星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

「その男」大阪公演(5)観劇メモ

2009-06-07 | 観劇メモ(演劇・ダンス系)
いまごろだけど、前回の観劇メモで書き残したコトがあったので。
これだけは書いておきたい。「その女」について(笑)。

<三幕目。おなごのために仲ようしてや。>
原作は公演の発表直後に読み始め、2冊目の半分まできたところでもうこれ以上
知りたくないと思い本を閉じた。
が、マイ楽日となった23日、どうしても気になった箇所を原作で確認してみた。
それは三幕目。
虎之介が半次郎に会いに、つまり先生の敵討ちに薩摩まで追ってゆく場面だ。
ここでのお秀さんの存在が大きく、それを演じたドリさん(キムラ緑子さん)が
あまりに素敵だったので、原作ではどう描かれているのか知りたくて。

驚いた。全然出て来ない、お秀さん。
三幕目は舞台版の全くのオリジナルだった~。
虎之介にいたっては、桐野(半次郎)に会って師の敵であることを確認する場面は
あるものの、桐野の豪傑ぶりに圧倒されてしまい、あの「斬ったのかーーーっ!」
がない。
再会シーンにお秀さんを登場させた脚本と、3人の役割をあれほどまでに造形して
いった役者さんたちにあらためて感心してしまう。

ドリさん、決め台詞が関西弁だったからねぇ~。
それが私の琴線に触れるどころか、やたらと弦をポロロン、ポロロンかき鳴らす。
あちこち旅しているお秀さんが上方や薩摩の訛りを交えて話すのは役柄の上で自然
なことだけど、あれは関西弁ネイティブなドリさんが、これ以上はないと思えるシ
チュエーションで毎回放つ、まさに勝負台詞だったよね。

ついに敵討ちとなり、対峙する二人。虎どんと半さん。
ややあって登場するお秀。
「待ってええええ~!」と息切らしながら花道をかけてくる。右手に日傘、旅の鞄
を持った左手には白いレースのハンカチを握りしめている。
これがカワイイの~♪
ふつうなら、女は邪魔するなと言いそうな状況なのに、ニコニコ顔でお秀を大歓迎
する半次郎にも、男としての器の大きさを感じてしまう♪
香水をシュッシュッ。虎之助にも香水をつけに行こうとするお秀を半次郎が止める
が、ちいさいこと言わんといてや~、と切り返す言葉が関西弁なのね。
虎之助が神妙な顔つき、やっとのことで言う。「お秀さん・・・ありがとう」。
「なにが?」
虎之助の手を握り、その手をさすったり、手の甲に口をつけたりしているお秀。
「あんた、俺を止めに来てくれたんだね」と続ける虎之助に返す台詞は、このひと
しか言えない言葉だ。説教じみた素振りなど微塵もない。
「もったいない~。二人ともええ男やのに。豊臣の頃となんも変わっとらん。ええ
男が喧嘩で命を落とすなんてもったいなか」。
そして、あの台詞。口に両手を持っていき、叫ぶように。
「おなごのために 仲ようしてやぁぁぁ~」。
この最後の「ぁ」が上がって伸びて切れてゆくのが切なく艶っぽく、絶品だった。
ひじょうに細かいことだけどこの「ぁ」のニュアンス、関西のおなごにはたまらん
ほど効きました~。泣けて泣けて舞台を見ると、お秀さんもハンカチで涙をふいて
いて、それを見てまた涙があふれるという・・・(笑)。
虚実の境界がわからなくなるのは上川さんの得意ワザだと思っていたのに、今回は
ドリさんにやられた~。

で、その女。
お秀さんは「川に飛び込んだ」女だった。それも浮き沈みの激しい川。
上海で最期を迎えたとなると、彼女はつねに「時勢に飛びこむ男」を選び、その側
で生きたのかもしれない。
そのたびに「もったいない~」と言いつつ、男が命を落とすのを見届けたのかも。
自由奔放で権威にさえも縛られず、自分の生き方を貫いた女。
女が憧れる、カッコイイ女。
池本先生や八郎が自分にできなかったことを、つまり「飛び込まない」生き方を
虎之助に託したように、女性の観客は舞台のお秀さんに託したのだと思う。
川に「飛び込む」生き方を。


<時勢に関わらずとも、心は動くよ。それを楽しめ!>
三幕ではないけれど、池本茂兵衛の存在は登場していないに時も大きいと感じた。
平幹二朗さん。
ご本人には初めての脇役だそうだが、舞台での存在感は圧倒的。
いない時でも、虎之助を通してどこかに気配を感じてしまうほどオーラを持った
人だった。
ゆっくりと明瞭で大きな声。繰り返し語られる言葉は、師として全くブレがない。
このひとが口にする一語一語はもう受け入れるしかない(笑)。

