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仁藤夢乃 「トー横」支援施設や団体で相次ぐ性暴力 〜事件は本当に「避けられないこと」なのか?

2025年02月28日 | 事件

Imidas連載コラム 2025/02/28

 

子どもたちを守るはずの施設で何が?

 2024年9月、新宿区歌舞伎町の「トー横」(新宿東宝ビル横)に集まる子どもたちを支援する名目で東京都が開設した「きみまも」という施設内で、利用者の少女に対し下半身を触るなどのわいせつ行為をしたとして20代の男2人が逮捕された。男の一人は「時間つぶしで施設に行ってふざけあっていただけ」などと供述し、もう一人は容疑を認めていたと報じられたが、のちに不起訴となった。不起訴になった理由は明かされていない。

 この施設は24年5月に開設され、専門の相談員を配置しており、名前や住所を明かさなくても気軽に利用できるフリースペースになっていた。相談員がいる施設で子どもたちが過ごせて「悪意ある大人」から距離をとれると期待されたが、不特定多数の大人が出入りして脱法行為が行われていた疑いが通報で発覚。防犯カメラの映像などから、利用者に「売春」を促すようなケースが確認されているとも報じられた。

 この事件について都は「多い時は50人以上が利用しており、相談員の位置から見えなかった」などと弁明したが、50人の利用者がいたから気づけないなんてこと、現場で支援活動をしている者の経験や感覚としてはあり得ない。意図的に見ないようにしていたか、関与しようとしていなかったとしか思えない。

 逮捕された一人は、遡ること5月に「トー横」で暴力団組員の男と共にトラブルを起こし現行犯逮捕された人物で、地元をよく知っていれば彼らがどんなつながりをもち、歌舞伎町で何をしているのかわかる相手だ。なぜ、そういう人たちが入り込めたのか。

あたかも女衒(ぜげん)の休憩所となり

「きみまも」に関しては、私たちは24年1月のプレオープン時から警戒していた。開設当時、大々的にメディアで報じられ「支援者による相談もOK」とあったため、私もすぐに現地を訪れた。まず入り口で驚いたのが、女性の相談員から「お名前をこちらに書いてください。ニックネームでも大丈夫です」と言われたことだ。私は40代の男性と2人連れで、さすがに青少年には見えなかったはずだが、何も言わず名前を書いていたら利用者として入れてしまうところだった。気まずさを感じつつ「歌舞伎町を拠点に支援活動をしている者で、見学させてほしい」と申し出ると快く案内してくれた。

 そこでさらにショックを受けたのは、普段から「トー横」に集まる少女たちを狙って声をかけ、「売春」を斡旋することで生活している男たちが入場していたことだ。中にいたのは10人ほどだが、全員男性だった。未成年と思われるのは1人か2人で、あとは成人。それも25歳以上と思われる男性がほとんどで、とても少女たちが利用できる雰囲気ではない。

 6人ほどの男性はテーブルを囲み、スマホを充電しながらゲームをしていて、椅子やソファに寝転ぶ男性たちもいた。奥にはパーテーションで仕切られたスペースがあり、相談室として案内されたが、そこにも男性が寝ていた。少女を人身売買にかけることで生活している男たちに丸聞こえな空間で、相談などできるはずないだろう。

 案内してくれた人に女性の利用者について聞くと、「ほぼなくって……私たちも思っていたのと違うんです」と残念そうに言った。都は専門の相談員を配置していると宣伝していたが、この日いた3人の相談員はColabo(コラボ)の活動も知らず、同行した40代男性を青少年と勘違いしてしまう有様で、「トー横」に関わる人物や少女を性搾取する構造も理解していないようだった。だから施設にいる男性らが誰なのかも分からなかったのだろう。

 私は「きみまも」が少女を性搾取する男たちの「休憩所」になっていることに強い危機感をおぼえ、すぐに与野党の都議やメディアにも視察や取材をするよう伝えたが、議員はSNSで「視察に行ってきました!」と成果をアピールし、メディアもその実態を報じることなく都の広報のような報道ばかりが続いた。

「きみまも」が開いている時間、「トー横」に来た少女を「売春」に送り出した男たちは施設内で暖かく過ごし、21時に閉館すると少女が体を売って確保した宿に向かう――。そうした状況が放置されたまま、5月の正式オープン後も性売買業者とつながる男たちや少女を搾取している男たちが出入りし続けていた。さらに、ここに来れば家出した若い女の子たちと話せるからと、「トー横」に縁がなかった成人男性たちもゲームをしに日参するようになった。

事件を認識しながらも施設利用を呼びかけ

 24年9月、施設内での性加害が報じられる1週間前に、「きみまも」の実績をアピールする記事が大手メディアに複数掲載された。都は事件を認識しながらも、明るみに出る前に世間に実績を印象づけようとしたのだろう。

 例えば「東京都開設の『トー横』相談窓口 2か月で延べ1600人近くが利用 最年少は男女ともに12歳 想定超える利用者数で、相談員の増員も検討」(24年8月29日)というTBSのニュースでは、「当初の想定を超える人数が相談窓口を利用していることから、都は相談員を増員することも検討している」「都の担当者は、『相談窓口には専門の知見を持ったスタッフがいるので、安心して訪れてほしい』と呼びかけている」と報じられた。

「最年少12歳」というのが複数のメディアで見出しとなり、衝撃を受けた人も多いのではないかと思うが、歌舞伎町で活動していれば当たり前のことだ。12歳の少女が虐待から逃れるために来て性搾取の被害に遭う、それが日常であり問題なのだから。少なくとも10年前からそうした状況をColaboは発信していたし、だからこそ支援活動をしてきた。

 また、どの報道にも「利用者数が2か月で延べ1600人近く」とあったが、詳細な内訳までは報じられなかった。実際には10代の少女の利用者が少ないことや、毎日利用する男性が多いことから、都は多くを明かしたくなかったのではと勘繰ってしまう。

 支援は質こそが大事であるから、利用者数はさして問題ではないが、Colaboが都の委託を受けて新宿区役所前でバスカフェの活動をしていた際、10代の少女だけで1晩(4時間)40人は普通に利用していた。さらに私たちはその場での関わりで終わるのではなく、数年〜十数年の単位で一人一人と継続的に関わり、行政や病院等への同行、シェルターでの一時保護、中長期的な住まいの提供、生活支援や修学・就労支援等あらゆる支援を行っている。

 対して「きみまも」の利用者数は2か月間で延べ1600人で、1日あたり35人ほどが利用した計算になるが、開設時間もバスカフェより長く、成人や男性も含めてこの数である。ものすごく利用者が多いかのように印象操作されているが、居場所がなく街をさまよう少女たちの数に比べると、決して多いとは言えないことが青少年支援に関わっていれば容易に想像できる。

性暴力事件は「避けられない」と開き直る

 24年8月、東京都知事は新宿区長と一緒に「トー横」を視察し、都のSNS広報で「行き場のない人が悪意のある大人に騙されないような警告を出す体制が整ってきた。どうしたらいいかわからない子どもたちや女性、若者に、居場所を提供し相談に乗ってあげることが効果に繋がれば」といった内容のコメントを流した。

 9月に性暴力事件が明るみに出ると、区長は「困難な課題を抱えている若年層の受け皿での事件は避けられないことだと考えています」「屋外で起きていれば泣き寝入りになった可能性もあります」「純粋に少年少女の立直りを考えているなら居場所事業を攻撃するのは間違っています」とSNSに投稿した。

 区長は「事件は避けられない」と堂々と言い放つが、そのようなことが起きないようにするのが支援者の責任ではないか。そうした被害から子どもたちを守る名目で始めたのではなかったのか。あまりにもひどい言い分だ。入り口に「もし施設内で性被害に遭っても、それは避けられないことです」と注意書きをするべきだ。しかも当の区長は、かつてColaboが行ってきた支援への妨害、デマ拡散に乗じてバスカフェと少女たちを追い出しておきながら「居場所事業への攻撃は間違い」とは、どの口がいうのかと思った。

 さらには施設があったことで事件が発覚したようにも語っていたが、この事件は施設の体制や利用者への無理解、専門性の欠如などが招いた性暴力事件である。まずは被害者にお詫びし、利用者のケアを徹底し、実態調査と再発防止を都に求めるべき立場にあるのではないか。そして「純粋に少年少女の立直りを考えているなら」というのも気持ち悪い。自分たちは善とか、純粋に青少年支援を考えているとかと言うが、少女たちの人権を尊重し、歌舞伎町を中心とする少女性搾取の構造を変えようという姿勢が全く感じられない。

 虐待などを背景に家に帰れなかったり、傷ついている子どもたちを支えたりするには、場所をただ開放すればいいわけではない。これでは「トー横に屋根を付けただけ」なのだ。SNSで「きみまも」を「公営トー横」と表現する人もいて、その通りだなと思った。

本末転倒な東京都の改善策

 事件後、都は「きみまも」について一度に利用できる人数を20人ほどに絞ったほか、身分証の提示を求めたり、相談員の他に警察OBを配置したりなど管理体制を見直したと報じられた。しかし実は、事件が明るみに出る少し前には、ホームページ上で利用を登録制にすると発表していた。それによると利用登録には本人が確認できるものや連絡先(携帯電話番号、住所など)の提出が必要とあり、都はそうすることで再発防止ができると説明しようと考えたのだろうが、これでは本末転倒だ。

 

 なぜなら開設当初に匿名利用可としたのは、公的支援に拒否感をおぼえる青少年とつながるためだったからだ。家に帰れず性搾取の被害に遭っている少女たちは、そもそも身分証を持っていないことが多いし、個人情報を知られることに強い警戒心を持っている子がほとんどである。そうした状況を行政もようやく理解したからこそ「名前や住所を明かさなくても気軽に利用できる」とし、Colaboのバスカフェのようにスマホの充電ができたり、軽食が食べられたりする休憩場所を開設したはずではなかったか。

 警察に補導されることを恐れて、人目につかないところを転々として生き延びている子どもたちが、警察OBが配置された監視カメラ付きの施設に行くわけがない。それでも利用したい人はいるかもしれないから、やればいいと思う。しかし、これでは決して虐待や性搾取の中にいる少女の支援にはならないことを、理解する必要があるだろう。

怪しい男たちによる「支援団体」が急増

 若年女性支援事業は、Colaboのような女性主体の民間支援団体が活動を通して実態を示し、必要性を訴え続けたことで制度化された。22年には日本で初めて――世界的に見ると遅すぎるが、女性支援の根拠法「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律(女性支援新法)」が成立し、しかしそれに伴いColaboに対するデマ拡散や妨害はこれまでにないほど深刻化した。背後には性売買業者やそれにつながる権力者たちがいる。24年の新法施行を前に、私たちの社会的信用を落とそうと必死だったのだろうと思う。

 残念ながらその攻撃は成功している。若年女性支援が注目され、予算化される見通しが立ったころから、怪しい男性たちによる団体が複数立ち上がった。歌舞伎町だけでも片手で数えきれないほどにはある。半グレ組織とつながる人物が関わる団体も多く、彼らは「女性支援団体」を名乗り始めた。少女たちに声をかけたり、食事を与えたりしながら、彼女たちをコントロールし、そこで被害に遭った少女たちからの相談を受けることもあった。

 つい最近も「トー横」に集まる少年少女の「支援団体」を名乗る団体の元代表の男が、17歳の少女にホテルでみだらな行為をした疑いで逮捕された。被害に遭った少女とは歌舞伎町で出会い、食事を提供したり、交通費として現金を渡したりしていたという。

