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困窮世帯の子3割「学校楽しくない」 大幅な支援拡充必要

2024年11月22日 | 教育・学校

「しんぶん赤旗」2024年11月22日

 困窮世帯の小中学生の3割近くが学校を「楽しくない」と答えていることが21日、公益財団法人「あすのば」(東京都港区)のアンケートで分かりました。担当者は「経済的支援を拡充してほしい」と訴えています。

 アンケートは2023年11~12月、生活保護を受けるなどしている1万4845世帯を対象にオンラインなどで行い、保護者4012人、小中学生551人を含む子ども1862人から回答を得ました。

 小中学生に「学校は楽しいか」と聞いたところ、10・9%が「全然楽しくない」、17・1%が「あまり楽しくない」と答え、「楽しくない」とした割合は3割近くになりました。「全然楽しくない」と答えた子のうち88・3%が生活の苦しさを訴え、81・7%は「何もやる気がしない」ことが「よくある」「ときどきある」と回答しました。

 また高校生・大学生などに対し、学校をやめたくなるほど悩んだ経験の有無を聞くと約半数が「ある」と回答。理由を複数回答で尋ねると、「経済的余裕がないから」が24・3%で最多でした。「希望の就職先や進学先へ行けるか不安」(14・8%)や「勉強についていけない」(13・0%)といった答えも目立ちました。

 自由記述欄には深刻な声も。生活苦のためスマホなどを我慢しているという大阪府の中学1年生は「塾に行けないので学校でしか勉強できず、授業内容も理解できない」と訴えました。岩手県の高校2年生は「コロナ禍と物価高騰で家庭の厳しい経済状態が続く。進学できるか不安」と嘆きました。

 あすのば代表理事の小河光治さんは「子どもの貧困対策は最優先課題。学校が楽しくないと感じるだけでなく、授業が理解できないという子もいる」と指摘。「政府には児童扶養手当の増額など困窮世帯への経済的支援の大幅拡充を求めたい」と話しています。

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きょうの潮流(「しんぶん赤旗」)

 学校が楽しくないと思っている子どもほど家庭の生活が苦しいと感じている―。そんな傾向のあることが、子どもや若者の貧困対策に取り組んでいる公益財団法人「あすのば」の調査で分かりました▼同法人が経済的困窮世帯を対象に実施したアンケートで、学校が「全然楽しくない」という小中学生は、9割近くが「生活が苦しい」と感じているか、感じたことがあると答えています。同じ困窮世帯の子どもでも学校が「とても楽しい」という子で「生活が苦しい」と感じているのは74%にとどまります▼困窮世帯のみを対象にした調査なので単純にはいえないかもしれませんが、学校を楽しいと感じられないことと経済的な生活の苦しさに、一定の相関関係がうかがえます。不登校の小中高校生は41万人にのぼりますが、そのなかには貧困が背景にある子どももいるのではないでしょうか▼同調査によると、収入の少ない世帯の子ほど塾や習いごと、誕生日やクリスマスのイベント、友達との外出などをあきらめた経験があります。経済的な貧困が招く「機会の貧困」です▼経済的格差が学びや体験の格差につながり、子どもの将来の格差につながっている現実があります。同法人は国や自治体による子どもの貧困対策の拡充を求めています▼国連の子どもの権利委員会も、「子どもの貧困および社会的排除を減少させるための戦略と措置の強化」を日本政府に勧告しています。大軍拡ではなく、国民のくらしを優先する政治への転換が必要です。


子ども時代くらい平等な環境を保障してあげたいものです。

園のようす。
雪が消えて・・・

クレソンがいっぱい。

最後のバラ。


内田樹 自由の森学園創立40周年記念講演「教育と自由」

2024年10月14日 | 教育・学校

いやはや、またまた長い記事になってしまいました。
他のブロガーさんの長い記事、特に興味のない分野での記事はわたしも苦痛になります。
なるべく短くと思っているのですが、ご了承ください。
自分なりに記事を要約するようなことはしたくないのです。

2024-10-11 vendredi

 どうもこんにちは。ご紹介いただきました内田です。飯能というところ来るのは初めてです。先ほどご紹介いただいた通り、僕は神戸で「凱風館」という武道の道場と学塾をやっております。そこに9年前に入門された井手くんと岡野さんというご夫婦がいます。井手君は僕のIT秘書というのをやっていただいております。岡野さんはこの5月から書生として働いていただいています。凱風館には今書生が5人いるんですけども、その中で一番の新人です。そういうご縁のあるお二人がこの自由の森学園の卒業生ということで、このたび40周年の記念講演にお招きいただくことになりました。

 自由の森学園創建40周年おめでとうございます。卒業生、在校生がこれだけ集まってくれるということは、それだけ母校に対する愛情が深いからだと思います。二人の門人も遠く神戸から今日ここまで来てくれました。卒業した学校のためにここまで献身的になるというのは、なかなかできないことです。

 僕は自分の卒業した学校に関してほとんど愛着がありません。大学から寄付を求められたことがありましたけれど、そのままゴミ箱に投げ捨ました。1回だけ、母校の文学部から文学部に来る学生数が激減してしまい、なんとかテコ入れをしたいので「文学部に進学してください」という宣伝パンフレットを作るのでそこにご登場いただきたいというリクエストにお応えしたことがあります。でも、後にも先にも、母校のために何かしたというのは、それきりです。

 何人かよい友だちができたこと以外に「ああ、あの大学に行ってほんとうによかった」と思ったことがありません。学校に対しては何も感謝していない。そういう人間から見ると、卒業生たちが母校に対してこれだけ強い愛着、愛情が持てるということは、ここでなされたすばらしい教育の成果だと思います。

 僕は長く神戸女学院大学というところの教師をしておりました。神戸女学院は中学から大学まである女子校ですが、ここも卒業生たちの愛校心に驚かされました。ほんとうに小さい学校なのですが、歴史が長いので同窓会員が3万人ぐらいいます。この3万人の方たちが学校のあり方に大きな影響力を発揮している。

 僕は同窓生が母校の教学や経営に関して発言することは決して悪いことだとは思わないんです。むしろ好ましく思っていました。というのは、同窓生は「母校が変わらないこと」を願うからです。自分が卒業した学校がそのあとどんどん変わって、キャンパスが移転し、カリキュラムが変わり、卒業した学科や学部がなくなる...ということを同窓生は望まない。学校経営者はビジネスマン的なセンスに従って、そういうふうに「時流に合わせる」ことをしたがるんですけれど、同窓会の人たちは変化に抵抗するんです。そりゃそうですよね。自分が卒業した学部学科がなくなるということは、「あなたが受けた教育は意味がなかった。もう時代遅れなんだ」と卒業生に向かって宣告するに等しいわけですからね。卒業生に対して「あなた方が受けた教育はもう社会的有用性を失った」と告げることは、教育機関としては本来恥ずべきことだと思うんですよね。たしかに学科・学部を廃止したり新設したりということは避けられないことではあると思うんですけれど、それに対して学校側はある種の「疚しさ」を感ずべきだと思うんです。

 学校というのは宇沢弘文先生が言うところの「社会的共通資本」の一つです。「社会共通資本」というのは、集団が存続していくために絶対に必要なもので、これは専門家によって専門的知見に基づいて、安定的に管理・運営されなければならない。大気、土壌、海洋、河川、湖沼、森林とかいう自然環境。それから社会的インフラ。上下水道、交通網、通信網、電気ガス。これらも安定的に管理されなければいけない。そしてもう一つ、司法、行政、医療、教育といったシステムですね。これらもまた集団が存続していくためになくてはならないものです。社会的共通資本は急激に変化してはいけないんです。もちろん変化はするんですけれども、ゆっくりとしか変化しない。

 政治や経済は急激に変化するものです。政治や経済は「複雑系」ですから仕方がありません。「複雑系」というのは、わずかな入力変化によって劇的な出力変化が生じるシステムのことです。「北京で蝶が羽ばたくとカリフォルニアでハリケーンが起きる」という喩えがよく使われますけれど、わずかな入力変化が劇的な出力変化になる。だから政治や経済はおもしろいわけです。みんな夢中になる。個人のコミットメントによって、場合によっては状況や市場が一変することがあるんですから楽しくないはずはない。政治や経済は「そういうもの」なんです。それを楽しむ人たちは楽しめばいい。

 けれども、それ以外の人間の営みは必ずしも政治や経済と同じような複雑系ではないし、複雑系であってはならない。わずかな入力変化によって劇的にシステムが変わってしまっては困るものが僕たちの周りには多々あるわけですよね。行政とか司法とか医療とか教育はそういうものです。政権交代したから司法判断が変わるとか、株価が下がったので教育カリキュラムが変わるとか、そういうことがあっては困る。極端な話、革命が起きても、戦争が始まっても、水道からは水が出るし、地下鉄は時間通り来るということが望ましいんです。ほかのセクターではあってもいいことがあってはならないという分野があるんです。