そんな先生の言葉から・・・
「時勢に関わらずとも、心は動くよ。それを楽しめ!」

私はこの台詞だけは、観劇に置き換えて聞いていた(笑)。
飛び込んで体験しなくても、観劇を通じて人の心は動く。実際にできない事も疑似
体験し、判断することもできる、と。
ホントにいろいろ心が動いた作品だったと思う。

<ありがとう。さようなら。>
脚本の鈴木さんは「人間が死ぬ」ことの表現がうまいと思う。
もしかしたら、ラサールさんの演出がそうなのかもしれない。
「燃えよ剣」では、歳三の最期をあえて悲愴感をもたせず、満開の桜の下の大団円
にして見せていた。
今回は床屋で二人ずつ順番に消えてゆく場面がよかった。
長生きした人にとって人生は、人との出会いと、ありがとう、さようなら、の繰り
返し。それを床屋の客の往来になぞらえて見せるセンス。
ご高齢の観客の多い劇場で (;^_^ 死を扱う時の作り手の目線の温かさを感じ、こ
れが商業演劇の品位なんだと気づかされるようで、好きなシーンだった。
「死ぬってどんなかしらね」「眠って起きないのと同じじゃないでしょうか」
なんていう会話で笑いが起きる芝居。ステキだ。
最後に雪吹雪を桜吹雪に変えてしまうお約束も、商業演劇ならでは。
泣くのも笑うのも皆で一体になれた新歌舞伎座。
私もミゴトに関西のオバチャンになれました。


<川は流れる。それだけですね。>
床屋の虎さんはほんとにオトコマエだったんですけどね。
(タスキがけにしていた白い布を、はずしてたたむ所作が好きでした♪)
一気に97歳になって登場する虎之介じいさんもまた、忘れられません・・・。
背中を少し曲げ、かつての剣を杖に替え、歩幅を小さくしてチョコマカ歩く。
よく見ると、少しふくらませた頬がピクピク動いている。これが「老人」を感じさ
せる大きなポイントだ。
そうだった。ドラマのアップ映像でときどき見るけど、上川さんにとって頬の筋肉
は随意筋なのだ。虎之介じいさんの頬はどんなメイクにも勝る芸術品だった。
老人が目の前の剣を持とうとして倒れるシーン、リピートの2回目からは涙がこぼ
れた。

あの世から先生に「何がわかった?」と聞かれ、虎之介はなんて答えるんだろう?
と、台詞を覚えているにも関わらず毎回息をつめて言葉を待った私(笑)。
アホやなあ~。
「川は流れる。それだけですね」。
うん、いいお芝居だった。
公演が終わるまで明かされなかったコトも含めて、プロフェッショナルの仕事を
見せていただいたという心地よさが残る公演だった。

以上。完結っ!


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2 コメント

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えへ・・・ (ムンパリ)
2009-06-09 08:03:21
とみさん、は~い。
お秀さんの台詞は思い出しただけで涙ぐんでしまいます。
ここまで引っ張られるとは想定外でした~(笑)。
上川さんが出演しているだけじゃなく、おっしゃる通り、
作品そのもののスタンス、目線が好きなんですよね。
何にでも反応する新歌舞伎座の観客のノリも好きでした♪
平幹さん、お一人だけで劇場全体を圧倒してしまう迫力と、逆に
安心して身をゆだねられる温かさ、優しさの両方を感じました。
違う舞台も拝見したいですねぇ~♪
いよいよ反逆児、ですね!
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池本センセの境地に達しましたね(^.^)b (とみ(風知草))
2009-06-08 19:29:55
>ムンパリさま
書きながら泣いておられたのではないですか。もらい泣きしました。
高齢者向け商業演劇の王道をゆく品位と配慮、人生全てを引き受ける愛。見た目は美しく、笑いと涙のほどよいリミックス、最終的には人生と人間讃歌、これやこれやです。
礼子さんは激流に散った花なら、ドリさんは小舟で時代に竿さす女船頭ですね。どちらも観客の願望を背負ってくださいました。
今まで平幹さん演じるオイディプス、アガメムノン、リア王、利休など運命悲劇と立ち向かう崇高な精神力に演劇的カタルシスを得ていましたが、もっと好きになりました。反逆児、たのしみです。
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