 現場に行けば、誰がどのような活動をしているか、どのような目線で少女たちのことを見て、どのような関係性を作り、どのような支援をしているのかがわかるはずだ――と私は思うが、それがわからない人が大半なのだろう。実際に、そうした団体を取材した人や、視察をした議員らが、そのような団体を持ち上げていることが被害を温存・拡大させてきた。

 それだけ、若年女性支援とは何かが日本社会は理解されていないのだ。少女たちの置かれている現状や抱えているもの、性売買業者やその周辺の関係者たちの巧妙な動きや、それを支える搾取の構造、背景にある女性差別の問題への深い理解、さらには女性たちがどのような暴力の中で生きてきて、どれだけの傷を抱え、回復にどのような時間と支援が必要なのか――。今起きている問題や構造への理解がない、知らない、「専門家」を名乗る人たちに専門性がない状況がある。そうしたことを見抜いている性売買業者らが、「支援」の名を借りて福祉にも入り込んでいる。それに気づかず行政が誤った支援をすることも繰り返されている。そして善意の民間団体も、彼らのことを見抜けずに連携を始めている。これがトー横キッズ「支援団体」での性暴力事件が相次いでいる背景だ。

 今、日本で何が起きているのか。なぜ若年女性支援が必要なのか。公的支援の在り方や支援現場の実態はどうなっていて、どのような議論がされてきたのかを知り、これからの社会を共に考えてほしい。


北原みのり おんなの話はありがたい 伊藤詩織さんの映画を巡る記者会見 「恩を仇で返してはいけない」という弁護士の言葉が印象に残った

2025年02月24日 | 事件

 AERAdot 2025/02/24

 伊藤詩織さん監督の映画「Black Box Diaries」を巡る議論が、3月2日の米国アカデミー賞授賞式前に、大きくなりつつある。きっかけは伊藤さんの元代理人弁護士らが、許諾や同意のない映像が使われていることを問題視したことだ。それに対し伊藤さんは「底知れぬ悪意を感じる」と強い言葉で非難し、両者は真っ向から対立していた。

 2月20日、伊藤さんの元代理人である弁護士らの記者会見が日本外国特派員協会(FCCJ)で行われた。同日に伊藤さんも会見する予定だったが、直前に「ドクターストップがかかった」という理由で会見自体がキャンセルになってしまった。それでも、事前申し込みしていた国内外の多くの記者たちで会場は埋め尽くされ、立ち見が出るほどだった。

 記者会見場には知人のジャーナリストが何人もいた。多くは性被害者としての伊藤さんの闘いを書くことによって支えてきた人たちである。「元気?」などと声をかけながら、私たちは互いに複雑な顔をしていたと思う。前代未聞の事態に直面して誰もが困惑をしており、慎重にならざるを得ず、思考を整理しきれていないのだ。

 それでも今回の記者会見で、私自身は新しい気づきや視点の整理ができた。特に、日英バイリンガルとして、「Black Box Diaries」を巡る英語/日本語の報道を分析してきたというライターの蓮実里菜氏の指摘は刺激的だった。

 蓮実氏が言うには、日本と英語圏では、映画を巡ってまったく違う「語り」があるというのである。

 昨年1月から「Black Box Diaries」は世界57の国と地域の映画祭などで上映され、伊藤さんは数多くのインタビューを受けてきた。そこで伊藤さんは、「日本で上映されない理由」について、「政治的にセンシティブなテーマであること」「日本は性暴力について語る文化がない」など、政治、文化、国民性の問題として語ってきた。たとえばアメリカのメディアに対して「日本では映画を観ていない人が、防犯カメラ使用をプライバシー侵害と言っていますが、私はホテルに約4000USD支払って映像を入手しました」などと語ってもいる。

 そのような語りは日本語で語られる「問題」と、ちぐはぐにずれている。ホテルの防犯カメラ映像を使ったことは、プライバシーの問題ではなく、許諾を取ってないことが問題であることが日本語では語られている。また、ホテルに支払った4000USDは映像の使用権ではなく、防犯カメラに映っている第三者にモザイクをかけるためにホテル側が要求した実費だ。何より「日本で公開されない」のは政治的な問題や国民性の問題というのは、事実なのだろうか。

 また伊藤さんは、防犯カメラの映像を手に入れたことを、様々な映画祭で純粋に称賛されている。入手が難しい動画を手に入れることは、ドキュメンタリー作品への評価の対象になるからだ。そのことに対し伊藤さんは日本では「許諾がない映像を使った」ことを認めているが、英語でのインタビューには「(動画取得は)難しかったがなんとかして手に入れた」と語ってきた。

 蓮実氏は英語と日本語でのインタビューや記事を紹介しつつ、「グローバルに流通している作品に対する監督の説明が言語によって違うのは問題ではないか」と話した。バイリンガルならではの貴重な指摘だろう。

 蓮見氏の話を聞き、今回、私が感じ続けているモヤモヤは、許諾がない映像が使われていることに加え、日本と海外の情報ギャップによる温度差、というものもあるのではないかと気がつかされる。いわゆる民主主義先進国とされる欧米から、「日本って男尊女卑だよね」「日本の民主主義ってヤバイよね」という、「既にある日本のダメなイメージ」が濫用されているような空気を感じるのだ。たとえば映画の配給権を持っているMTVドキュメンタリーフィルムズはXに「最も必要とされている日本で、上映禁止になっている」(2/14)と英語で投稿しているのだが、伊藤さんの映画が「上映禁止」された事実はない。でもこう英語で記すと、法的に禁止されているヤバイ国としての印象がどうしても際立つ。日本で上映できないことが、この映画の価値を高める効果もあるだろう。日本が男尊女卑な国で、性暴力問題に鈍感で、政治的な話題を忌避しがちで、どうしようもない国だ……というのはその通りだと思いつつモヤモヤするではないか。

 当初1時間を予定していた記者会見は2時間を超える長丁場になった。印象的だったのは、性暴力問題に長年関わり続けてきた角田由紀子弁護士の発言だ。角田弁護士は今回の伊藤さんの対応に倫理的な問題があると抗議したうえで、こう切り出した。

「私は80歳を超えた老人ですが、今でも子ども時代に聞かされた言葉を思い出さずにはいられません」

 ドキドキした。角田弁護士は日本の性被害事件の裁判を、女性の視点に立って塗り替えてきた偉大な方である。どんな言葉を語るのか……と思っていたのだが、角田弁護士はこう言ったのであった。

「恩を仇で返してはいけない」

 え! それ!? と驚きつつその言葉がストンと胸に落ちた。英語が飛び交うFCCJで臆せずに「恩を仇で返してはいけない」など、なかなか言えることではない。そしてそれは、「弁護士に感謝しろ」という意味ではなく、角田弁護士はシンプルに日本語話者のやり方で、倫理を問うたのだった。伊藤さんの闘いに寄り添ってきた西廣陽子弁護士との会話を無断で録音し、事実と違う印象を与える切り取りで作品に使用したことを「恩を仇で返した」と批判したのだ。

興味深かったのは、会場からは「【仇】は英語で何というのか」という質問があったことだ。本筋とは関係ない質問かもしれないが、実はこれが本筋なのではないかと思われるような「言葉の壁のある世界」に私たちは生きているのだと意識させられた。

 私たちは、日本語の中で生きている。日本語の中で傷ついている。日本語の中で怒っている。日本語の中で闘っている。それなのに「英語で発信しなければなかったことにされるかもしれない」というグローバリゼーションを生きている。今回の議論はその葛藤を私たちに意識させるものでもあったのだ。

 記者会見後、知り合いの男性ジャーナリストと話す機会があった。彼は伊藤さんに同情的で、「小学校の学級委員みたいな指摘だ。ジャーナリストが権力と闘わないでどうする」と憤っていた。なるほど、と思う。左翼的な男性たちにとって伊藤さんの事件は「当時、現職の総理大臣の『お友だち』が起こした性加害事件だが不起訴になった事件」であり続けているのだ。反権力という大義名分の前に、個人の同意や許諾などたいしたことないと考えられるらしい。でも……と思う。伊藤さんを身近で支え、共に涙し、裁判を勝利に導いたのは、西廣弁護士をはじめ、記者会見に青ざめた顔で集まった女性記者たち、思想信条と関係なく同意のない性交を許してはいけないと憤った「学級委員みたいな」女たちだったのだ。女性への暴力を許さない、不正義を許さないと、伊藤さんと共にあろうと誓った女たちだったのだ。そんな女たちの「恩を仇で返してはいけない」という「学級委員」みたいな倫理は、バカにされるような価値ではないと私は思う。

 記者会見が終わると、伊藤さんの声明が印刷されてFCCJの入り口に届いていた。そこには許諾や同意が「抜け落ちた」として謝罪が記され、作品を一部編集すると記されていた。記者会見のキャンセルは残念だったが、いつか伊藤さんの声で、日本語で語られる日を待ちたい。


古賀茂明 「森友文書開示問題」の上告を断念させた石破首相の“覚悟” 赤木雅子さんが私に明かした「石破さんからの言葉」

2025年02月11日 | 事件

AERAdot 2025/02/11

 

「上告断念のニュース ありがとうございます♪石破さんの言葉に感謝です」

 ニューヨークに滞在中の私のスマホに入った赤木雅子さんからのショートメッセージだ。雅子さんにとって、最高のニュースであると同時に、これは、石破茂首相自身にとっても分岐点となる出来事だ。

 この話は今から約8年前に遡る。

 2017年2月10日に朝日新聞が、大阪の森友学園に9億5600万円相当の国有地が1億3400万円という破格の値段で売却されたことや同学園が建設を予定している小学校の名誉校長に安倍晋三首相(当時)の夫人昭恵氏が就いていることなどを報じたことから、国会などで大きく取り上げられた。

 その際、安倍氏は、国会で「私や妻が関係していたということになれば、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」と大見得を切った。

 財務省で本件を担当していた佐川宣寿理財局長(同)は、安倍氏の発言との整合性を取るため、近畿財務局に、土地売買の決裁文書などから昭恵氏の名前を消去するなどの改ざんを命じたとされる。

 その作業を命じられた、雅子さんの夫で同局の職員だった赤木俊夫さんは、上司に涙ながらに直訴し、財務本省に直接メールまで送って改ざんの不当性を訴えたものの聞き入れられず、改ざんを強要された。その作業は、安倍氏の発言の直後、17年2月下旬に始まった。

 その後18年3月に、朝日新聞が、財務省が森友学園への土地売却に関する決裁文書を改ざんした疑惑を初めて報道し、新たな大問題となった。

 公文書改ざんを職務命令によって強要された被害者の赤木さんは鬱状態に陥った。

 一方、赤木さんは非常に強靱な精神も併せ持っていた。赤木さんは、後に告発するために改ざんの経緯を克明に記録し、文書として残していたのだ。これが世に言う「赤木ファイル」だ。

 その赤木さんを死に追いやった最後の一撃は、検察からの取り調べのための電話だったというのが私の見方だ。電話の内容から、自分が生贄にされるのではと考えた赤木さんは、死をもって抗議し、赤木ファイルを世に問うことを決断した。

