板も立っています。
謡曲史跡保存会の案内板によれば・・・
「義経の鎧を身につけた忠信は高櫓に上って襲いかかる敵を射散らし、
空腹を切って谷に飛び下り、なおも追いすがる僧兵を斬り払い九死に一
生を得て蝶鳥の如く逃げのびた」と書かれています。
ここが「防戦には格好の地形」であることも。
忠信の勇敢な戦いの跡は「花矢倉」というきれいな名前で親しまれ、
展望台からの眺めは桜の絶景ポイントになっているようです♪
(なにぶん桜のない季節なので未確認ですが・・・。)
そういえば、川連法眼の館ってどこなんだろう?
いま神戸市立博物館で開催中のボストン美術館浮世絵名品展で偶然発見!
鳥居清長の大判錦絵「五代目市川團十郎の横川覚範 三代目沢村宗十郎
の狐忠信 中山富三郎の静御前」。
●吉野水分神社
近くの世尊寺で「三郎鐘」を見た後、吉野水分神社へ。
さっきの説明文では義経一行はここで横川の覚範に追いつかれるとか。
石段の途中にある赤い鳥居をくぐった時には、入場終了の10分前!
ひぇ~!!
水分の読み方は、すいぶん、ではなく「みくまり」。
水を司る天水分命を主神とする神社で、「みくまり」が「みこもり」
「こもり」となまって、子授けの神として信仰されているそうです。
豊臣秀頼によって再建された桃山時代の社殿は重要文化財で、世界遺産に
も登録されました。
貼られていたポスターを見ると、ここは冬の風景が美しそうです。
残念ながら、ここから上の奥千本へはロープウェイの時間の関係で断念!
次回は西行庵や義経の隠れ塔をめぐる予定なり。
●ブログ内の関連記事
桜のない吉野山へ(1)
吉野山で金剛蔵王権現像まもなくご開帳♪
吉野山がかかるたびに歌舞伎座で売ってた桜の羊羹がすきでした。
先週、亀治郎の会で吉野山を見ました。次は南座です。玉三郎と海老蔵の吉野山は二年くらい前に見たとき、寿命が伸びそうなくらい美しいと思いました。永楽館も楽しみですね。
壱太郎くんは玉三郎より40も若いし、リアル静御前でしょうね。
昔の人は電車もロープウェイもないし、ほんとに大変だった
でしょうねー。しかも義経一行は雪の中・・・。
> 寿命が伸びそうなくらい美しい
わぁ~♪ 9月は松竹座に通うので、南座は夜の部しかチケット
買ってないんですけど、昼も見たくなってきました~。
永楽館の新しい趣向の吉野山もとっても楽しみです♪