 でも、いくらそう言っても、分かってくれない人は分かってくれないんですよね。彼らは社会の変化というのは均一的に、すべてのセクターに及ぶものだと信じている。政治過程や経済活動に変化が起きたら、それに合わせてほかのシステムも全部変わらないといけないと信じている。教育に関しては、こういう考え方をされることはほんとうにはた迷惑なんですね。「社会がこれだけ変化しているのになんで教育は変わらないんだ」と。そういうタイプの恫喝を教育現場はずっと受け続けてきました。「硬直的にすぎるんじゃないか。保守的にすぎるんじゃないか。なぜ社会の変化と同調しないで、古めかしい教育をしているんだ」、と。でも、教育は本来「惰性が強いシステム」なんです。ゆっくりとしか変化しない。

 それを教えてくれたのは、諏訪哲二さんという方です。昔『オレ様化する子どもたち』という本を書かれた方です。高校の社会科の先生だったと伺いましたが、諏訪先生と僕が若い頃に対談したことがありました。そのときに諏訪先生が「教育は、惰性の強い仕組みですから」とおっしゃったことが非常に印象に残っています。そのあとに宇沢先生の本を読んで、「ああ、そういうことなんだ」と腑に落ちました。そうなんです。教育は惰性の強い仕組みなんです。もちろん変化しますが、ゆっくりとしか変化しない。急激な変化は受け付けない。でも、学校の現場には、文科省とか産業界とかあるいはメディアとかから「変われ、変われ」という圧力がずっとかかっている。

 さっきも控え室で、菅間校長と話していましたけれども、今の社会は全部そうなんです。とにかくたいへんな勢いで変化している。その急激な変化に「キャッチアップしろ」という圧力がかかる。それを受け止める学校側も、とにかく社会の変化についていかなきゃいけないと思って、必死になっている。「何のために変化しなければいけないのか」という根本の問いを忘れて、とにかく時代がこう変わっているんだから、テクノロジーがこう進化しているんだから、政治過程や市場の仕組みがこう変わっているんだから、それに合わせて教育も変わらなければいけないと必死になっている。そういうオブセッションが教育現場にも強くかかっています。

 文科省に言わせると、それでも文科省が防波堤になって、産業界や政治からの「教育を変えろ」という圧力に抵抗しているんだそうです。たしかに防波堤にはなってくれているのかも知れませんが、現場には必ず「文科省経由」で指示が入ってくるわけですよね。新しいテクノロジーを教えなさい、新しい価値観を教えなさいと。学校で金融を教えろというような要請がありましたね。

 でも、そのときどきに産業界が要求している、いわゆる「人材」なるものとは何か、それを考えた方がいいと思うんです。「人材」を育成して送り出せと向こうは学校現場に要求してくるわけですけども、その「人材」の仕様がコロコロ変わるんです。ほとんど毎年のように変わる。そのたびにそれに合わせて学校の教育課程を変えるなんてあり得ないことですよね。

 僕は私立学校がシステムの設計について参照すべきものがあるとすれば、それは「建学の理念」だと思うんです。たいせつなのは「建学の理念」であって今の「社会のニーズ」なんかじゃない。だって、建学された時、学校には何にも「手持ち」がないんですから。そもそも在校生がまだいない。卒業生もまだ出していない。自分たちの学校がこの社会でどういうような役割を担うものであるかまだ検証ができていない。でも、理想だけはある。何より建学時には「社会のニーズ」なんかないんです。卒業生に対する社会のニーズが全くないという状況で建学者たちは教育を始めた。

 神戸女学院は、明治8年創建なので、もうすぐ150年になりますが、アメリカからやってきたタルカットとダッドレーという二人の女性宣教師が神戸で開校した小さい塾から始まります。この2人の宣教師はサンフランシスコから船に乗って太平洋を横断して日本に来るんですけれど、出航時点においては、まだ日本ではキリシタン禁制の高札が掲げられていたんです。「社会のニーズ」どころじゃない。「来るな」と言われているところに来たわけです。「社会的ニーズ」はゼロというよりマイナスだったわけですよね。でも、「来るな」と言われても行きたい。どうしても教えたいことがある、伝えたいことがある。そうやって神戸で小さい学塾を始めたら、そこに少しずつ引きつけられるようにして子どもたちが集まってきて、いつの間にか150年が経っていた。

 建学の時点において「社会的なニーズ」がゼロであったということはとても大きいと思うんです。ニーズはなかったけれど、代わりに「教えたいこと」があった。「伝えたいこと」があった。「こういうような教育をしてください」というニーズがあって、それに応じて「はい、分かりました」というので何か知識や技能を教えるというようなかたちで私立の学校教育は始まったわけじゃありません。日本の大学は75%が私学ですけども、この私学は本質的には全部がそうです。「教えたいこと」がまずあって学校教育が始まった。「どこもやっていない教育」をしたかったからですね。ほかのどこでもやっていないから、自分がやりたい教育のために身銭を切って学校をつくった。そこから日本の私学教育が始まったわけです。

 でも、「ニーズ」という言葉がある時期から、90年代の終わりころからでしょうか、教育現場でさかんに口にされるようになった。「マーケットのニーズ」がどうたらこうたらと教授会で言い出す人が出てきた。そういうマーケティング用語とか、「質保証」とか「工程管理」とかいう工学用語で教育を語る人が増えてきた。でも、僕はそれは違うんじゃないかと思っていました。もし社会のニーズを満たすために学校教育があるなら、日本の私学のほとんどは今存在していないはずだからです。

 慶應義塾は「私学の雄」ですけれども、福沢諭吉の『福翁自伝』を読んでいると、「社会的なニーズ」への配慮なんかないんです。彰義隊の戦争のさなかに、江戸中が火の海になるかというときに福沢諭吉は経済学の英書を読む講義をしているわけです。徳川時代の藩校はもう教育機関として機能していない。新政府にはまだ学校を作る余裕がない。いやしくも今の日本を見回して、まともな高等教育をしているのは慶應義塾ただ一つである、と。この反社会性を僕は非常に好ましく思うんですよね。今の日本でまともな教育をしているのはうちしかないんだと福沢諭吉は豪語するわけです。みんな戦争に夢中になっている。相場の上げ下げで右往左往している。その喧噪の中で、われわれは悠々と経済学を講じている。社会の目先のありようとまったく関係ないことをしている。それが学校教育の意義だ、と。

 福澤は若い時は大阪の適塾にいて、オランダ語の文献を読みました。哲学書を読み、工学や化学の書物を読み、医学や薬学の書物を読み。とにかくオランダ語で書かれている文献を片っ端から読んだ。もちろん、そんな知識や技能についての「ニーズ」なんか江戸時代の日本社会のどこにもないんです。だから、意地で読んでいる。なぜ意地で読んでいるのかというと「こんなにややこしいもの」を読んでいるのは日本広しといえども、われわれしかいないという自尊心からです。エリート意識というのとはちょっと違う。だって、エリート意識って、既存の支配階級の上の方にいる人間が持つものですからね。適塾の貧乏書生は階級の外にいる。時流にきっぱり背を向けて、金にもならないし、出世にも結び付かない学問している俺たちは「ただものではないぞ」という苦しまぎれのプライドだけを支えに貧しさや飢えに耐えていた。福澤はそう書いています。

 でも、学ぶ人間の気概っていうのは本来そういうものなんじゃないかなって気がするんですね。「いやしくも日本広しといえども、これな変なことを研究しているのは俺一人だ」というような態度の悪さが知的な緊張を持続するためには必要なんです。

 学校教育もそうだと思うんですね。世の中とうまくなじんで、社会のニーズにぴったりと対応した教育をしているような学校にはなりたくない、と腹を括って、世間から「一体あんたのところは何をやっているんだ」と白眼視されるような教育をする。そういう学校の側の気概は在校生・卒業生にはちゃんと伝わるわけです。だから、「今の日本であんな変な教育をしている学校はうちの母校しかない。だったら、守らなければ」という気持ちを持つようになる。そういう形で僕は学校を続けていけばいいと思うんです。だから、サイズが大きい必要は全くない。小さい学校で構わない。これから日本の人口はどんどん減っていくわけですから、小さいサイズでいいんです。


やっぱりここで切りましょう。
これで、まだ1/5くらいでしょうか?
以降、お読みいただける方は
内田樹の研究室 (tatsuru.com)
へ、どうぞ。


内田樹 「『最終学歴はアメリカ』は亡国の兆し」

2024年10月02日 | 教育・学校

AERA2024/10/02

 自民党総裁選の候補者9人のうち6人の最終学歴がアメリカの大学または大学院だということに気がついた。なるほど、今の日本の政治エリートは「最終学歴はアメリカ」がデフォルトになったのだと知った。富裕層では、中等教育からの海外留学がもうふつうである。

 どこで高等教育を受けようと、個人の自由だ。他人が口を出すことじゃないと言う人がいるかもしれない。せっかく海外で質の高い教育が受けられるのに、何が悲しくて質の低い日本の大学に行かなければならないのか、と。だがこれは「高等教育のアウトソーシング」であり、それが意味するのは「高等教育の空洞化」である。