 赤木さんが遺した「最後は下部がしっぽを切られる」という言葉には、そうした意味が込められている。

 赤木さんは、正義を実現するためには、死をもって告発するしかないという強い気持ちで命を絶ったと考えることができるのだ。

雅子さんが始めた「情報公開請求」の闘争

 しかし、事件の真相が全く不明のままでは、赤木さんがどうして死に追い込まれたのかは証明できない。

 雅子さんは、「とにかく真実を知りたい」という思いで、財務省に真相究明を要求し、その時々の首相にまで手紙を書いて「お願い」したが、事実上無視され続けた。

 やむを得ず、雅子さんは、20年3月に国(財務省)と佐川氏を相手取って、損害賠償請求の訴訟を起こした。雅子さんの長くて辛い訴訟の歴史の始まりだ。

 その後の詳しい経緯は他の報道などを見ていただくとして、これまでの訴訟ではすべて、雅子さんの「真実を知りたい」という思いを嘲笑うような判決しか出なかった。

 国に対する損害賠償訴訟では、佐川氏本人への尋問が近づくと突然財務省側が雅子さんの請求を丸呑みして、尋問などを行わせずに裁判を終わらせるという暴挙に出た。

 佐川氏の責任については、これほどの悪事を働いたとされるのに、公務員個人の責任は問えないという形式論理で雅子さん全面敗訴で終わった。現在上告中だが、勝ち目は薄いと言われる。

 雅子さんはさらに情報公開請求の闘争を始めた。

 本件に関しては、検察庁が公文書改ざんなどの疑いで捜査を行った結果、誰一人刑事責任を問えないというとんでもない結末になったのだが、雅子さんは、検察から財務省に返却された文書をすべて開示せよと財務省に情報公開請求したのだ。だが、財務省は、どういう文書があるのかも全く明らかにしないまま、開示しないと決定した。

 そこで、雅子さんは、裁判を起こした。

 1審の大阪地裁では、財務省側が、検察が持っていった資料を開示すると、捜査の手の内を公開することになり、今後の同種事件の捜査に障害が生じるという驚くほど杜撰な理由で公開を拒否した。大阪地裁は、財務省の主張を丸呑みして文書の存否さえ答えないまま不開示にしても良いという判決を出した。

 雅子さんは控訴した。

 そして迎えた1月30日の裁判で、大阪高裁は、非常に明快に、財務省の不開示決定を是とした1審判決を取り消すという判決を出したのだ。

 その時も雅子さんから私のスマホにショートメッセージが入った。

「やっと裁判で勝つことができました」

 雅子さんにとって、初めての「本物の勝訴」だ。

 しかし、まだ安心はできない。

 財務省が上告すれば、また同じ戦いが続くからだ。最高裁がどんな判断を下すのかも見えない。

石破首相は雅子さんと2度面談した

 後日、雅子さんに電話をすると、雅子さんは「石破さんには、上告を止めて文書を全部開示するように財務省に命令してほしい」と語った。さらに、「最近、石破さんは変わってしまったようで不安になる時がある」と言うので、「石破さんが雅子さんのことを真剣に考えてくれているのは確かですよ、それを信じるしかないですね」と言うと、雅子さんも、「私も信じます」と力強く返事をしてくれた。

 それからわずか1日。

 石破首相が加藤勝信財務相などに上告断念を指示したというニュースが流れた。

 それを喜ぶ雅子さんから冒頭のメッセージが送られてきたのだ。

 石破首相がこの決定を下すことを予想していたものの、それは2月6日~8日の日程の訪米からの帰国後だと勝手に思い込んでいた私にとっては、嬉しい驚きだったが、雅子さんにとってはさらに飛び上がらんばかりのサプライズになったはずだ。

 私が石破氏の今回の決定を予測したのには訳がある。石破氏は、雅子さんと赤木さんに対して特別な思いを抱いているからだ。

 それを示す二つのエピソードを紹介しよう。

 雅子さんは石破首相と2度面談したことがあるが、最初に会ったのは、21年9月23日だった。自民党総裁選の最中だ。

 私は、石破氏が総裁選に立候補する可能性があるという段階で、総裁選に出るなら、安倍政治に終止符を打つという覚悟を再確認するために雅子さんに会ってもらいたいと考えてそれを提案した。総裁選直前で難しいのは承知のうえだったが、思いがけず「是非お会いしましょう」という返事が来た。推薦人が集まらず、大変な時期だったのでとても驚いたのを覚えている。

 その後、石破氏は9月15日に総裁選出馬を断念したが、雅子さんと面談したのは総裁選のオンライン政策討論会があった日だった。

 雅子さんは、「短時間会ってもらえるだけで十分です」と話していたが、面談は小一時間続いた。石破氏は、雅子さんの言葉を一度も遮ることなく真摯に耳を傾けた後、この問題は、日本の政治にとってとても大事なことだ、決して有耶無耶にして良い問題ではない、必ず真相を究明するための検証を行い、何が悪かったのかを明らかにしないと、同じ過ちを犯すことになるというような話をしていた。同席した私は、そこまで踏み込むのかと驚いた。

 雅子さんは、その時の感激を今も忘れないとよく話している。

 9月の面談の後、10月8日にも雅子さんは石破氏と面談している。私は同席していなかったが、同じような話をあらためてじっくりと話したということだ。

命日には石破首相から電報

 もう一つ印象深い話がある。私が24年の2月8日に議員会館で石破氏と会った際、石破氏に赤木さんの命日が3月7日だという話をしたところ、その場で「大事な日だ」と言ってメモを取っていたことだ。その後、雅子さんに尋ねると、「命日に石破さんから電報が届いたんですよ」と嬉しそうに話していた。

 これほどまでに親身に雅子さんを気遣い、応援する姿勢を示していた石破氏が、昨年9月に自民党総裁選で勝利した時、雅子さんがどれだけ喜んだのか、想像してみてほしい。

 その時を振り返って、雅子さんは「小躍りして喜びました」と話している。

 ただ、首相になった石破氏は、雅子さんからみると雲の上の人だ。直接話すのは無理だと考え、24年10月2日に石破氏に手紙を書いて議員会館に届けた。

 しかし、石破首相変節などというニュースを見て不安が募った。思い切ってメールで石破氏に直接、第三者による再調査を求めたが、石破氏からは明確な回答ではなく、「お気持ちを理解している」という返事が来たそうだ。

 どんな意味だかはっきりしない。雅子さんは、「石破さんは変わってしまったのだろうかと不安な気持ちになってしまう」と悲しげに話していた。その気持ちが痛いほどわかって私も辛い気持ちになったのを覚えている。

 先の私との電話の最後に、それでも雅子さんは石破氏を信じたいと語った。直接会って真摯に自分に向き合ってくれたこと、真相究明のために検証が必要だと力強く語ってくれたこと、「全て心の底からそう思っていらっしゃったと感じました」と雅子さんは言う。

 その面談に同席した私も石破氏の言葉に嘘はないと確信していた。

 今回、雅子さんの石破首相への信頼が間違いでないことが証明された。

 石破首相の、「赤木さんが強い使命感と責任感を持って仕事にあたってこられたと聞いており、そういう方がみずから命を絶たれたことは重く受け止めなければいけない」

「赤木さんやご遺族のお気持ちを考えた時に、この判決は真摯に受け止めるべきだと考えて、上告しないことを決断した」

 という発言は、これまで培った雅子さんと石破氏の絆の強さを物語っている。

今後のポイントはどこまで「開示」をするか

 ただし、まだこれで十分だというわけではない。

 なぜなら、文書を開示すると言っても、いろいろなやり方が考えられるからだ。

 可能性としては、

1)どんな文書があるのかは明らかにするが、その全てがなんらかの理由(例えば、個人のプライバシーを侵害する)により開示できないとして全面的に開示を拒否する

2)どんな文書があるかを明らかにした上で、大多数の文書について、1と同様に不開示とし、ほとんど意味のない文書だけ開示する

3)一定の範囲で文書を開示するが、開示した文書のほとんどが黒塗りにされる

4)かなり多くの文書を開示し、黒塗り部分も必要最小限とするが、最も機微に触れる情報が入った文書(例えば、政治家からの改ざんの指示、財務相の関与の態様などがわかるもの)については、不開示とする

5)真に必要な黒塗りはするが、基本的に全ての文書を公開する

  などがある。

 首相の指示があったのだから、1はなさそうだが、2、3は十分にありうる。それとともに怖いのは、石破政権が夏の参院選後まで続くのかどうかを見極めるまで、最終決定を遅らせて、万一石破政権が倒れれば、1の対応で済ませようと財務省が考えることだ。夏まで動かないということになる。財務省ならやりかねない。

 石破首相には、上告断念に加え、早期の開示を指示するとともに、第三者委員会を作って、文書開示の適切性も含めて真相究明を行ってもらいたい。

 私は、石破氏にはその考えがあると見ている。

 今回の決定は、雅子さんにとって大きな出来事だが、実は、石破首相にとっても、一つの分岐点である。

 なぜなら、森友学園問題にメスを入れ、真相究明を行うということは、安倍政治の闇を暴き、それに終止符を打つことを意味する。

 当然のことながら、旧安倍派や高市早苗自民党元政調会長らの右翼層の反発はかなりのものになるだろう。

 矢継ぎ早に中国との関係改善を進める石破外交や選択的夫婦別姓導入への結論を急ぐ姿勢などで、右翼層の反発は高まっている中での今回の決断だ。

 私には、そこに石破首相の人間性が表れているように思える。

 弱者に寄り添い、言葉を重んじる。雅子さんと交わした約束は、なんとしても守らなければならない。右翼層を恐れ、保身に走ってこれを違えば、右翼に負けるだけでなく、己との戦いに負けることだと石破氏は考えているはずだ。

 今回の決断は、石破氏が本来の姿を取り戻して党内の守旧派勢力を恐れず、信念を持って正しいことにチャレンジするという宣言になるのではないか。

 それを見れば、国民は、自民党守旧派ではなく、石破首相を支持するはずだ。

 そこから、石破首相の反転攻勢が始まる。

 それを期待したい。


せめて、それぐらいやってほしいものです。
トランプ会談後の支持率が5パーセントほど上がっていましたね。

雪かきのせいでしょうか?
肩から腕が痛くて、寝てても目が覚めます。


中居氏の疑惑めぐりフジテレビ

2025年01月24日 | 事件

性的接触の強要 常態化か

「しんぶん赤旗」2025年1月24日

背景に業界の“接待文化”・幹部の特権意識?

