里の家ファーム

もう2年、まだ2年。

 2年のときを経ても復興、生活再建が遅々として進んでいません。2年という時間は過酷です。先が見えない避難の長期化は被災者を心身ともに疲弊させています。過労やストレスによる「震災関連死」は2300人以上です。「孤立死・孤独死」もあとを絶ちません。助かった命が避難のなかで失われています。住まい、雇用、生業、どれも好転の兆しは見えません。「心も体も限界」と半年前の仮設に住む住民が、今は「限界を超えている」といいます。劣悪な仮設住宅での生活が長引き、将来の展望が見えない状況は、被災者の心と体をむしばんでいます。
 なぜ好転しないのか。陸前高田市の戸羽太市長は「一番の問題は被災者に寄りそう政治がやられてないこと」だと批判します。被災者は懸命に立ち上がろうとしています。南三陸町でも特産のカキやワカメの養殖が再開され、収穫の時期を迎えています。しかしながら、TPPです。農業、漁業に大打撃を与えるものです。これから家を再建し、事業資材を購入しなければならないのに、消費税のアップです。
 階段を上り始めたら、次々とその階段を外しているようなものでしょう。「被災地は見捨てられたのか」、そんな悲痛な声が上がります。医療・介護などの減免措置を「期限がきたから」と一方的に打ち切り、、新たな負担を強いています。支援が必要な人、地域がある限り、支援を拡充することはあっても、絶対に打ち切るべきではありません。
 道路や公共施設を元の場所に同じように作らせる画一的「復興」では、より安全な場所に、という地元の声を無視しています。この基本が決まらなければ住宅再建のメドも立ちません。
 原発事故による避難者も15万人を越え、家族がバラバラな生活を余儀なくされています。除染の遅れ、賠償の「線引き」や切捨てが被害者を苦しめています。そして昨年12月、政府はさっさと「収束宣言」をしてしまいました。原子力事故問題は1年2年で収束するようなものではありません。40年、80年とかかるものです。こんな安易な考えで「再稼動」をしてもらっては困ります。
 震災直後、国民は何を願い、何を思ったのだろう。経済優先よりも地域の、人々の絆やさまざまな「価値観」ではなかったのだろうか。今のアベノミックスは今までの価値観そのものではないのだろうか。大量生産、大量消費、大量のごみの山。
 3.11を私たちの生活のあり方を考える日にしよう。

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