 国産の農作物よりも安くて質の良い農作物が海外から輸入できるなら、国内に農業がある必要がないというのと同じである。そのロジックが日本の農業の空洞化をもたらした。

 だが、「グローバリスト」たちは「必要なものは、必要な時に、必要なだけ市場で買える」わけではないということを忘れている。戦争でもパンデミックでも円安でも、「必要なもの」はいきなり入手不能になる。それはコロナの時の医療資源の枯渇で思い知ったはずではなかったか。

 教育も医療もエネルギーも農作物も「それなしでは集団が生き延びてゆけないもの」である。そういうものは自給自足が原則である。たしかに困難な目標ではあるが、「それなしでは生きてゆけないもの」は自給自足を目指すべきなのだ。

 この四半世紀、日本の大学の学術的な生産力は目に見えて衰えた。為政者自身が日本の高等教育を世界最高レベルのものにして、子どもたちが海外に出る必要がなくなる日が来ることを別に願っていないのだから当たり前である。

 ハーヴァード大学の学費は年額5万6550ドル(約800万円)である。生活費を入れて子ども一人に毎年1千万円仕送りできる家の子どもしかアイヴィー・リーグに留学できない。それができる富裕層たちは「日本の大学のレベルがどうなろうと俺は知らんよ」と思うだろう。そういう人たちが今教育政策を起案しているのである。亡国の兆しと言う他ない。

  ※AERA 2024年10月7日号


水曜日のごみ収集車の運転手が店先で車を止めてシイタケを全部買っていった。
去年もそうだったので待っていたのだ。
去年食べたのがすごく美味かったので・・・
ありがとうございます。

さて、載せる写真を撮っていなかった。
今日も栗拾い三昧。

 


東大学費値上げ 教育予算を増やさねば

2024年10月01日 | 教育・学校

「東京新聞」社説 2024年9月30日

 東京大学は20年間据え置いてきた授業料を、2025年度の学部入学生から20%、約11万円値上げして年間約64万円とする。大学経営の厳しさは理解するが、その原因は教育への公費支出の少なさにある。国は将来を支える人材育成にこそ財源を振り向けるべきではないか。

 授業料値上げ分の使途は、学生の履修状況を確認するシステムの強化、海外留学のための奨学金などだという。反対する学生が2万7千筆超の署名を集め、抗議集会を開いてきた。

 大学は学生への支援策として、授業料全額免除の対象を現在の世帯収入400万円以下から600万円以下に広げる。900万円以下から600万円超の世帯は出身地などに応じて減免するが、具体的な基準を示しておらず、きめ細かく支援すべきだ。

 全国に86ある国立大学の授業料は、国が標準額(53万5800円)を定める。04年の独立法人化後、国は運営費交付金を13%減らしたため財務状況が厳しさを増している。物価高や人件費増が厳しい経営状況に追い打ちをかけており、国立大学協会は6月、国などに窮状を訴える声明を発表した。

 国立大は私立大に比べて授業料が安く、裕福な家庭でなくても進学しやすい教育環境にある。各地域で人材を育成する中核的な高等教育機関という役割も担う。

 各大学も授業料値上げに踏み切れば、しわ寄せは多くの家庭に及ぶ。東大に安易に追随しないようクギを刺しておきたい。

 大学経営の厳しさは、教育に対する公費支出の少なさが一因だ。経済協力開発機構(OECD)が今月公表した報告書では、日本の公費に占める教育費の割合は8%で加盟36カ国中、下から3番目。

 特に、高等教育の公費割合は37%と加盟国平均68%を大きく下回る。日本は、高等教育無償化をうたう国際人権規約を批准しながら誠実に履行していない状況だ。

 気候変動や少子化など山積する地球規模の課題を解決するためにも、人材育成にこそ予算を投じるべきではないか。防衛予算を野放図に増やしている場合ではない。


園のようす。
イヌサフラン

ヤーコンの花

のぶどう


学費無償化へかじ切り替えを 高知大学学長 受田浩之さん 

2024年08月27日 | 教育・学校

「しんぶん赤旗」2024年8月27日

「知の総和」を高めるため国立大交付金の拡充必要

 国立大学が法人化され20年。国からの運営費交付金が13%も削減され、物価高騰のもとで厳しい財政状況に陥っています。政府内で学費値上げの議論が沸き起こる中で、高知大学の受田浩之学長は「授業料は無償化にかじを切るべきだ」と日本共産党の宮本岳志衆院議員との懇談(8月7日)のなかで言明しました。

(土井誠 党学術・文化委員会事務局長)

 ―国立大学の交付金が削減され、国立大学協会も物価高騰のもとで「もう限界です」(6月7日)という声明を発表しています。

 高知大学への交付金は法人化後、約6億円減っています。病院収入や産学連携の研究費を増やしていますが、これはそのまま支出しますので厳しい状況です。

 2023年度の人事院勧告で国家公務員の給与が引き上げられ、高知大学では約1億2千万円の人件費増となりました。ところが、交付金は減ったままです。今後人事院が賃上げを勧告しても、25年度はもう反映できない状況です。しかし、これができないと有為な人材を確保することができなくなります。

 電気代は19年と比べて約2倍です。施設の維持管理コストが毎年約13億円不足しています。その結果、全面改修できていない老朽化した建物は6割を超えています。学生の命にかかわる極めて深刻な状況です。

 予算の制約により法人化後、教員が62人、常勤職員が45人減っています。教員1人当たりの研究費も4分の1の11万3千円に減らしました。学会の出張で使い切ってしまう程度しかありません。教員のみなさんには、科学研究費などの競争的資金の獲得に挑戦してもらっています。

 日本は大学予算を抑制していますが、諸外国は大幅に増やしています。2000年を1として大学部門の22年の研究開発費(名目額)を見ると、日本は1・0で伸びていません。一方、米国3・1、ドイツ2・6、フランス2・0、中国28・4、韓国6・6と大きく伸ばしています(文部科学省科学技術・学術政策研究所「科学技術指標2024」)。企業の研究開発費も日本は他国に比べて極めて低調です。

 日本の研究開発は十分に投資されていません。これまでのストックしているものを全部注ぎ込んでいて、もう蓄えがなくなっていると言わざるを得ません。

 イノベーション創発の中核を担っていくために研究開発力をより強化したい。そのためには交付金の拡充は不可欠です。

 ―厳しい財政のもとで授業料を値上げすべきだという議論がありますが。

 安定的な収入の確保のために、例えば東大は授業料を20%値上げしようとか、慶応義塾大の伊藤公平塾長のように国立大学の授業料を年53万円から150万円に値上げしてはどうかなどの考え方が出てきています。

 しかし、私は、授業料は無償化に向けてかじを切るべきだと考えています。

 日本はこれから人口減少局面に入ります。国力の低下を防ぐ唯一の戦略は「知の総和」(量×質)を高めることにあります。量が人数、質とはそれぞれの力を高めていくことです。文科省は博士号取得者を2040年に向けて、20年比3倍にするという目標を掲げています。労働力人口に占める大学院修了者比率が高ければ、労働生産性も高くなる関係にあるからです。この人口100万人当たりの博士号取得者数を見ると、日本は他国と比較して少なく、伸びていません。修士号取得者数も同じ傾向にあります。一方、学部の卒業生、学士号取得者数は他国と比べてそん色がありません。

 修士号、博士号取得者数を伸ばすためには、ネックになっている経済的な問題を改善する必要があります。

 ―国民の暮らしが苦しくなっている中で、学費負担が重くなっています。

 厚生労働省の国民生活基礎調査の23年度調査を見ると、平均所得金額以下の世帯数が62・2%、300万円未満が36%を占めています。生活意識への問いでは「苦しい」の回答が全世帯の59・6%と22年の51・3%から大幅上昇しています。

 平均年収賃金構造基本統計調査をみると、東京は月収37万5500円ですが、高知は26万円で東京より3割低くなっています。

 一方、日本の高等教育機関への教育支出における私費負担割合がOECD(経済協力開発機構)加盟国37カ国の中で3番目に高くなっています。(図2)

 今、学部生の2人に1人が奨学金を受け取っています。労働者福祉中央協議会の22年の調査では日本学生支援機構の奨学金返還者の平均借入総額は310万円で返済期間は平均14・5年でした。

 高知大学のアンケートでは、留学を「強く希望する」「できれば留学したい」と回答した学生は18年度59%、20年度40%、21年度68%と、コロナ禍における内向き志向から徐々に海外志向が高まってきています。一方で、留学できない理由を問うと「費用面、経済的理由」を挙げた学生が約7割を占めます。

 奨学金を受けて何とか学生時代を乗り切っていますが、海外に飛び立とうという経済的余裕はありません。

 ―住民税非課税世帯の若者の学費を免除し、奨学金を給付する修学支援制度は、財源を消費税に限るなどの解決すべき課題はありますが、進学率を上昇させました。

 制度開始時の2018年度の住民税非課税世帯の高等教育機関への進学率は40%でしたが、23年度は約69%まで上昇しました。これほど実効性が証明されている政策はありません。よって、これに続く、国立大学の授業料の無償化に向けた社会変革が必要だと、国立大学協会などさまざまな場で提案していきます。

 

 うけだ・ひろゆき 1960年北九州市生まれ。農学博士(九州大学)。今年4月より高知大学学長。専門は食品分析学、食品化学、食品機能学。内閣府消費者委員会委員長代理などを歴任。編著に『新時代LX ―持続可能な地域の未来を切り拓く』等


軍事費を削って教育、人材育成に使ってほしいものです。

台風の動きが氣になります。
北海道では前線の影響で強い雨が降っています。
さらに台風が来るとかなりの被害に見舞われる可能性があります。

園のようす。


物価高騰で浮き彫りになった子どもの「夏休みリスク」をどう乗り越えるか?