 芸能活動の引退を表明した中居正広氏の女性に対する性加害疑惑にフジテレビ幹部の関与が疑われています。同局の港浩一社長会見(17日)を受け、大手スポンサーは一斉に同社番組へのCM差し止めなどを発表。性暴力に対する企業倫理や組織の在り方に大きな批判が起きています。(日隈広志)

 『週刊文春』は昨年12月、2023年6月に芸能関係の女性が中居氏と懇意のフジ幹部から誘われた会食で中居氏と2人きりにされ、「意に沿わない性的行為」を受けたと報じました。

 これを受けフジは昨年12月に声明で「当該社員は会の設定を含め一切関与していません」と表明しました。

 一方、中居氏は今月9日付の声明で「トラブルがあったことは事実」と認めました。

 フジの港社長は17日の会見で、発生直後から問題を把握しながら、女性の「心身の回復」「プライバシー保護」を優先したなどとして、中居氏への「正式な聞き取りを含めた調査」をしていなかったと明らかにしました。また、外部の弁護士らを含めた「調査委員会」を設置すると発表。同局幹部の関与については詳細な情報を求める記者団に対して調査を理由に回答を拒否しました。

■新たな告発も

 『文春』(1月16日号)では、新たにフジの女性アナウンサーが仮名で、同局幹部が設けた会食での男性タレントからの性被害を訴えました。

 タレントの青木歌音氏は20日に動画配信サイトで、自身がフジ系企業のアナウンサーだった2010年代にフジ幹部から飲み会などの場で繰り返し性被害を受けていたと告発。フジの番組制作関係者の間ではセクシュアルハラスメントが「普通だった」と語りました。

 『文春』は、これらの問題の背後に、女性アナウンサーを大手芸能事務所などへの「接待要員」にした仕組みがあると主張。港社長が常務時代につくったとしています。

 会見で、フジ社員が女性とタレントを2人きりにして性的接触をさせることが常態化していたのかとの質問に港社長は「なかったと信じたい」と述べるにとどめました。

 20日までにフジへのCM見合わせを発表した企業は75社を超えました。22日までにテレビ朝日、TBS、日本テレビ、テレビ東京の主要4局は取引先などとの間での「不適切な行為」に関する調査の結果や実施を発表しています。

 一般社団法人社会調査支援機構チキラボ(荻上チキ所長)の調査によると、芸能・メディア関係の255人のうち22・7%にあたる58人が「性的接待を要求された経験がある」と回答(24年2月公表、グラフ)。同質問の自由記述欄には「プロデューサー・ディレクター・マネージャーからホテルに行こうと言われる」(30代女性)、「他テレビ局の女性社員が広告代理店の年配既婚男性社員からキスを迫られ、身体を触られるなどの被害にあっていた」(30代女性)などの実態が数多く寄せられています。

■ようやく認識

 「ビジネスと人権」に詳しい伊藤和子弁護士は、「性的接待」は「断れば仕事を奪われるという地位関係や権力勾配に乗じた性暴力」だと指摘。繰り返し被害が告発されながら不問にされてきたとして、今回の各企業の反応について「旧ジャニーズ事務所問題や『#MeToo』運動で被害者が声をあげてきました。やっと、日本企業が性暴力を“重大な問題”と認識するようになってきたのではないか」と話します。

 一方、フジの被害者への対応をめぐっては、「不明な点が多い」とした上で、仮に被害者女性が従業員だった場合、フジは男女雇用機会均等法(11条)の措置義務違反になる可能性があると指摘。「事業主には、調査によって事態を正確に把握し、セクシュアルハラスメントの被害者が働き続けられる環境を整えることが義務付けられています。中居氏に調査をしないのは、被害者軽視だとみなされても仕方がなく、被害者のプライバシーを理由にするなど本末転倒です」

 また、同社の「調査委員会」が、日本弁護士連合会が策定したガイドラインに基づく「第三者委員会」でないことは「重大」だとも指摘。「調査に責任を持つ企業側の公正性と透明性の担保は、『ビジネスと人権』の基本です」

 フジは23日、「第三者委員会」の設置を表明しました。

■使命を捨てる

 フジは会見時に「ラジオ・テレビ記者会」加盟以外のメディアの質問を禁じ、映像の撮影や中継を認めませんでした。

 これに対し、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)は21日に抗議声明で「権力の監視を担う報道機関として使命や責任を放棄したに等しい」と批判しました。

 元新聞労連委員長で新聞記者の南彰氏が呼び掛けた、フジに再会見を求める署名は23日までに約5万人になりました。24日にフジに提出するとしています。

 『放送レポート』の岩崎貞明編集長は、メディアの在り方が問われていると強調します。大手テレビ局は世論形成に影響力を与え、強大な権力を振るってきたとして「フジ幹部の中で、何をしても問題にならないという特権意識があるのではないか」と指摘します。

 民放労連の調査(23年公表)によると、全国の民放テレビ局・ラジオ局の役員に占める女性の割合はわずか3%です。岩崎氏はメディア分野のジェンダー平等が早急に必要だと言います。「権力を持つ男性多数の状況が、女性アナウンサーらを『献上品』などと物のように扱う女性蔑視を生んでいるのではないでしょうか」


テレビに求められているもの。

2025年01月20日 | 事件

「しんぶん赤旗」きょうの潮流 2025年1月20日

 「社会や世界を知る窓だった」。日本でテレビ放送が始まってから70年余。ある民放局の社長がその役割をふり返っていました。
 「健全な娯楽と民主主義を支える社会基盤の一翼を担ってきたといえるのではないか」。同時にこれからは社会における放送の存在を再評価し、社会貢献を続けなければならないと。
しかしいま、テレビ業界は大きく立ち遅れた存在となっています。
 週刊誌が報じたお笑い芸人の松本人志氏に続く、タレント中居正広氏の性加害疑惑。松本氏は記事をめぐって起こした訴訟を取り下げ、中居氏も「トラブルがあったことは事実」とコメントしています。中居氏は会食した芸能関係者の女性との間で性的トラブルを起こし9千万円の解決金を支払った、会食の開催にはフジテレビの幹部もかかわっていたと報じられています。
さらに、こうした「性接待」が常態化していたのではないかとも。
 その中で開いたフジテレビ社長の記者会見は「そういうことはなかったと信じたい」というだけで、ほぼすべての質問に答えず。疑惑の解明からはかけ離れた姿勢でした。会見も閉鎖的で報道機関としてのあり方が問われます。
 テレビの“顔”にとどまらず、放送局全体に注がれる厳しい目。フジのCMを差し止める企業も相次いでいます。ジャニーズ問題の後も絶えない性的な被害や人権侵害。いまテレビに求められているのは、そこで働く人たちの人権を守り、健全さや民主主義とは相いれない体質を改善することではないのか。

⁂     ⁂     ⁂

〈中居正広9000万円トラブル〉フジテレビ“ガバナンス崩壊”の裏で「総務省キャリア官僚」が続々天下り! 「7万円接待」女性初の首相秘書官を直撃すると…

週刊文春 2025年1月23日号より一部抜粋

 フジサンケイグループの持株会社であるフジ・メディア・ホールディングスを含むグループ企業に、テレビ局の監督官庁である総務省のOBら4人が天下りしていることが「週刊文春」の取材でわかった。

総務省の天下り役人はフジが突出して多い

「天下り役人の一人は、昨年6月26日にフジ・メディア・ホールディングスの取締役に就任した山田真貴子氏。〈略〉

  山田氏は1984年に旧郵政省に入省。2013年、第2次安倍内閣で女性初の首相秘書官に抜擢され、安倍政権を支えた。その後は順調に出世街道を歩み、2017年には放送行政を一手に担う情報流通行政局長に就任。情報流通行政局長は放送担当のトップである。

 「飲み会を絶対に断らない女」に大きな批判が…

「2020年9月、菅義偉内閣のもとで女性初の内閣広報官に就任しましたが、総務審議官時代に菅氏の長男が勤めていた放送事業会社『東北新社』から、一晩に7万4203円という高額接待を受けていたことが『週刊文春』の報道により発覚。山田氏は、かつて若者に向けた動画メッセージで『飲み会を絶対に断らない女としてやってきた』と語っていた。大きな批判を浴び、翌年3月に内閣広報官を辞任しました」(同前)

〈省略〉

フジ・メディア・ホールディングスの取締役の他、フジテレビジョンの社外取締役も兼務。一般的に、取締役の年収は3000万円前後です」


企業献金・裏金問題・官僚たちの天下り体質。
政権交代しかありませんね。

当blog、イメチェンしたけどしっくりしない。
また元に戻しました。
しかし「不具合」長く続いていますね。
まだ「過去の解析」が直っていないようです。
あれ?
今度は「プレビュー」ボタンがない。
これは不便だ。


韓国弾劾可決 ペンライトで包囲 そこに女性たちがいた

2024年12月26日 | 事件

「しんぶん赤旗」2024年12月26日

歴史に刻まれる闘い

 尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の弾劾訴追案が国会を通過した韓国。追い詰めたのは民主主義を守ろうという市民たちの運動でした。その中心を担ったのは20代、30代の女性たちです。女性たちの声が政治を動かしたと歴史に刻まれるだろう―。70、80年代の民主化闘争を経験した活動家からはこのような声があがっています。(ソウル=栗原千鶴 写真も)

 「2030女性」と呼ばれる20~30代の彼女たちは、弾劾を求める集会運営の先頭に立ち、舞台で積極的に発言していました。

 「誰もが尊重される社会で生きていきたい。これまで行動してこなかったことを謝りたい。一緒に闘います」。力強い声がソウルにある国会前の広場に響きわたると、大きな拍手が起こりました。

 舞台のそでには、自由発言の機会を待つ若い女性たちがずらり。戒厳令が出た日をどう過ごしたか、どんな社会で生きていきたいか、などの発言はSNSで共有されました。

 このメッセージは保守派の岩盤支持層が多い地方にも波及。保守の強い大邱市や釜山市、慶尚道の集会でも、呼応する人々の姿がありました。

 大邱市では、「私たちは保守の草刈り場ではない! TK(大邱・慶尚北道)のコンクリートは TKの娘たちによって壊れるだろう」とのプラカードが掲げられました。SNSで瞬く間に拡散され、女性たちの共感と励ましの声があふれました。同様のプラカードを持参した女性は、「大邱が変われば韓国も変わると思う。弾劾まで行きます」と語りました。

「愛」で連帯する

 ペンライトの登場も集会の雰囲気を一変させました。韓国では、米国産牛肉の輸入反対集会(2008年)や朴槿恵(パク・クネ)大統領の弾劾を求めるデモ(16年)で、ろうそくを手に団結。「ろうそく集会」と呼ばれてきました。今回はそれがKポップのアイドルを応援するペンライトに変わりました。

 「家にある一番明るいものを持ってきて」という主催者の呼びかけに応えたソン・セヨンさん(36)は、朴氏の弾劾の際、「ろうそくは風が吹けば消える」と言い放った与党議員への抗議としてLEDのろうそくが登場し、ペンライトにつながったと教えてくれました。「同じペンライトを持っている人を見つけると安心するし、力が湧く。最後まで頑張ろうと話が弾みます」

 娘のものを借りてきたという女性や、野球観戦で使うメガホンを改造したという男性も。無数のライトが集会を彩りました。

 一方、民主化闘争を知る世代からは“軽すぎないか”との懸念も出されたといいます。それに対し、ソウル市在住のキム・ジェナさんは、国会前の舞台の上から訴えました。

 「戒厳軍の銃刀や催涙弾に命懸けで立ち向かった先輩から見たら、切迫感に欠けていると見えるかもしれません。しかし、私たちは皆さんが勝ち取った民主主義の下に生まれた世代です。皆さんが作り出した『生存』という実です。『切迫』ではなく『愛』で連帯する世代。私たちはこの広場で連帯、団結、闘争も学んでいます」

李韓烈を忘れず

 ソウルにある李韓烈(イ・ハンニョル)記念館のイ・ウンヨン事務局長は女性たちの活躍を「私たちの希望です」とたたえます。

 李韓烈は、民主化の闘士で、延世大の学生だった1987年6月の闘争の中で警察が投げた催涙弾に直接あたり、意識不明になりました。民主化を勝ち取るきっかけになった事件でした。

