~ 妖狐 玉藻の前伝説 ~
『奈須野原殺生石之図』
(なすのがはら せっしょうせき の ず)
大蘇芳年筆
玉藻前(たまものまえ)は平安時代末期の伝説上の人物
能 『殺生石』あらすじ
玄翁という旅の高僧が奥州から下野国那須野原に辿り着いたとき
ある石のまわりを飛ぶ鳥が落ちるのを見て不思議に思っていると
一人の女が玄翁に声をかけ、それは殺生石と言って
生き物を取り殺す石だから近づかないように言い、その石の由来を語る。
女によると 昔、鳥羽上皇の時代に玉藻前という才色兼備な女性がおり
上皇の寵愛を受けていたが、上皇が衰弱している原因が
玉藻前にあると陰陽師の安倍泰成(あべのやすなり)に見破られ
白面金毛九尾(はくめんこんもうきゅうび)の狐の姿となって宮中から逃走する。
その後、朝廷の討伐軍と那須野の地で激突し
一度目は8万からなる軍勢を退けたが、二度目の戦いで敗北し
那須野原の露と消えた玉藻前は、なおも執念が残り殺生石となって
以来この場で生物を殺し続けている。と語り
また、女は自分が玉藻前の化身だと語り、石に隠れて消え去る。
玄翁は仏法に導いてやろうと法事を執り行うと、石が割れて中から狐の精霊が現れ
「このような遇い難い仏法を授けられたからにはもはや悪事は致しません。」と
約束し硬い石となって鬼神の姿は消えていった