2024年08月23日 | 教育・学校

Imidas連載コラム 2024/08/22

  大内裕和(武蔵大学教授)


私が勤める武蔵大学も夏休みに入りました。ところで、誰もが楽しみにしているはずの夏休みについて、最近、衝撃を受ける調査結果を知りました。

 物価高騰が続く5月末〜6月初旬、認定NPO法人キッズドアが「困窮子育て家庭」の生活実態アンケート調査を行いました。その中で小・中学生の子をもつ保護者に夏休みの長さに対する考えをたずねたところ、「なくてよい」という回答が13%、「今より短い方がよい」という回答が47%でした。合わせると何と60%もの家庭が、子どもの夏休みの長さを負担に感じていることが明らかになりました。

 これまでも毎年8月の終わりに近づくと、「早く夏休みが終わってほしい」「9月が待ち遠しい」などの声は、子どものいる家庭から耳に入ってきました。しかし、この調査の画期的な意義は、困窮子育て家庭にとって物価高騰が続く中での学校の夏休みが、生活苦を深刻化させ、子どもにとって「リスク」の高い時期であることを浮き彫りにした点にあります。

 この調査では、夏休みは「なくてよい」または「今より短い方がよい」を選択した回答者に、その理由もたずねています。「(エアコン代や食費など)子どもが家にいることで生活費がかかる」(78%)、「給食がなく、子どもの昼食を準備する手間や時間がかかる」(76%)、「子どもに夏休みの特別な体験をさせる経済的な余裕がない」(74%)など、これらの回答は7割を超えています。また「給食がなく、子どもが必要な栄養を摂れない」(68%)との回答も6割を超えています。

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 夏休みのエアコン代による生活費の上昇は、近年の「地球沸騰化」と呼ばれる気温上昇の影響を強く受けています。NHKの報道によれば24年7月、東京23区で熱中症の疑いで死亡した人数は123人にのぼり、この夏の猛暑続きは「災害」とも呼べる域に達しています。冷房を使用することは、もはや「命を守るための手段」となっており、「エアコン代はぜいたく」と言える時代ではありません。

「給食がなく、子どもの昼食を準備する手間や時間がかかる」「給食がなく、子どもが必要な栄養を摂れない」という回答も重大です。この調査の回答者の9割が母子世帯です。低賃金かつ一人きりで家計を支えて働き、育児と家事も行う女性にとって、子どもたちの昼食を用意するのに手間や時間がかかることは、大きな負担となります。また、子どもに必要な栄養を与えられる給食が、夏休み中はなくなることも、不安要因となることは間違いありません。

 この状況を是正するためには、困窮子育て家庭への経済的支援を強化することが第一です。厚生労働省の「令和3年度 全国ひとり親世帯等調査」によると、離婚した父親から養育費を受給している母子家庭は28.1%(平均月額約5万円)にとどまっています。養育費の未払いは「子どもの権利」を侵害する社会問題として捉え、受給率を上げていくことが重要です。また、最低賃金の引き上げや非正規雇用の正規転換などで賃金上昇を進め、有給休暇なども取りやすいように労働条件を整えることも欠かせません。

◆◆

 こうした取り組みが重要であるのは明らかですが、夏休みが子どもの命や健康を脅かしかねない、という現在の状況は緊急事態です。根本的な是正を進める一方で、子どもにとって高まる「夏休みリスク」を乗り越えるための緊急支援策を実行することが求められています。

 近年、その取り組みは始まっています。東京都内の学童保育(放課後児童クラブ)では、朝の弁当作りの負担を減らすため、夏休みなどの長期休業期間に昼食を提供する取り組みが広がっています。23年7月のNHKの報道によれば、この時点で東京23区のうち11の自治体で希望するすべての児童に昼食を提供する予定があることがわかりました。保護者が宅配弁当を手配する制度を設けたり、自治体が主体となって昼食の手配に乗り出したり、休校中の小学校の給食調理室で作った昼食を子どもたちに提供したりなど、さまざまな方法で行われています。

 いずれも意義深い取り組みですが、課題がいくつかあります。まずは自治体による格差です。23年7月の時点では、東京23区でも半数以上の自治体ではまだ実施されていません。東京23区は国内でも財政的に豊かな自治体が多いですが、財政に余裕がない自治体の場合、昼食提供はより困難でしょう。しかし「夏休みリスク」は子どもの生存権に関わっていますから、特定の自治体だけではなく、国内どこに住んでいても同等のサービスを受けられるようにするべきです。

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 次に、これら提供される昼食が、現在のところ有料であることが多いということです。困窮子育て家庭の実態を見ると、その暮らしは限界ギリギリです。たとえ少額の負担増であっても、利用を避ける傾向を生むでしょう。近年、「給食の無償化」は急速に進んでいますが、この夏休み中の昼食の提供についても無償化を進めていくことが、子どもの生存権を守る上で重要だと思います。子どもの生存権において地域による格差は許されませんから、上記の自治体間の格差をなくすという意味でも国が費用負担すべきです。

 そしてもう一つ必要なのは、学童保育や給食提供体制の充実です。夏休み中も子どもたちに昼食を提供することは、学童保育指導員や給食調理員にとって新たな仕事が増えることを意味します。しかし、どちらも十分な体制が整っていません。

 全国学童保育連絡協議会(全国連協)の「学童保育(放課後児童クラブ)実施状況調査」によれば、学童保育の入所児童数は13年の88万8753人から、23年の140万4030人へと増加しました。こうした入所児童数の増加に対して、学童保育指導員の体制や処遇は十分ではありません。全国連協が18年に週20時間以上勤務する指導員について調査を実施したところ、経験年数5年未満の指導員が約半数を占め、勤務が継続していない厳しい実態が浮き彫りになりました。また指導員の年収も、週20時間以上勤務する指導員であっても約半数が年収150万円未満で、約6割が「ワーキングプア」(働く貧困層)といわれる年収200万円未満ということも明らかとなりました。給食についても同様です。20年の総務省調査によれば、給食調理員の中で非正規雇用の割合は69.8%に達しています。今のまま子どもたちの「夏休みリスク」を乗り越える施策を進めると、学童関連事業に携わる人がワーキングプアに陥るような悪循環を生み出すことになってしまいます。そのため夏休み中の昼食提供は、学童保育指導員や給食調理員の処遇改善、学童保育や給食提供体制の充実とセットで進められるべきです。

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 冒頭に紹介したキッズドアの調査で、エアコン代や昼食など生活に直結する課題に加えて、74%もの回答があった「子どもに夏休みの特別な体験をさせる経済的な余裕がない」という点も見逃せません。これは近年、子育て支援の場で注目されている「体験格差」という問題です。体験格差とは、子どもが学校の外で得られる体験機会の格差を意味します。

 この体験格差の実態が近年、明らかになってきています。公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンは22年、「子どもの『体験格差』実態調査」を行いました。この調査によれば、年収300万円未満のいわゆる「低所得世帯」では子どもたちの「体験」が平均的に少ないことに加えて、子どもたちの約3人に1人は体験の機会が過去1年間で一つもない「ゼロ」の状態にあることが明らかとなっています。

 この体験格差が促進されるのが夏休みです。夏休みに有料の「塾、スポーツクラブ、自然体験」などに通う子どもがいる一方で、困窮子育て家庭の子どもたちはそれが不可能な状態に置かれています。このことは夏休みが体験格差を広げる時期であることを意味しています。これも「夏休みリスク」の一つと言えるでしょう。

 キッズドアの調査によれば、夏休みに予定しているアクティビティのトップは「地域の夏祭り、バザーなど」(25%)で、海水浴や家族旅行は 1 割未満にとどまっています。そして、半数超が「特に予定しているものはない」と回答しています。私が子どもの頃には、夏休みの思い出の体験を絵日記として提出する宿題が出されていました。体験が「ゼロ」の子どもは、そうした宿題が出た時にどう対応すればよいのでしょうか?