 李韓烈を忘れず、民主主義を守ろうと市民の手で建てられた同記念館には、当時の運動の激しさが写真や映像で展示されています。

 イさんは言います。

 「李韓烈は、ある一人の大学生でした。良心に恥ずかしくないよう街頭に立った。民主主義は、こうした名もない人々の手で勝ち取られました」。若い女性たちが表舞台に出てきた今回の闘いには、確かな前史があったことが分かります。一方で、「記念館の写真に写っているのは、ほとんどが男性です。もちろん女性もいましたが、あまり残されていません」とも。

 尹氏は22年の大統領選で、女性嫌悪を前面に出し当選しました。女性たちの大きな怒りが渦巻いていたことも今回の背景にあります。

 「いま李韓烈らが勝ち取った民主主義を守ろうと女性が躍動し、政治を動かしています。誰も無視できません。女性たちの姿がしっかり刻まれる歴史的な運動だと思います」


時間があれば下のビデオご覧ください。
とても長いので、最初の10分まで見ていただいてもて結構。

【徐台教の韓国通信】年末特番!映画とドラマで知る韓国近代史 ゲスト:高山和佳さん


滋賀医大・性的暴行事件で逆転無罪、大阪で抗議集会

2024年12月24日 | 事件

 性被害訴えの女性検事「あなたは一人じゃない」

 

12月23日夕方、大阪高裁前で、性犯罪の無罪判決に抗議する緊急のフラワーデモがおこなわれ、SNSなどで告知を見て集まった約300人(主催者発表)が、花やプラカードを掲げた。大阪地検の元検事正を告発した女性検事や、芥川賞作家も駆けつけて、スピーチをおこなった。(四条まる)

●滋賀医大生の逆転無罪判決に抗議するデモ

大阪高裁では12月18日、女性への強制性交罪に問われた滋賀医大生2人に対して逆転の無罪判決が言い渡されており、これに抗議する集会となった。

この事件では、滋賀医大生ら3人が逮捕・起訴された。主犯格とされた1人は一審から罪を認めて、懲役5年6カ月の実刑となり、控訴は棄却されている。残る2人は一審から無罪を主張したが、一審の大津地裁ではそれぞれに懲役5年、懲役2年6カ月が言い渡されていた。

大阪高裁は、医大生側の「同意があった」「動画を消してほしいと考えた女性が話を誇張した」といった主張に沿って、最初の性的行為までの記憶がないなどとする女性の証言を不合理な点があると判断した。

この判決が報道されると、SNS上で動揺や非難の声が広がり、裁判長に抗議するハッシュタグや、署名も拡散された。緊急のフラワーデモは12月22日夜に告知された。

フラワーデモの様子
フラワーデモの様子

●他の被害者の被害申告にも悪影響がある可能性

フラワーデモの発起人で作家の北原みのりさんは、フラワーデモのきっかけとなった2019年3月の4件の性犯罪・無罪判決や、2023年の不同意性交等罪創設に触れて「どのぐらい社会は変わったのだろう」と疑問を投げかけた。

大阪府内の公立校の教員を長年勤め、現在、立命館大学非常勤講師の平井美津子さんは「今回の判決、誰を守り誰を助けたのでしょう。誰も守ってません。誰も助けてません」と、判決は医大生を救うことにもならないとうったえた。

また、「今、性暴力を受けている人、受けてきた人たち。どうしよう、言うべきだろうか、どうしたら助かるだろうかと思っている人たちは、この判決で『言ったほうが損をする』と思ってしまうのではないでしょうか」と述べ、判決によって他の被害者の被害申告にも悪影響があるおそれに言及した。

大阪高裁では、医大生が言った「苦しいのがいいんちゃう?」「調教されてないな、お前。ちょっとされないとダメやな」などの言葉を「卑猥な言葉の範疇で脅迫には当たらない」とされた。また、女性が「やめてください」「いや」「絶対ダメ」と言っていたにもかかわらず、拒否をしたと言い切れないと判断された。

この点について、SRHR(性と生殖に関する健康と権利)を広める「なんでないのプロジェクト」代表の福田和子さんは「こんなことが通ってしまうのなら、ビデオを撮って嫌なプレイに見えるような言葉を発していれば、なんでもOKになってしまうのではないでしょうか」と声を震わせた。

「『やばいよね、帰ろう』と言って(女性が友人の女性と)組んだ腕が引き離されたときの二人の、『友人だけでも帰してあげてほしい』と言って、被害者だけが残されたときの恐怖は、どれだけのものだったでしょうか。

こんなにも私たちが声を上げるのは、それだけ多くの人が、性暴力を受ける恐怖、もしくはその記憶と共に生きているからだと思います。この判決の残酷さをまったく他人事と思えない世界線に私たちは生きているから、こうやって声を上げているんです」(福田さん)

●女性検事「あなたは一人じゃない、私たちが共にいる」

フラワーデモの様子
フラワーデモの様子

ひときわ大きな拍手が起こったのは、大阪地検・元検事正による性的暴行を刑事告訴した女性検事のスピーチだった。

「(コメントを)代読していただく予定だったんですけれど、みなさんのスピーチをお聞きして、私自身の声で発信したいと思いましたので、私自身でお話をさせていただけたらと思います」とマイクを持った。

「まずは今回の不当な判決により、今、絶望の中にいる被害者や、そのご家族の方に、あなたは一人じゃない、私たちが共にいる、私たちが共に戦うと言うことを、お伝えしたいと思います。

司法関係者に求められているのは、性犯罪の法律や裁判例の正しい理解と、性犯罪被害者の心理、および、心的外傷、被害者と相手方の関係性などを適切に踏まえて判断する常識的な事実認定能力です。

かつて、それらを欠く一部の司法関係者による不当な無罪判決などにより、勇気を振り絞って被害申告した被害者を、絶望に追い込み、自己の尊厳と正義を取り戻そうとする未来を踏みにじってきました。

そして被害者や支援者が、血の涙を流しながら、必死に運動して築き上げた、性犯罪被害者を正しく守るための法律が令和5年7月施行の法改正であり、処罰範囲は法改正前後で同じです。

また暴行や脅迫も、その程度は問われていません。総合的な判断で、性犯罪が成立するかを検討すれば足りるわけです」(女性検事)

2023年7月に性犯罪刑法の法改正があり、不同意性交等罪が創設されたが、これは「処罰範囲の拡大」ではなく「処罰範囲の明確化」であると法務省サイトでも説明されている。

「事件当時は不同意性交等罪ではなく強制性交等罪だったから仕方ない」といった説明が法曹関係者からもされることがあるが、法改正前後で処罰範囲の拡大があったわけではなく、明確化された基準で改正前の事件を判断することができるという意味の内容を女性検事は話している。

●女性検事「被害者心理を踏まえた常識的な事実認定を」

女性検事のスピーチは続く。

「法改正時、衆参両議院の法務委員会は、付帯決議において、政府や最高裁判所に対し、不同意性交等罪における同意の位置付け、および意義など構成要件について、国民に対する普及啓発を推し進め、十分に周知徹底をつとめること、性犯罪の捜査、司法手続にあたっては、被害者の心理やトラウマ、相手方の関係性をより一層適切に踏まえてなされる必要に鑑み、これらに関連する、心理的、精神医学的知見等について、調査研究を推進するとともに、研修をおこなうことにつき格段の配慮を求めています。

しかし、法改正後の現在においても、法律を熟知する大阪地検の元検事正が、個人的に関係のない酔い潰れた私に対し、性交等した事件において、被害者は抗拒不能ではなかった、抗拒不能だとは思わなかった、被害者が性交に同意していると思っていた、などと姑息な弁解をして否認に転じ、また連日にわたり、不当な無罪判決が連発していることは、今なお、一部の司法関係者が、性犯罪の法律等を正しく理解せず、性犯罪被害者の心理等を適切に踏まえて、常識的な事実認定をしないという恐ろしい現実を意味します。

このままでは、性犯罪被害者を正しく守るための法律を形骸化し、性犯罪を撲滅しようという社会的な機運を逆行させ、理不尽な性被害により、苦しめられ傷つけられる被害者がもはや声を上げることができなくなり、犯罪を助長させることになります

誤った判断は必ず正すべきです。そして、政府や最高裁判所は事態を真摯に受け止め、立法府の求めに応じ、すぐにでも周知徹底すべきです。これ以上、司法関係者の怠慢により、性犯罪被害者やその家族を苦しめないでほしい」(女性検事)

●津村記久子さん「まちがった継承がないように正しく指摘し、声を上げましょう」

関西在住の芥川賞作家、津村記久子さんもスピーチをおこなった。

「これらの事件のいきさつは、まともに生きている市民たちに健全に生きる意欲をなくさせ、規律を守る意識を低下させるものだと思います。直接関係のない人々にも、どこかで人生にはちゃんと生きる価値はないと諦めさせる、凄惨な圧力であるとも思います。

こういったことがまかり通ったら、性加害の願望を持つ人間は、レイプを始めとする性暴力は金と権威で解決できるものだと思い、被害を受けた人たちはそういう連中に忖度しなければ生き延びられないと思い込まされます。

そんな腐敗した、希望の持てない社会に自分は生きたいと思いませんし、未来ある人たちが負うべきものだとも思いません。これは今、終わらせましょう。まちがった継承がないように正しく指摘し、声を上げましょう」(津村さん)

大阪では、今回の無罪判決や大阪地検・元検事正の事件のほかにも、女性から民事訴訟で性加害を訴えられた岸和田市長や、性暴力被害者のためのワンストップ支援センター大阪SACHICO存続のための請願が大阪府議会で否決されるといった問題があり、今回のデモではそれぞれの現場で抗議などの活動を続けている人たちの姿もあった。

来年、「ぜんぶのいのちと、ワクワクする未来へ。」をテーマとした万博が開かれる予定の大阪。「ぜんぶのいのち」が輝く未来はあるのだろうか。


メリーX

連日-15℃を下回っている。
心も冷え冷え。


米兵実刑判決 女性ら性暴力に怒り新た 勇気の告発、少女に拍手

2024年12月14日 | 事件

「しんぶん赤旗」2024年12月14日

 昨年12月に起きた米軍嘉手納基地所属の空軍兵による少女暴行事件。13日、那覇地裁の佐藤哲郎裁判長が懲役5年の実刑判決を言い渡すと、勇気ある告発をし、厳しい裁判をたたかった被害少女に心を寄せてきた女性らは安堵(あんど)の表情を見せ、米軍の性暴力への怒りを改めて語りました。

 公判は33人の傍聴席の抽選に9倍近い人が詰めかけました。午後2時、無罪を主張し続けたワシントン被告が沈鬱(ちんうつ)な面持ちで入廷。開廷直後、判決主文を聞いた記者が飛び出し実刑判決を告げると、フラワーデモインおきなわ呼びかけ人の上野さやかさんが涙を見せました。

 琉球大法科大学院の矢野恵美教授は実刑判決を評価。「若い被害者が一生懸命声をあげ、裁判で証言したことがすべて認められた。被害者の努力が少しでも報われれば」と語りました。一方、在沖米兵の性暴力への適切な処罰を勧告した国連女性差別撤廃委員会の日本審議を傍聴した「Be the Change Okinawa」代表の親川裕子さんは「性暴力の不処罰の文化が終えんするのか問題提起が必要。米軍基地を抱える沖縄全体の問題だ」とします。

 沖縄県女性団体連合会の伊良波純子会長も「米軍基地があるからこその事件。22日に開く県民大会で政府に日米地位協定改定を求めたい」と話しました。

 午後6時から県庁前広場で開かれた報告集会には数十人が参加。基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表の高里鈴代さんは「少女の勝利に拍手をおくりたい」と語り、拍手に包まれました。