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 こうした体験格差は、昼食の提供のような子どもの健康や命に関わる課題よりも後回しにされてきた感があります。子どもが十分に食べられないことは、多くの人にとって切実な問題だとすぐに理解できるのに対して、体験格差については「よいことではないけど、それくらいはやむを得ない」とか「食べられないことに比べれば深刻な問題ではない」と思われる方もいらっしゃるかも知れません。

 しかし私は、体験格差が「やむを得ない」ですむ問題とは思いません。なぜなら、子どもの時にいかなる体験をするかということは、本人の情動のあり方や物の見方、視野の広がりに大きな影響を与える可能性がとても高いからです。物事に興味をもつためには、その物事をまず知らなければいけません。知らないことには興味をもつこともできないからです。子どもの体験が不足するということは、本人の興味関心や視野を狭め、意欲をもちにくくする危険性があります。

 体験格差を是正するにはどうすればよいでしょうか? 子どもの体験にかかる費用を補助しようという民間団体や自治体も出てきています。そうしたサービスや制度の利用も一つの方法ですが、最も望ましいのは、子どもの体験の場となる公共施設を活用することです。

 公共施設の最もよいところは、無償または安価に利用できることです。夏休み中に公共のスポーツ施設、図書館、博物館などを子どもたちが利用しやすいように整備することです。児童館や公民館、青少年教育施設(青少年自然の家など)などを活用することも重要です。これらの施設は近年、全国的に減少傾向にありますが、子どもたちの「夏休みリスク」を乗り越えるために、むしろ充実させることを提案します。

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 公共施設以外の場として学校施設もあります。現場の教職員の負担にならないよう予算と人員を十分に確保した上で、学校の体育館、図書室、教室を開放することも一つの方法でしょう。

 体験格差の是正のためには、体験場所の確保に加えて、体験場所への送迎や付き添いの支援が重要です。キッズドアの調査によれば、有料の塾に通わせない理由、有料の習い事をしていない理由のトップはいずれも「経済的負担が大きい」となっていますが、2番目の理由は「塾の送迎ができない」(32%)、「習い事の送迎ができない」(30%)となっています。ひとり親家庭は、経済的困難に加えて、子どもを送迎するための時間的リソースを割くことが困難です。こうした家庭の子どもたちの体験格差を是正するためには、現存するファミリーサポート(自治体が行っている子育て支援事業)の充実に加えて行政による送迎手段の確保、地域のバス会社やタクシー会社との連携などが課題となります。

 子どもたちの「夏休みリスク」の深刻化は、貧困家庭やひとり親家庭の増加、子育てに大きな時間的リソースを割くことが可能だった専業主婦の急減などによって、これまでの「家族依存」による子育てが限界に来ていることを示しています。したがって今後は、「家族依存」から「社会で子どもを育てる」システムへと移行を進めるべきです。


「立憲・枝野氏、連合会長に出馬報告 『連合と共通認識が持てた』」

いやはや、嘘か本当か、胸の内は判りませんが、いいがげん「勝共『連合』」から飛び出せよ・・!
わざわざ「報告」だ?

園のようす。

今まで「巴旦杏(はたんきょう)」とばかり思っていましたが、色が違うのでグーグルレンズで調べてみました。
どうやら「グリーンゲージプラム」らしいです。


令和の大学生が陥っている貧困の本質を、この国の「働き方」から考えてみる【田中洋子先生インタビュー】

2024年08月11日 | 教育・学校

低賃金・非正規雇用で働く行政職員や女性のパート、学生アルバイトの実態を綴った著書『エッセンシャルワーカー 社会に不可欠な仕事なのに、なぜ安く使われるのか』が話題の筑波大学・田中洋子名誉教授に話を聞きました。

認定NPO法人「D×P」

ハフポスト2024年08月08日

 

親世代の経済力の低下や、私立・公立ともに上がり続ける大学の学費、数百万の借金としてのしかかる奨学金が、いま大学生たちを経済的にも精神的にも追い詰めています。

D×Pにも日々、お金に困っている大学生や専門学生、短大生など、さまざまな若者からの切実な相談が多数寄せられています。

こうした学生たちは、18歳未満を対象とする児童福祉法の枠組みからは外れてしまい、生活保護の原則受給対象外であることから、実は、公的な支援からこぼれ落ちやすい存在でもあるのです。

しかしながら、「大学に通うことができる=裕福」というイメージを持ってしまってはいないでしょうか?あるいは「学生時代はお金がないものだよね、自分もそうだった」と決めつけてしまうことはないでしょうか?

大学生の貧困という社会問題の本質に迫るために、D×Pタイムズ編集部は今回、筑波大学の田中洋子先生にお話を伺いました。低賃金・非正規雇用で働く行政職員や女性のパート、学生アルバイトの実態を綴った著書『エッセンシャルワーカー 社会に不可欠な仕事なのに、なぜ安く使われるのか』が、大きな話題となっている田中先生に、現代における大学生の「働き方」「働かせ方」を聞いてみると、「大学生の貧困」問題の本質が見えてきました。

90年代、ゼロ年代、10年代、20年代。学生の「働き方」の変化

──先生は、教育の現場で長く大学生をご覧になってきました。学生を取り巻く社会の状況に、変化は感じますか?

すごく感じますね。私は同じ大学で30年以上教えてきたので、経年変化が見えやすいんです。

90年代までの学生は、家賃をはじめ生活費も、親からの仕送りで賄っている人が多くて、時々おもしろそうなアルバイトをしながら遊びに使う、という感じの人が多かったように思います。「生活が苦しい」「アルバイトが大変」という話は、あまり聞いた記憶がありません。

それが大きく変わったのが、リーマンショック後の2000年代末から2010年代にかけてです。学生の “働かせ方” が、目に見えてキツくなってきました。ゼミの学生が、バイトで大変な目にあうという状況を頻繁に目にするようになります。「ブラック企業」という言葉が社会的に注目される時期のことでした。

ショッピングモールのデザート屋さんで働いていた学生は、社員からの罵詈雑言、ひどいパワハラを毎日のように経験し、その後精神的に追いつめられた状態になってしまいました。もっと早く気がついてあげればよかったと後悔しました。

あるファッションブランドで働いていた学生の場合は、ゼミの途中に職場から電話がかかってきて、「スタッフに欠員が出て、現場が大変だからすぐ来て」と言われて、本当にゼミを抜けてしまったこともあります。びっくりしましたよ。学生だけど、ゼミより職場対応の方が大事なのか!って。

話を聞いてみると、そのファッションブランドは、セールの期間は仕事が過酷で、アルバイトがばたばたと過呼吸で倒れていくというんです。安いセール商品に喜ぶお客さんがいる背景に、そういう地獄がある。前はそのセールをよく利用していましたが、それを聞いてから行かなくなりました。

学生のアルバイトに大きな要求を押し付ける職場が増えてきたその時期に、「生活が厳しい」という学生も少しずつ増えてきました。

アルバイトを3つ掛け持ち、ギリギリで生きている学生たち

──第一の変化が学生たちの働かせ方のブラック化で、第二の変化が、学生たちの貧困化ということですね。

2000年代から2010年代にかけての不況の中で、学生の親世代がリストラにあったり、長時間労働で病気になったり、手取りや賞与が減るような状況になりました。結果として親の仕送り額が年々減り、「アルバイトをたくさんしないと食べていけない」という学生が増えています。

最近の例ですが、授業時間以外のすべての時間にバイトをめいっぱい入れている学生がいました。聞いてみると、お父さんが働きすぎでうつ病になってしまい,長く休職しているため、生活費や旅行代もとにかく自分で頑張って稼ぐしかない、と言っていました。

別の学生も、実家の収入がとても不安定で、仕送りをあてにできない状態でした。他のきょうだいが大学に行かずに就職した中、自分だけ大学に通わせてもらっているので、生活費も大学の費用も自分で払わないといけないと言っていました。飲食店2つとイベント系バイトの3つを掛け持ちしながら、ギリギリで生きています。

アルバイト先のイベント会社も、これがまたブラックなんですよ……。本人はやりがいを感じているそうなのですが、土日も朝早くから夜遅くまで働いています。

ほぼ3日寝てません、というもうろうとした状態でゼミに来たこともありました。しかも、聞くと、1万人の顧客管理を任されているというんです。21歳の学生がですよ。 「居酒屋のバイトより給料が良いから」とは言いますが、それでも時給1200円程度。真夜中まで働いても残業代は出ません。体調を崩したり精神を病んでも、誰も責任を取らない。ぜんぶ自己責任です。

「クリエイティブな仕事をさせてあげてるんだから、これくらい働いて当然」という企業側のやりがい搾取と、「お金が必要」という学生たちのニーズは、最悪のマッチングを起こしているんです。

安くて、やる気もある。企業にとって「都合がいい」学生アルバイト

──親の経済状況の悪化に加え、「学生だから安く使ってもいい」という企業側の思惑も絡んできているんですね。

日本はかつて、右肩上がりの経済成長の中の日本的雇用関係のもと、男性の正社員は子どもが大きくなる年代に、確実にお給料が上がっていました。80年代くらいまで、そうやって家族全員を養っていたんです。

そういう時代に学生アルバイトの数も増えはじめたので、「どうせ親に養ってもらっているんだろ」「給料は安くていいだろ」という感覚になりました。中にはすごく生活が苦しい学生もいましたが、あくまでも例外でした。

親の雇用や収入が不安定化する中で、学生のアルバイトの給与も改善されてしかるべきなのに、むしろ、安いアルバイトをめいっぱい利用しているのが、いまの状況です。企業としては、そりゃ都合が良いですよ。若くて元気がよくて、いろんなアイディアを持っていて、一生けんめいな人たちが、時給1000円やそこらでまじめに働いてくれるわけですから。

さらにそこへ、アルバイトのモチベーションを高めるため、という理由で、管理責任や、リーダー職など、どんどん店の「基幹的」な部分を任せていくようになっています。売り上げ管理や、シフト管理など、店の利益そのものに直結する重要な仕事を任される人がたくさんいます。それでも、時給はたいしてあがらないのです。

借金の返済で、明るい未来どころじゃない

──学生たちの貧困化の理由として、親の経済力、アルバイトの低賃金という問題以外の要因は何かありますか?

まず学費が上がっています。そして、奨学金も大きな重荷になっています(※)。今年の卒業式のあとに、ゼミ生から「これから〇百万の借金返済がはじまるんですよー」と暗い顔で言われました。卒業と同時に借金の重さで打ちひしがれてしまう学生が多いです。バイトだけでは生活がきついからと奨学金をもらってしまったがために、この先何十年も、数百万という負債を背負っていく。借金の返済で、明るい未来どころじゃないわけです。

大学の授業料免除枠も、どんどん枠が狭くなりました。私は、指導教員として奨学金や授業料免除申請の推薦状をいくどとなく書いてきました。学生の家庭の経済状況を聞くにつけ「これは厳しい状況だ」「絶対に受給(免除)になるだろう」と思うわけですが,これがある時期からどんどん通らなくなりました。予算削減の影響が、もろに学生の生活を追いつめていったのです。

ヨーロッパの多くの国では、そもそも大学の学費はゼロです。授業料や奨学金の問題は、もっと政治的な争点にするべきです。政治家に対して、「若者を卒業と同時に借金漬けにしない高等教育を実現する気がありますか」と、どんどん問うていかなければならない。個人的に話をしているだけだと、「お金がない」「辛い」と愚痴になってしまいます。でもそれは決して個人の話ではなく、多くの学生を共通して苦しめている問題なわけです。だから政治を変えるしかないんですよ。政治家の頭の中を変えていかなきゃいけない。

(※)現在、日本の大学生の半数以上が利用している日本学生支援機構では、無利子の第一種、有利子の第二種のうち第二種奨学金の比重が増している。令和3年度の貸与額は第一種奨学金が2,780億円、第二種奨学金が5,883億円で、2倍以上の開きがある。

私たちは、「ずっと、なんとなくそのまま」にしてきてしまった

──なぜ、日本の政治は若者を大事にするための政策に舵を切れないのでしょうか? 先生がご説明されていたように、「男性稼ぎ主型モデル」が崩壊していることは明らかです。しかし、学生アルバイトだけでなく、女性の働き方(非正規雇用で働く女性は男性の約3倍)もなかなか変わりません。先生は、著書『エッセンシャルワーカー』の中で、「女・子どもを安く使う」という言葉を使っていらっしゃいました。

日本は、同じ政権が長く続いてきてますからね。私たちが決定権や権力を持つ人たちをきちんとチェックしてこなかった。ずっと同じ政権なら、内部の人間関係を適当にいじるだけで維持できるので、社会全体の仕組みをもっと良くしていこうと考える必要もないんでしょう。これまでのやり方を変えるなんて面倒だと思う人が多いんじゃないですか。

結局「ずっと、なんとなくそのまま」にしてきたことが多くて、本質的な解決策が模索されてこなかった。それは、私たち自身の投票行動がもたらしたものでもありますね。

──とはいえ、ただでさえしんどい生活の中で政治に目を向け、アクションするのは簡単ではないですよね。

学生たちを見ていても、社会がこうなっちゃっている、ということを「受け入れている」ように見えます。『エッセンシャルワーカー』の中でも紹介したドイツのマクドナルドの事例をあげて、「ドイツでは正規・非正規の区別がなく、全員が同じ給与表に基づいた給与が支払われている」「学生は職業教育の一環で働いていて、使い捨て要員ではない」と話すと、学生たちはみんな「へぇ〜!」ってなりますよ。でも、そこから先に進まない。「ドイツいいな」「すごい」で終わってしまって、自分たちのやっているアルバイトの状況がおかしいぞ、という方向にはならないんですよね。

現実をそのまま受け入れ、批判的に考えないことに慣れすぎてしまっているんです。小さい頃から自分で考えて意見を言い、まわりとコミュニケーションを取って何かを変えてきたという成功体験が足りません。

でも、悲観ばかりではありません。ここ1、2年で入ってきた学生たちには、自分の意見を人前でてらいなく発表する姿勢が見られて、正直驚いています。小中高での教育が変わりつつあることの影響を、大学で実感しています。

自分が変えられる領域で、何ができるか

──学費値上げへの反対運動など、声をあげる大学生もいますね。長年、大学生を見てきた立場でこうした動きをどうご覧になっていますか。

これは難しい問題ですね。私は、SEALDs(※)のことがすごく心に残っています。マスコミが大きく取り上げて一時的なブームをつくって、世間でバッと消費されて、叩かれ、攻撃される。この国では、声を上げて目立つ人は、追い詰められて傷ついてしまう可能性が大きいと感じます。

だから、若者たちの消極的な態度をはがゆく思うことはあるけれど、同時に学生たちを守りたいから、「もっと声をあげるべきだ」とは言い切れない難しさがあります。苦しいところです。 ただ、年齢やポジションにもよりますが、自分が変えられる現実の領域は、確かにあると思います。例えば、一言だけでも、言いたいことを言うだけで違うはずです。「給料低すぎませんか」と店長に話すとか、「学費を上げるのではなくて下げて」とネットでつぶやくとか。もし小さいチームで自分が裁量をもっていたら、そのチームを変えてみることはできそうです。

──先生のお話で大学生の実態への理解が深まりました。「大学時代は貧乏で当たり前でしょ」と思っている上の世代の大人たちにも、しっかり受け止めて欲しいですね。

政治や社会を少しでもいい方向に変えていくためには、粘り強い活動が大事ですよね。私自身ネット上の発信がとても不得手で、うまくいきませんが、こうした取材で得られたつながりを大事にしながら、問題提起を広げていきたいです。

(※)シールズ:2015年5月から2016年8月まで活動していた日本の政治団体・学生団体。2015年、集団的自衛権行使を認める安全保障関連法案に反対する国会デモで注目を集めた。

 

田中洋子先生

認定NPO法人「D×P」

筑波大学人文社会系名誉教授。東京大学大学院経済学研究科修了。博士(経済学)。東京大学経済学部助手、筑波大学社会科学系専任講師、准教授、教授をへて2024年より現職。ベルリン・フンボルト大学国際労働史研究所フェロー(2015-16 年)、ハーバード・イェンチン研究所招聘研究員(2017-2018 年)。2024年よりベルリン自由大学フリードリヒ・マイネッケ研究所、法政大学大原社会問題研究所研究員。専門はドイツ社会経済史、日独労働・社会政策。2023年11月に刊行された『エッセンシャルワーカー 社会に不可欠な仕事なのに、なぜ安く使われるのか』が話題となり、元旦・NHKスペシャル 「2024 私たちの選択」など多くのメディアで取り上げられている。


今、さらなる「授業料値上げ」で追い打ちをかけようとしている。
「学問」を「特定階層」のものにしてはならない。
若者と「連帯」して跳ね返そう!
「社会」を変えよう!
「政権」を代えよう!

園のようす。

ヤマブドウ


「代わりの教員が見つからない」全国で4000人超、教員が必要数に足りてない

2024年07月21日 | 教育・学校

「東京新聞」2024年7月21日

 教員の数が本来必要な数に達していない状態を示す「教員未配置」の問題で、全国の小中高校の未配置数が5月時点で4037人となっていることが、全日本教職員組合(全教)の実態調査で分かった。昨年度同時期の調査より深刻化しており、特に産育休・病休の代替者の未配置は倍増している。

◆産育休・病休の未配置、2023年より倍増

 調査は、全教が調査用紙を送った地方組織が、5月1日時点の教員未配置数を地元自治体の教育委員会に聞き取るなどして調査。東京など37都道府県10政令市から回答があった。回答した府県・政令市名は公表していない。

 校種別の未配置数は、小学校1732人、中学校1244人、特別支援学校473人、高校433人など。

 未配置で目立つのが産育休・病休教員の代替者。産育休の代替が見つからないことによる未配置数は425人、病休が293人だった。

 また、回答のあった都道府県政令市のうち、昨年度同時期の調査にも回答のあった24都道府県5政令市の未配置数を比較すると、昨年度が2018人で、本年度は2753人。1.36倍に増えていた。中でも産育休・病休などの代替教員の未配置数は、400人から804人と2倍だった。

◆非常勤講師などで穴埋め「働き方を抜本的に考え直さないと」

 未配置への対応を聞いたところ、回答のあった自治体の多くが、非常勤講師などで授業の穴を埋めたとした。全教の板橋由太朗中央執行委員は「校務分掌など授業以外は非常勤の業務外なので、他の教職員が負うしかなく、長時間過密労働に拍車をかけている。教員の働き方を抜本的に考え直してほしい」と訴えた。