政府や警察は事件を把握していたにもかかわらず、発表せず、県にも情報を共有しなかった。裁判が沖縄で行われたこと自体画期的であり、有罪判決を勝ち取ったのは沖縄県民と国民の声が大きくなったからでしょう。

話は変わりますが、下記のビデを見て驚きました。
公明党が一番利権の利く国土交通省にしがみついています。
よほど甘い汁が吸えるのでしょうと思っておりましたが、そのようです。

【改悪】軽を購入した人が来年から大後悔してしまうヤバい理由とは… 来年から軽に乗ったらいけない理由【ゆっくり解説】


国際刑事裁判所(ICC)への圧力 大国の横暴排除せねば

2024年12月13日 | 事件

「東京新聞」社説 2024年12月13日 

 個人の戦争犯罪などを訴追する国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長が年次総会の冒頭演説で「(ICCが)国連安全保障理事会の常任理事国からテロ組織のように脅迫されている」と訴えた。国際法と国際司法の危機にほかならない。

 日本政府は「法の支配」を守るため大国の圧力に屈せず、ICC擁護の姿勢を鮮明にすべきだ。

 ICCは11月、パレスチナ自治区ガザでの戦闘に絡む戦争犯罪などの疑いで、イスラエルのネタニヤフ首相らに逮捕状を出した

 同国首相府はICCを「反ユダヤ的」と非難。米国のトランプ次期政権で大統領補佐官(国家安全保障問題担当)に内定したウォルツ下院議員も「(2期目が始動する)来年1月にはICCと国連の反ユダヤ的な偏向に強く対処できる」と対抗措置を示唆した。

 1期目のトランプ政権はアフガニスタンでの戦闘に加わった米兵たちの戦争犯罪捜査を巡り、ICCの主任検察官に米国内の資産を凍結する制裁を科している。

 ICCはロシアのウクライナ侵攻でも昨年3月、プーチン大統領に戦争犯罪の疑いで逮捕状を発行したが、ロシアは報復措置として赤根氏らを指名手配した。

 ICCは大量虐殺などを犯した個人を追及する独立の常設機関で2002年に活動を始めた。日本は07年に加わり、最大の資金拠出国だ。現在124カ国・地域が加盟するが、安保理常任理事国の米国、ロシア、中国は未加盟だ。

 米国はICCによるプーチン氏逮捕状を歓迎する一方、ネタニヤフ氏の逮捕状は非難する「二重基準」を隠そうともしない。

 加盟国は逮捕状執行の義務を負うが、加盟国モンゴルがプーチン氏訪問を受け入れるなど、政治的利害優先の骨抜きも広がる。放置すれば、重大な人権侵害に国際法を適用して再発防止を促すICCの創設理念が崩れかねない。

 赤根氏は「歴史の転換点に立っている」とも警告した。日本政府は「法の支配」を目指す赤根氏を力強く支え、「力の支配」をもくろむ大国の横暴を排除する先頭に立つべきである。


まったくである。

さて、昨日恒例の「今年の漢字」が発表されたが「流行語大賞」同様心に迫るものがない。
しかも「金」は5回目だという。
「腐」「抜」「代」「民」「世」・・・
なんかあるだろう!
マ、国「民」による投票の結果か。


韓国、一時「戒厳令」 市民千人超 戒厳軍と対峙

2024年12月05日 | 事件

現地ジャーナリスト 徐台教さんの寄稿

「しんぶん赤旗」2024年12月5日

 韓国・尹錫悦大統領による「非常戒厳」宣布を受けた3日夜、韓国国会での様子について、現地ジャーナリストでニュースサイト「コリア・フォーカス」編集長の徐台教(ソ・テギョ)さんに寄稿してもらいました。

 「空輸部隊が国会を占拠しようとしているぞ!」

 ソウルを東西に流れる漢江の中州・汝矣島(ヨイド)にある国会の正門前。よく通る声で政党関係者とおぼしき若い男性が叫ぶ。空輸部隊とはいわゆる空挺(くうてい)部隊で、韓国軍のエリート兵士だ。戒厳軍は本気だ。警官隊に国会への進入を阻まれている市民や記者の表情がこわばる。

 「補佐陣(国会議員秘書)が消火器を噴射して対抗している!」

 男性がさらに叫んだ。まるで戦争だ。

 国会内の激しさに呼応するかのように、外に集まった千人を超える市民が司会者の音頭に合わせ声を上げる。「尹錫悦を弾劾しろ!」と大統領を拒否し、「国会内に届くように歓声を。ウォ~!」と戒厳軍と対峙(たいじ)する人々にエールを送る。いつの間にかその数は数倍に増え、国会内の状況にも好転の兆しが見え、がぜん熱が入る。

 冬の気配が広がる3日午後10時すぎ、韓国の尹錫悦大統領は緊急会見を開き「非常戒厳」を宣布した。そしてその理由を国会300議席のうち170議席を占める最大野党・共に民主党に求めた。

 尹氏は検察幹部や監査院長の弾劾を進め、積極的に政府予算を削減する同党を「国民の自由と幸福を略奪している破廉恥な従北反国家勢力」と位置づけ、その剔抉(てきけつ=えぐり取ること)を訴えたのだった。

幕を閉じた「戒厳令」

韓国社会が培った民主主義の勝利

 「従北」という聞き慣れない言葉は「北朝鮮に従う」ことの略語で、韓国では相手に対し「アカ」とのレッテルを貼る際に使われる。戦争を経験した分断国家ならではの悪口と言えるが、尹大統領がこの会見で示した認識は世間のそれとは大きくかけ離れていた。言うまでもなく、強い野党を選んだのは民意である。

 しかし非常戒厳の進行は粛々と進んだ。尹氏は陸軍参謀総長を戒厳司令官に据え布告令を発表させた。国会や地方議会などの政治活動は禁じられ、メディアも同司令部に統制される。集会やストライキも禁止となる。明らかに昨日までとは異なる世界への入り口が広がっていた。

 もはやこれを止める手だては国会にしかない。在籍議員の半数で解除要求案を可決すればよいのだ。国会が「戦場」に選ばれた訳がここにある。軍の介入は許さない。

 市民は同じ空挺部隊に蹂躙(じゅうりん)された44年前の『光州5・18民主化運動』の痛みを想起し立ち向かった。国会内で議員と補佐陣、そして国会職員が共に戦い、国会外では市民が戦う。市民の口からは「死ぬ覚悟で来た」という言葉も飛び出した。

 この懸命の連携プレーは実を結び、非常戒厳という韓国憲政の危機はわずか6時間で幕を閉じた。それはつまり、韓国社会が培ってきた民主主義の勝利だった。

⁂     ⁂     ⁂

韓国の「戒厳令」

緊急事態条項 危険性鮮明に

 韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が3日夜に「非常戒厳」を宣言し、4日未明に解除に追い込まれた経緯は、「緊急事態条項」の危険性を改めて鮮明に示すものとなりました。

 韓国では「非常戒厳」のもとで、陸軍大将(参謀総長)が「戒厳司令官」として布告を発出。集会やデモなど一切の政治活動を禁止し、すべてのメディアと出版を戒厳司令部が管理するとしました。国防相が軍に態勢強化を指示。軍隊が出動し国会で野党勢力ともみあいになるなど緊迫しました。

 日本ではこの間、自民党、公明党、国民民主党、日本維新の会などがコロナ禍や震災対応などを口実に「緊急事態条項」創設のための改憲を強く主張。「非常時における議員任期延長」の早期導入でまとまってきましたが、自民党は8月30日の改憲実現本部の会合で「緊急政令」の導入を改めて当面の課題とすることを確認。9条への自衛隊明記と合わせ早期の改憲実現を強調してきました。

 「緊急政令」とは「法律と同一の効力を有する政令」(自民党改憲草案)です。国会の立法権限を内閣が奪って、内閣の判断で人権制限を含む広範な規制を行うことができる仕組みです。内閣が、国会審議を抜きにして政治活動の自由や報道の自由を「政令」で制限することも可能です。乱用の危険が大きく、それを防ぐ手段も乏しい。まさに今回の韓国での「非常戒厳」が示したのと同様の危険をもたらすものです。

 戦前の大日本帝国憲法には、緊急勅令(8条)と財政上の緊急処分(70条)、戒厳令(14条)と天皇の非常大権(31条)という多くの緊急事態条項が規定されていました。治安維持法の改悪が緊急勅令で強行されるなど、議会の関与を抜きにした人権破壊や乱暴な国家運営が繰り返され、戦争による国民生活の破滅へと導いたのです。

 その反省から終戦直後の憲法制定議会では、金森徳次郎・憲法担当相が、緊急権は権力者には便利だが民主主義を無視するものとして、「緊急権は必要ない」としたのです。その復活の動きに厳しい批判が必要です。(中祖寅一)

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韓国の「戒厳令」

維新・馬場前代表 憲法知らず

 日本維新の会の馬場伸幸前代表が、Xで韓国での「非常戒厳」の動きを受けて「憲法改正で緊急事態条項を整備すべき」などと投稿しています。

 韓国の事態は、政治的に行き詰まった尹錫悦大統領が「体制転覆の脅威」を言い立て、政治的結社、集会、デモなど「一切の政治活動の自由を禁じる」としたファッショ的動きです。これを受けて「緊急事態条項の整備を急げ」という馬場氏―驚くべき危険な本音を明確にしました。

 さらに馬場氏は緊急事態条項が「権力の暴走を止める装置」だとも投稿で述べていますが事態をあべこべに描くもの。緊急事態条項は、「緊急」の名のもとに権力に対する憲法の制約を解除し、まさに権力の暴走をもたらすものです。自民党改憲草案には「緊急事態」の例示として「内乱等による社会秩序の混乱」がありますが、それを判断するのは権力者です。大きな乱用の危険があります。馬場氏の発言は、憲法の歴史と論理に対する根本的無理解を示すものです。


袴田さんに無罪判決 再審に道開く法改正こそ

2024年09月27日 | 事件

「東京新聞」社説2024年9月27日

 静岡県の強盗殺人事件で死刑が確定した袴田巌さんに静岡地裁の再審公判で「無罪」が言い渡された。無実の訴えから半世紀余。早く真に自由の身とするためにも、検察は控訴してはならない。「開かずの扉」と評される再審制度も根本的に問い直すべきだ。

 「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」-。1985年に刑事法の大家だった平野龍一・元東京大学長は論文にそう記した。

 80年代に死刑囚が相次いで再審無罪となった。免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件。まさに死刑台からの生還だった。

 袴田さんは戦後5例目になる。事件は66年。それから58年もたって、やっと「無罪」の声を聞いた。気の遠くなる歳月を考えても、刑事司法関係者は深刻な人権問題だと受け止めるべきである。

 異常な取り調べだった。袴田さんは強く否認したが、連日、平均12時間を超える過酷な調べを受け体調も崩した。取調室で小便もさせられた。拷問に等しい。20日目に「自白」したが、同地裁は再審判決で「自白調書は非人道的な取り調べで獲得されたもので、捏造(ねつぞう)と認められる」と指弾した。

 死刑確定の証拠も怪しかった。みそタンクの中から発見された「血痕の付いた5点の衣類」は、確定判決の根拠とされたものの、そもそも事件から約1年2カ月後に見つかったこと自体に不自然さが伴う。血痕に「赤み」が残っていた点も鑑定で「1年以上では赤みは残らない」とされた。