 自由記述には、「担任不在のクラスがざわつき始めた」(小学校)、「副校長が100件電話をかけても代わりの教員が見つからない」(中学校)、「支援学級の担任をもちながら通常学級の授業、定期考査、評価もしている」(同)、「昨年度は10人近くの教員が病休になった」(特別支援学校)などの声があった。(榎本哲也)


今日、手の甲を土蜂に刺された。
昨年も2回刺され、身体に発疹が出るなど、アレルギー反応が出たので診療所で点滴を受けた。
日曜日なので「当番医」を調べなければならない。
家にたどり着くまで「反応」は出なかったので塗り薬と冷やすことで対応した。
左手はバンバン腫れている。

ホタル再現へ

毎年ホタルの時期にななると4年前を思い出す。

毎年毎年1匹か2匹しか見ることができなかった。

いつかホタルの群舞が見たくて見守ってきた。

そして2020年、とうとう願望をかなえた。

道路脇の溝には、あまりきれいというほどの水ではないがわずかながらも流れていた。

その溝を中心に、とうとう大発生だった。

道路脇の草むらにも、アスファルトの部分にも。

車にひかれたらいやだなと思ったものだ。

しかし、翌年は雨が降らず、溝の水も枯れてしまった。

またしても1匹か2匹しか見れなくなった。

ちょっと上に小さな池があるので、そこからサイホンの原理で年中ホースで水を引いている。

4年前の光景を再びと。


教育社会学者・内田良氏 教員のタダ働きに甘える“学校依存社会”に警鐘

2024年06月10日 | 教育・学校

教育社会学者・内田良氏が公立教員「定額働かせ放題」問題に警鐘…「給特法」廃止と現場の意識改革が不可欠

日刊ゲンダイ2024/06/09

 いま、公教育が危機にさらされている。教員の長時間労働が常態化しているのだ。日本教職員組合が昨年発表した調査では、小中学校や高校教員の時間外労働の平均が、「過労死ライン」の月80時間を超えているという。特に問題視されているのが、公立学校教員に対し、残業代を支給しない代わりに月給4%を上乗せして支給する「給特法」だ。同法が長時間労働を容認し“定額働かせ放題”の温床になっていると指摘されている。半世紀ぶりの見直しで上乗せの4%が10%に引き上げられそうだが、根本的な解決にはならない。この問題に詳しい名古屋大学の内田良教授に話を聞いた。

 

■コストや労務管理の概念が欠落している

 ──教員の労働環境が悪化した背景にはまず、1971年に制定された教職員給与特別措置法(給特法)の問題が大きい。

「実際の労働時間に関係なく、一定量のみなし残業代を支給するシステムをつくったことで、定時や残業という概念が教育現場になくなってしまった。一般企業であれば残業代というコストが発生するので、おのずと時間外労働にブレーキがかかります。一方で、学校ではいくら教員が勤務時間外に働こうと、『給特法』によって月給の4%以上のコストは発生しない。そのため、コストの視点が欠落し、1970年代から一般企業ではタイムカードが普及する中、学校では労務管理という概念がなくなってしまいました」

 ──先月、文科省の中央教育審議会(中教審)の特別部会が、改善策として「給特法」の上乗せ分を10%に引き上げる提言をまとめた。しかし、教育現場では「給特法」自体にメスが入らなかったことに失望の声が広がっている。

「教員は別にお金が欲しいのではなく、早く家に帰りたいだけ。『給特法』が制定された1971年当時と比べて、教員の仕事は増大している。長時間労働に抑止力がかかるような、時代に即した法律の制定が不可欠です」

“聖職者メンタリティー”も共犯関係

  ──問題は「給特法」だけではないという。

「“聖職者メンタリティー”ともいうべき教員特有の考え方も、長時間労働に影響しています。日本の教育現場では、教員はお金や時間に関係なく、子供のために献身的に働くべきだという考え方が根強い。そのため、教員は私生活を犠牲にしてでも、部活動や学校行事、課外活動などに多くの時間を割いてしまう」

 ──聖職者メンタリティーも「給特法」と共犯関係になり、教職員の労働環境は悪化していった。そのことを象徴するような話がある。

「ある小学校が、コロナ禍で週に2回にしていた掃除の時間を、元の週5回に戻そうというのです。掃除が週2回になってもそこまで困ることではありませんし、働き方改革に逆行しています。掃除は1年生から6年生までみんなが協力するという貴重な機会で、教育的意義があるというのですが、教員40人で1日15分の掃除を週3回分増やすとして本来かかるはずの人件費を計算すると、年間300万円分のコストが発生します。労働時間と賃金がリンクしていないからこそ、いまだにコストの視点が欠落し、教育的意義のみで議論してしまう。現場の教員を責めるつもりはないのですが、これでは働き方改革の議論は進みません」 

 

教員のタダ働きに甘える“学校依存社会”に警鐘

 公立学校の教員に対し、残業代を支給しない代わりに月給の4%を上乗せして支給する「給特法(教職員給与特別措置法)」は、長時間労働を容認し、“定額働かせ放題”の温床になっていると問題視されている。そして、社会が学校に過度に依存していることも、教員の労働環境を悪化させる要因だという。

■部活動という休日出勤に誰も疑問を抱かない

 「先生は土日を含め、終日子供の面倒を見てくれるものだと、教員に対する社会全体の期待が物凄く大きい。私はこれを、“学校依存社会”と呼んでいます」

 ──“依存”の内容は多岐に及ぶ。

「例えば、子供が夜に出歩いていたとか、道端でうるさくしていたといった地域住民のクレームが学校に届くわけです。しかし、そういったことへの対応は本来、教員の職務の管轄外であり、家庭の問題であるはずです。他にも、土日にも部活動の顧問をしていることや、学校で起きたトラブルなどについて保護者の帰宅を待って電話するなど、教員の勤務時間外や管轄外の労働に、社会が疑問を抱かなくなってしまっている。教員も一人の私人であり、労働者です。にもかかわらず、勤務時間外にも子供の面倒を見ることを求め、教員に大きな負担をかけてしまっている。社会全体で改めて考えていかねばなりません」

 ──国もまた献身的に働く現場の教員に依存している。

「教員の待遇改善のため、労働時間に見合った給料を支給する制度に予算を配分するなど、財務省はもっと教育分野にお金を割くべきです。しかし、教員は自らを犠牲にし献身的に働いているので、現状の予算でも対応は可能だと考えているのでしょう。財務省は、文科省に予算をまわすことに消極的で、結局は教員の善意によるタダ働きに完全に甘えてしまっている。まさに“学校依存社会”を如実に表しているのです」

財務省は教育分野にしかるべき予算を

 ──そもそも予算が厳しい状況で、文科省は教員の働き方改革に抜本的な手を打つことができないでいる。NHKが教員の現状について「“定額働かせ放題”とも言われる」と報道したところ、文科省が「一面的な報道」だと抗議し、物議を醸した。

「文科省は、教員のなり手不足に最も頭を悩ませている。打つ手がない中で、少しでもネガティブなイメージが広がらないように、苦肉の策として今回のような行動に出たのだと考えられます」

 ──教育現場はすでに崩壊していると、内田教授は警鐘を鳴らす。

「現場では人手が全く足りておらず、教員は本分である授業の準備に時間を割けないでいます。校長先生などは、教員の補充のため『どこかに来てくれる教員はいないか』と、片っ端から電話をかけている状況。採用試験の倍率はあらゆる地域で急低下しており、教員免許を取得する要件が緩和されるなど、今やなりふり構わず教員を採用せざるを得なくなっている。そのため、すでに教育の質は担保できなくなってきています。いま一度、国に問いかけたいのは、学校がこんな状態でいいのかということです。未来を担う人材を育てるという重要な役割を持つ教育分野に、しかるべき予算を回すべきです」=おわり

(聞き手=橋本悠太/日刊ゲンダイ)

内田良(うちだ・りょう)1976年、福井県生まれ。名古屋大学大学院教授。専門は教育社会学。学校リスク(事故や長時間労働など)の調査・研究、啓発活動を行っている。


天気予報では☂マークが続いていたのでさぞ降ったもんだと思っていたのですが、畑は昼前に乾いてしまいました。

園のようす。


東京大「授業料の引き上げ」検討…学生が抗議に立ち上がった 経済的に厳しい人が「学びにくい」でいいのか

2024年05月21日 | 教育・学校

「東京新聞」2024年5月21日 

 東京大で検討されている授業料引き上げに対し、学内外で批判が広がっている。文京区の同大本郷キャンパスであった学園祭で19日、学生有志が反対の声を上げた。東大が引き上げに踏み切れば、他の国立大にも広がる可能性があるが、国際的にみても、日本の高等教育における家計負担の割合は高い。識者からは「国立大の使命を果たせなくなる」と懸念の声が上がる。(宮畑譲、中山洋子)

◆年53万5800円が64万円超え?