 この点についても同地裁は「捜査機関によって血痕を付ける加工がされ、タンク内に隠匿されたものだ」と断罪した。捜査機関が故意に袴田さんを犯人に仕立て上げたのだ。何と恐ろしいことか。

◆3重の不正義を許すな

 袴田さんの裁判を見るだけでも、いまだ「絶望的な刑事裁判」が続いているのは明らかだ。

 とりわけ無罪までの時間が長すぎる。最高裁は75年、「疑わしきは被告人の利益に」との刑事裁判の原則が再審制度にも適用されるという決定を出した。

 この原則に立てば、もっと早く袴田さんに無罪が届けられたはずだ。死刑確定の翌年に第1次の再審請求がされたが、再審が確定するまで実に42年もかかった。

 無実の人を罰する不正義。真犯人を取り逃がす不正義。無罪まで長い歳月を要する不正義。冤罪(えんざい)には3重もの不正義がある。これはあまりに絶望的である。

 袴田さんの無罪はゴールではなく、刑事訴訟法の再審規定(再審法)を改正するためのスタートの号砲とすべきである。

 再審法は約100年前の条文を使って、戦後もずっと放置されてきた。わずか19条しかない。再審法の改正は喫緊の課題である。

 例えば無罪にたどり着くまで長い時間を要するのは、再審開始決定に検察官が不服申し立てをできる仕組みがあるからだ。

 袴田さんの場合も、2014年に地裁で再審開始決定が出ながら、検察官が即時抗告をしたため、再審開始が確定するまで約9年も経過してしまった。

 いったん再審が決まれば、検察官の不服申し立ては禁止する法規定が必要だ。冤罪の被害者は一刻も早く救済すべきなのは当然ではないか。今回の無罪判決についても、検察は控訴せずに無罪を確定させるべきである。

 証拠開示の在り方も大きな問題だ。再審については明文の規定が存在せず、裁判所の裁量に委ねられているにすぎない。

 「存在しない」と検察側が主張していた「5点の衣類」のネガフィルムが保管されているのが判明したのは14年のことだ。証拠隠しともいえる行為が再審の扉を閉ざしていたに等しい。

 このような不正義を防ぐためにも、無罪に結びつく、すべての証拠を検察側に開示させる法規定を設けねばならない。

 現在、超党派の国会議員による「再審法改正を早期に実現する議員連盟」ができている。衆参計347人の議員が名前を連ねる。

◆究極の「国家犯罪」犯す

 法務省が再審法改正に後ろ向きならば、議員立法で進めてほしい。再審法改正を求める市民集会は19日も都内で開かれた。世論の後押しこそ大事だ。

 16世紀のフランスの思想家・モンテーニュにこんな言葉がある。

 <無実者を罰することは、犯罪事実よりも犯罪的である>

 捜査にも裁判にも誤りは起こる。無実の人を罰するのは究極の国家犯罪といえる。理不尽な刑事司法とはもう決別すべき時だ。


異常ともいえる検察の態度である。
これほどの「執念」を「裏金」問題の解明に追力してほしいものだ。

園のようす。
寒さのせいか?ゴーヤが黄色くなってきた。

ピンクのバラも咲きだした。


長崎原爆の爪痕を残していた浦上天主堂。解体されて「幻の世界遺産」になった理由は?

2024年08月10日 | 事件

「原爆の恐ろしさを伝える歴史的資源にするべき」と市議会では保存を求めていた。長崎原爆の日に振り返る。

 
8月9日は「長崎原爆の日」。7万人以上が亡くなる結果となった長崎への原爆投下の日だ。平和祈念像が原爆の犠牲者に黙禱を捧げるモニュメントとなっているが、実は広島の世界遺産「原爆ドーム」に匹敵する原爆遺構が、かつて長崎市内には存在していた。
 
熱線と爆風で甚大な被害を受けたが、建物の一部が残っていた。しかし、終戦から13年後に解体撤去され、鉄筋コンクリートの建物に作り直された。一体、何があったのか。「幻の世界遺産」の謎を追った。

■浦上天主堂とは?

長崎市北部に位置する浦上地区は、戦国時代末期にイエズス会領になっていたこともあり、カトリックの信者が多い地域だった。その後、江戸幕府のキリシタン禁教令によって、4度にわたる「浦上崩れ」という激しい弾圧を受けるが、地元住民はキリスト教への信仰を捨てなかった。「潜伏キリシタン」として明治時代まで信徒が存続していた。

江戸末期から明治初期に起きた「浦上四番崩れ」が欧米から批判されたことを受けて、ようやく1873年に明治政府がキリスト教の信仰の自由を認めた。

釈放された浦上の信徒たちの間で、天主堂の機運が盛り上がった。1895年にフレノ師が設計、ラゲ師に引き継がれ、20年後の1914年に完成した

これが、石とれんが造りのロマネスク式大聖堂「浦上天主堂」だ。高さ25メートルの双塔の鐘楼を備え、「東洋一の大聖堂」と謳われるほどだった。

■市議会は保存決議をしていた

福間良明さんの著書「焦土の記憶」(新曜社)によると、原爆で倒壊した浦上天主堂はしばらく廃墟の状態だったが、被爆翌年の1946年末には木造平屋の仮聖堂が建築された。

 1949年のザビエル祭までにはガレキも取り除かれ、正面右側と右側面の一部側壁のみが残された。だが、復員や引き揚げ、転入によって増加した5000人の信徒を収容するにはあまりにも狭かった。

そこで浦上天主堂の「カトリック浦上教会」は、1954年に「浦上天主堂再建委員会」を発足。長崎県を管轄する長崎司教区の山口愛次郎司教が1955年5月から翌年2月にかけて、募金のためにアメリカとカナダに訪問。その後、再建の具体策を固めて1958年2月に信者達に説明会を実施した。

解体前の浦上天主堂

しかし、市議会の要請も空しく、教会は同年3月から解体工事を実施した。被爆した浦上天主堂は解体撤去され、鉄筋コンクリート製の新しい天主堂が作られた。外壁の一部だけが爆心地公園に移築された。

解体当時、山口司教は次のように述べていた。

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「原爆の廃墟は平和のためというより、無残な過去の思い出につながり過ぎる。憎悪をかきたてるだけのああいう建物は一日も早く取りこわした方がいい」

(週刊新潮 1958年5月19日号より)
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■背景にはアメリカ側の意向が?

再建された浦上天主堂(2018年撮影)

再建された浦上天主堂(2018年撮影)leodaphne via Getty Images

長崎市長の諮問機関である原爆資料保存委員会が1949年に発足した。この委員会は毎年9回に渡り「浦上天主堂を保存すべき」と答申を出していた。51年に当選した田川務市長も当初は、保存に前向きな素振りも見せていた。

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「私は卒直に申し上げます。原爆の悲惨さを物語る資料としては適切にあらずと。平和を守るために存置する必要はないとこれが私の考え方でございます。この見地に立ちまして、今日浦上天主堂が早く元の姿に復興して、信者の将来の心のよりどころとして再建したいというこの希望に対しましては、私としては全幅の支援をし一日も早くそうした教会堂が出来上がることをこい願っております」

(平和文化研究 第32集 「旧浦上天主堂被爆以降の存廃に関する公的な議論」より)

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田川市長や山口司教が原爆遺構の撤去に前向きだった背景に、アメリカからの働きかけがあったと見る人は多い。ジャーナリストの高瀬毅さんは以下のように書いている。

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遺構撤去に米国の「圧力」があったのではないか。そういう疑惑はいまも長崎市民の中にくすぶっている。決定的な記録は、これまでのところ見つかってないが、「撤去」せざるを得ない状況や時代背景が、あの時代に集中的に生まれていたことは確かだった。ソ連との間で熾烈な核開発競争を展開する米国にとって、原爆の傷跡を示す天主堂は、目障りだったことは十分に考えられる。

(週刊金曜日 2017年8月18日号より)

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■幻の世界遺産に…

広島市の「原爆ドーム」も保存か撤去かをめぐって議論が起きていた。「悲惨な思いがよみがえる」として取り壊す案もあったが,1966年に広島市議会は永久保存を決議。被爆から51年後の1996年には、世界遺産に指定された。人類史上初めて使用された核兵器による負の遺産として、平和を願うシンボルとしての価値が評価されたのだった。

被爆当時の浦上天主堂が現存していたら「確実に世界遺産になっていたのに……」と、悔やむ声は今も根強い。青森公立大学教授の横手一彦さんは次のように著書で書いている。

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天主堂は、被爆後の13年間、最も象徴的な被爆遺構であった。そして、半ば崩れ落ちた煉瓦壁や、鼻先や指先を爆風に吹き飛ばされ、熱線に傷ついた聖像たちは、あの瞬間の恐怖を、無言のうちに語り続けたに違いない。天主堂は、原爆の極限的な破壊をありのままに示した歴史遺産になったであろう。しかし、今となっては、それは幻の世界遺産なのである。

(「長崎 旧浦上天主堂 1945-58 ― 失われた被爆遺産」岩波書店)

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熱線で傷ついた聖人像たち。再建された浦上天主堂の周辺にある

熱線で傷ついた聖人像たち。再建された浦上天主堂の周辺にあるJohn S Lander via Getty Images

2018年6月30日、バーレーンで開かれた世界遺産委員会で「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録された。長崎周辺でカトリック教徒が「潜伏キリシタン」として、数々の弾圧にも信仰を曲げずにいたことが評価されたのだ。


今日のニュースにも、ガザの学校が標的になったと・・・

ジェノサイドやめろ!


雨宮処凛がゆく!和歌山カレー事件をめぐる映画『マミー』を観て、「戦争」との類似点について考えた。

2024年08月07日 | 事件

マガジン9 

 

 公開初日となるその日、映画館は満席だった。

 待ちわびていた映画を、私はやっと観ることができた。

 その映画とは『マミー』(二村真弘監督)。今から26年前に起きた和歌山カレー事件を巡るドキュメンタリーだ。

 1998年、夏祭りで振る舞われたカレーに猛毒のヒ素が混入、67人がヒ素中毒となり、4人が死亡。逮捕された林眞須美に、あなたはどんなイメージを持っているだろうか。

 住民をヒ素で殺した「毒婦」。保険金詐欺をしていた「極悪」夫婦。家の庭からホースで報道陣に水を撒く傍若無人な女一一。

 そんなイメージを持つ人が多数派だろう。

 しかしここ数年、あの事件に対して「冤罪では」という声があちこちから聞こえ始めている。この映画を見終えた今、私の胸の中にも「冤罪」という言葉が去来している。長男の記憶。目撃証言への反証。そして何よりも驚いたのは、当時の科学鑑定へ異議を唱える専門家の存在だ。

 数年前までは、「林眞須美が犯人」と当たり前のように信じてきた。というか、それほど関心も持っていなかったというのが正しい。

 一方、カレー事件について話題になる時、自分も含めて多くの人が「半笑い」「苦笑い」の表情を浮かべていたのもこの事件の特徴ではないだろうか。「ああ、あの人ね」「ヤバい人だったよね」「ミキハウスのおばさんね」とその「特異なキャラクター」をなぞり、話はそこで終わるのが常だった。

 そんな中でも2000年代、唯一くらいに彼女を擁護していた著名人がロス疑惑の三浦和義氏だ。

 今も三浦氏が何かの雑誌に書いた文章を覚えている。内容は、「あの夫婦は保険金詐欺で暮らしてきて、そうやって詐欺で収入を得ている人が、保険金も入らないようなあんな事件を起こすはずがない」というようなもので、不意打ちを食らった気分になったことを覚えている。そういう見方があるのか、と。

 だけど、私はそれ以上考えなかった。なぜなら、そうは言っても林眞須美は保険金詐欺をするような「疑わしい」人なのだから、と。そこで思考停止したのだ。

 今、思う。このような「怪しい人だから」という人々の無意識が、多くの冤罪を作ってきたのではと。誰もが認める清廉潔白な人であれば疑惑が晴れるかもしれない。しかし、そんな人などどこにいるだろう。

 これまでの冤罪事件を振り返っても、隠しごとがあってそれを隠そうとしていたり、本人に犯罪歴があったりと、何か「都合の悪いこと」が必ずといっていいほど背景にある。それは私が冤罪被害者たちと実際にこの十数年出会って知ってきたことだが、当時はそんな知識などなかった。そうして林眞須美氏の強力な味方だった三浦和義氏は、08年、亡くなっている。

 それと前後する頃だと思うが、林眞須美氏から私の元に手紙が届いたことがある。

 出版社から転送されてきた大きな茶封筒には蛍光ペンで「HELP ME!」と書かれ、「林眞須美」という差出人名に驚きながら封を開けると、機関紙的なものが同封されているだけだった。直筆の手紙などはなかったことから、おそらく多くの人に送っているのだろうと思い、そのままになってしまった。そのことをこの数年、やけに思い出している。

 さて、映画の内容についてはぜひ観て欲しいので詳しくは語らないが、この映画の公開を前にして、少なくないメディア人と和歌山カレー事件についての話をした。

 食事の席などで、「こういう映画が公開されるんだってよ」と話題になったのだ。

 その中には、新人時代にあの事件の報道に少し関わっていた、あるいは同僚がまさに取材していたという人などもいた。そんな人々が当時を振り返りつつ語ったのは、事件当時の「空気」の異常さだ。

 とにかく「あいつが犯人だ」という強固な決めつけ。時間が経てば経つほどそれは既成事実のようになり、誰も異論など挟めないような空気が形成されていたというのだ。

 みんなが言ってるから。保険金詐欺をしていたような人物だから。マスコミに水を浴びせるような常識知らずだから。そして何より、ヒ素が発見されたから。しかし、これについては映画の中で重大な事実が明かされるのだが、当時は繰り返し繰り返し彼女の様子がテレビや雑誌、新聞で報じられ、それが警察の捜査や司法にも重大な影響を与えた。そうして09年、彼女には死刑が確定してしまった。

 映画を観て、当時、すべてがひっくり返るかもしれないようなことが捜査されていないことを知った。あえて捜査されなかったのは、やはり「空気」のなせる技なのだろうか。

 「あいつが犯人だ」「あいつが悪だ」となると一方向に一斉に走りだし、メディアも司法もその暴走をさらに煽り、一人の人間が死刑台に立たされる一一。

 そんな構図に強烈な違和感を抱きながら、これってまさに「戦争」と同じではないかと思い至った。

 79年前の戦争でメディアはそれに加担し、ことあるごとにその「反省」が語られるわけだが、その反省がまったく生かされていないことが明確になったのが和歌山カレー事件ではないのか。とにかく他社に抜かされないようにというスクープ合戦も、なんだか戦争報道を彷彿とさせる。

 そしてそんな「暴走」は、今、SNS上で日々起きているとも言える。

 死刑台に立たされずとも、人を死に追いやるような集団リンチ。ちょうどこの映画を観る直前、『小山田圭吾 炎上の「嘘」』を読んだのだが、そこにも「戦争」という言葉が登場する。

 それを口にしたのは、小山田氏が所属する五輪開会式のクリエイティブチームの一人。オリンピックの開会式を見ながら呟いたのだ。

 「本当の戦争って、こんな感じなのかもしれませんね。ひとり、またひとりと関わった人がいなくなってしまう。最後、残された人だけで空を見上げるんですね」

 開会式直前、小山田圭吾氏が過去のインタビュー記事をめぐって「大炎上」したことは皆が知る通りだ。本書では、彼がインタビュー記事で書かれたようないじめをしていないことが同級生の証言をはじめとして綿密な取材から綴られるのだが(なぜあのような記事が出たかの背景事情についても明かされている)、その渦中にいた人が語った「戦争」という言葉は重い。確かに、今の時代の戦争は、SNSでの扇動なくしてはあり得ないだろう。

 さて、もうひとつ書いておきたいのは、映画の撮影中に起きたある悲劇だ。林眞須美氏の長女と幼稚園児の子どもが橋から飛び降りて死亡。また、自宅からは16歳の女性の遺体も発見された。長女の娘だった。

 「死刑囚の娘」として生きる困難さがどんなものなのか、私には想像することしかできない。しかし、心中に追い詰められるほどの心のうちを思うと、ただただ言葉を失う。

 「正義」は暴走する。そして時に、簡単に人の命を奪う。「取り返しのつかないこと」は、私たちのすぐ隣にあるのだ。そんなことを、改めて考えさせられた。

 「誰が林眞須美を殺すのか?」

 監督はディレクターズノートの最後をそんな言葉で締めくくっている。
 『マミー』は現在、イメージフォーラムなどで公開中だ。


わたしにも「真実」は判らない。
「真実」が明らかになるよう、「冤罪」が起こらないよう、国民の「目」が重要になる。


「オリンピック休戦」はあっさり覆された。パリ五輪開幕後、ガザの学校に攻撃。30人死亡、100人以上負傷

2024年07月28日 | 事件

国連総会で開幕7日前から閉幕7日後まですべての戦いを停止するよう呼びかける「オリンピック休戦」が採択されていた。

ハフポスト日本版編集部

2024年07月28日

   ハフポスト日本版編集部

 

ウクライナ侵攻やパレスチナ自治区ガザ地区への攻撃が続く中で開幕した、「平和の祭典」と呼ばれるオリンピック。

2023年11月には国連総会で、「スポーツとオリンピックの理想を通じて平和でよりよい世界を築く」と題して、開幕7日前から閉幕7日後まですべての戦いを停止するよう呼びかける「オリンピック休戦」が採択されていた。

「オリンピック休戦」の伝統は、紀元前9世紀の古代ギリシャのオリンピックで「各地域の王たちが協定に署名して、住民や選手、芸術家がオリンピック開催地に安全に旅行できるようにした」ことに由来するという。

しかし、この「オリンピック休戦」の原則はあっさりと覆された。パリ五輪で本格的に競技が始まった7月27日、イスラエル軍はガザ地区中部にある学校を攻撃。30人が死亡、100人以上が負傷した。

イスラエル軍は「ハマスの戦闘員が潜んでいた拠点への攻撃」などと主張している一方、BBCは「ガザ保健省は、映像から犠牲者は民間人で、そのほとんどが子どもであることが明らかになったと述べた」と報道した。同メディアは負傷者の中に子どもがいる映像を確認したという。

パレスチナオリンピック委員会(POC)は7月22日の時点で、イスラエルが「オリンピック休戦」の決議に違反しているとしてパリ五輪への出場を認めないよう国際オリンピック委員会(IOC)に要請したが、IOCは取り合わなかった。

パレスチナのアスリートや審判員300人超が死亡

パリ五輪の開会式には、パレスチナ選手団の姿も見えた。陸上、ボクシング、競泳などに8人の選手が出場する予定で、このうち3人がガザ地区出身だという。

選手らは歓声に笑顔で応えたが、背後には重い現実がのしかかる。POCは6月、イスラエルとハマスの戦闘が始まった2023年10月以降、300人を超えるアスリートや審判などの関係者らが死亡したことを明らかにしていた。

選手団らとともにパリ現地に降り立ったPOCのジブリール・ラジューブ会長は、「イスラエル選手団のパリ五輪出場を認めたことは、IOCのダブルスタンダード(二重基準)だ」と批判した。


これはひどい。
これではオリンピック存続の意味さえなくなる。
やめてしまえ!
しかも学校を攻撃したのだ。

no  war!
STOP ジェノサイド!


やまゆり園事件8年 追悼式 献花途切れず

2024年07月27日 | 事件

一人ひとりの命を思い

「しんぶん赤旗」2024年7月27日

 19人の障害のある利用者が殺害され職員を含む26人が重傷を負った、障害者入所施設「津久井やまゆり園」での事件から8年となった26日、相模原市にある同園で追悼式が開かれました。花を手向ける人が途切れることなく訪れ、献花台は花であふれました。

 毎年この日に同園を献花のため訪れている東京都中野区の和田卓也さん(31)は、事件の翌日に現場に来たといいます。和田さんは脳性まひで車いす生活。「足は動かないけれど上半身は動かせます。夜寝ているときは急には動けないから、あの場にいたら逃げ出せなかった」と振り返ります。

 この8年、あまり社会は変わっていない、といいます。「国のお金が医療や福祉にまわっていないし、人の意識も変わってないと感じる。目先のことだけになっている」と指摘します。

 「一人ひとりの命に向き合いたい思いで手を合わせた」と話すのは、平岡祐二さん(64)=神奈川県大和市=です。犠牲者数と同じ19本のヒマワリの花を、名前を公表されている犠牲者の名前をつぶやきながら一輪ずつ手向けていました。娘には知的障害があり、自身は障害者施設に勤めていました。事件発生から3年ほどは、同園近くを通ると「背中がゾワゾワ」し、訪れることができませんでした。それ以降は月命日も含め、できるだけ花を手向けに訪れています。

 グループホームなど障害のある人の暮らしの場などで、不祥事や事件が絶えません。「なかなか変わらない社会にむなしくなるけど、誰もが安心して住める社会になってほしい」

 「差別的な社会いまも」

 髙橋哲也さん(70)=東京都杉並区=は前日に事件に関する報道を見て、約3年ぶりに訪れました。知的障害のある長男は10年前の夏に亡くなりました。「誰もが寿命をまっとうしたいはず。まだ生きることができたのに人生を断ち切られた人たちは無念だったと思う」と声を詰まらせながら話します。「経済第一主義ではなく、社会福祉にお金がまわる社会になれば、障害者にかかわる人たちの意識も変わるはず」

人ごとじゃない

 漫画家の疋田(ひきた)真理子さん(34)は、3年前からこの日に献花しにくるようになったといいます。「私は吃音(きつおん)があって、事件発生を聞いた時、衝撃を受けました。あの場にいたら、(犯人から名前を聞かれたら)私はうまく答えられないのではないか。人ごとではないと思った」と話します。あまりの衝撃に現場に足を運ぶことができず、園の建物が改修されたのをきっかけに、献花にくるようになったといいます。「みんなが、生きやすい生き方ができるような社会にしたい」

 漫画の題材に障害をとりあげ、理解を広めることもしています。「衝撃的な事件だったにもかかわらず、差別的な社会はあまりよくなっていないのではないか。私自身、吃音があることを周りになかなか言えない。もっといろんなことを言いやすい社会になってほしいし、そのためにできることをしていきたい」

「自分も」と恐怖

 足と言語に障害がある佐々木信行さん(50)は、事件が起きたときは胸を手でたたきながら「驚いた」と表現します。「自分も被害にあうんじゃないか」と恐怖を感じたといいます。「昔から、知的障害のある人が地域で暮らすことが難しいし、今も変わらない」と話します。「もっと地域社会のなかでみんながともに暮らせるようになってほしい」


園のようす。