 「立ち止まって話を聞いてください」「年10万円の値上げがされようとしている。4年で40万円です」

 多くの学生や保護者らでにぎわう学園祭「五月祭」の会場に突如、学生たちの叫び声が響いた。訴えを聞いた来場者から「え、まじ?」と驚く声が漏れた。

 この数日前、東大が授業料引き上げを検討していることが報じられた。現在は文部科学省令が定める年間53万5800円の「標準額」だが、省令で最大20%まで引き上げが認められており、その場合は約10万円増の64万2960円となる。

◆「話し合いをしていることは確か」

 ニュースで値上げの動きを知った学生有志が交流サイト(SNS)で呼びかけて集まり、広場に横断幕をかかげ「学費を上げるな」とアピール。オンラインでも反対する署名を呼びかけている。

 学費免除を受けているという女子学生は「半年ごとに審査があり、いつ打ち切られるか分からない。経済的な理由で進学をあきらめる人をこれ以上増やしてはならない」と訴えた。抗議活動に参加した男子学生(20)は「ありえないと思った。周りに奨学金を受けている人たちもいるが、どれだけ大変かよく知っている。都立大などが授業料の無償化を進める時代に逆行している」と憤った。

 現状、東大内の議論はどうなっているのか。「こちら特報部」が取材すると、「学内で話し合いをしていることは確か。授業料においては多面的に検討している。審議中で公表できることはない」(広報課)とのことだった。

◆日本は公費に比べ家計負担が高い

 国立大の一部では、既に授業料の増額が始まっている。2019年の東京工業大をはじめ、一橋大、千葉大など計7大学が標準額を超える授業料を設定している。他大学でも引き上げられれば、さらなる家計や学生への負担が懸念される。

 経済協力開発機構(OECD)の22年の報告によると、高等教育にかかる費用のうち、日本は公的機関の支出割合が33%で家計負担が52%。平均は公的支出66%、家計負担22%となっており、日本の家計負担の割合の高さが目立つ。

 一方で、国から国立大への「運営費交付金」は減り続けている。国立大が法人化した04年度は全体で1兆2415億円だったのが、本年度は1兆784億円となり、20年間で約1630億円減少した。

◆「産学連携」のしわ寄せが学生に

 東大の授業料引き上げ検討について、京都大の駒込武教授(教育史)は「投入する税金を減らし、大学に企業のように稼がせようとする政府与党の方針がある」と指摘する。世界最高の研究水準を目指す大学を国が支援する「国際卓越研究大学」に、東北大が初めて認定候補として選ばれた。多額の基金運用益が配分される一方、授業料の設定も「弾力的」に行えるとされる。

 駒込氏は「運用益は学生の福利厚生や教員の待遇改善に使うのではなく、産学連携に投資して稼ぎなさいということ。前のめりな産学連携路線のツケを、学生に払わせようとしている」と批判する。東大も国際卓越研究大制度に応募した。今後認定されれば、現状の授業料の上限はなくなり、負のスパイラルが起きると警告する。

 「授業料が値上がりすれば、経済的に厳しい学生が集まらず、国立大の使命を果たせないばかりか、研究力を高めることにもならない。結局は日本全体の損失につながる」


学生が食糧配布に並ぶ時代である。
断固阻止しなければならない。
親も大変だ!

園のようす。
緑が日々濃くなっている。


STOP!学校の長時間労働

2024年05月19日 | 教育・学校

教員の長時間勤務に歯止めをかけ、豊かな学校教育の実現を求める教育研究者有志の会 桜美林大学教授 中村雅子さん

「しんぶん赤旗」2024年5月19日

現場理解なき「中教審まとめ」

 学校現場が直面しているのは、6000人以上も精神疾患で休職している、過酷な教員の長時間過密労働の問題です。研究者有志は▽教員にも残業代を支給する▽学校の業務量に見合った教職員を配置する▽これらを実現すべく教育予算を増額する―という3点を要望し、18万人超の署名を提出しました。

 それなのに「『令和の日本型学校教育』を担う質の高い教師の確保のための環境整備に関する総合的な方策について」と題された「審議のまとめ」には教員増も残業代支給もなく、署名に託された願いを裏切るとんでもない内容です。しかも、「新しい職」などというものをすべりこませて、協働的な営みを分断しようとする。やってほしいことはやらずに、求めてもいないことを進めようとする。こんなことを教員は望んでいません。現場で困っている人たちの願いに全く応えようとしていないし、リスペクトもない。

 「おわりに」の結びには「国民の皆様からのご理解とご支援を心からお願いしたい」とありますが、現場の大変さに理解も支援もしていないのがこのまとめ案ではないでしょうか。こんな「まとめ」は絶対にダメです。

 残業代を出すしくみを求めるのは、先生たちがお金をたくさんほしいからではありません。民間企業のように、長時間労働を抑制する力になるからです。そもそも必要な仕事が勤務時間内に終わらない現状を、何とかしてほしいのです。目の前の子どもたちに、温かくて心のこもった教育ができる条件を、一日も早く保障すべきです。

 政府や文部科学省は、本当にやらなければいけないことから目をそらして、ばんそうこうを次々と貼ってごまかすような「改革」を進めてきました。その象徴が今回のまとめです。

 これでは、若い人が教員になろうという気持ちになれないでしょう。なんとか踏ん張ってきたベテランの先生たちも、怒りと深い失望でもう辞めてしまうのでは、ととても心配です。

 まとめでは、教員は高度の専門職だと認めています。そうであるなら、専門性が真に発揮できるよう、現場の願いを真正面から受け止めるべきです。そのための大きな運動が求められていると思います。(堤 由紀子)

 公立学校教員の長時間労働の解消について議論してきた中央教育審議会特別部会は13日、「審議のまとめ」を出しました。しかし、「失望した」「0点だ」など怒りが渦巻いています。関係者の願いをシリーズで紹介します。


園のようす。


教員不足 少人数学級に影

2024年05月15日 | 教育・学校

35人以下 やっと実現したのに弾力運用で40人

「しんぶん赤旗」2024年5月15日

 教員の長時間労働や志願者減少の影響を受け、教員不足に年々拍車がかかっています。今年度もすでに各地で深刻な不足が生じています。川崎市では4月の教員不足が市基準で131・5人となり、少人数学級が後退する学校まで出ています。(佐久間亮、島田勇登)

川崎、過去最多迫る

 川崎市の昨年4月の教員不足数は61・5人でした。年度途中に産育休や病気などによる離・休職者が出たことで今年2月には過去最多の146・5人を記録。今年度は4月からこの過去最多に迫る状況です。

 現在法律上の学級編成の標準は小学1~5年生まで35人以下です。川崎市では教員不足のため4学校5学級で標準を上回る36~40人編成としています。市教育委員会は、教員の志願者減少などを要因に挙げます。

 一方、川崎市教職員連絡会の大前博事務局次長は「少子化で教員が余るといって正規教員の採用を抑制してきたことが最大の原因だ」と批判。教員不足が学校の長時間労働に拍車をかけ、産休取得を同僚に謝らなければならないような職場環境の悪化をもたらし、さらに志願者が減る悪循環になっていると語ります。

千葉県、異例の通知

 千葉県では2月に県教委が、小学5年生以下でも実情に応じ36~40人編成にする「弾力的な運用」が可能だとする通知を市町村教委あてに出しました。2学級を1学級にし36~40人編成にした場合、教員を2人配置することなどが条件です。

 表向きは教員不足対策とは異なるものの、文部科学省が「例外的に許容」とする対応をわざわざ抜き出して通知にするのは異例。弾力運用を口実に35人以下学級を見直し、年度途中の休職者に備える自治体が出てくるのではと懸念の声があがります。

 同県教委は、1校で何人も教員が不足すれば弾力運用の複数教員配置に影響が及ぶ可能性もあるとしつつ「そうした事態は考えにくい」としています。

 全教千葉教職員組合の浅野涼平書記長は、年度途中に3人が産育休に入るのに代替教員のめどが1人もついていない学校もあるとし、県教委の見通しの甘さを指摘します。

 弾力運用で小学校低学年の35人以下学級が40人ぎりぎりの編成に見直されたある学校のベテラン教員は、この学校が現在抱える困難を考えるとやむを得ない面もあるとしつつ、こう語ります。

 「学校に余裕があれば弾力運用は必要ない。コロナ危機をへてやっと35人以下学級が実現したのに、また狭い教室に押し込められる。子どもたちが一番の被害者です」

これでは学校がもたない

残業代不支給を継続

 教員不足の要因の一つが、各地で過労死の悲劇を生みだしている異常な長時間労働です。文部科学省の2022年の調査では、小中学校とも持ち帰り残業も含めた1日の労働時間の平均は約11時間半に上り、中学校では4割近い教員が過労死認定ラインの月80時間を超える時間外労働をしていました。

 精神疾患による休職者数も過去最多を更新し続け、22年度は6539人です。

 文科省は昨年6月に中央教育審議会(文科相の諮問機関)に長時間労働解消に向け特別部会を設置。同部会は1年近い議論を経て13日に「審議まとめ」を策定しました。しかし審議まとめを見た教員からは「『このままでは学校がもたない』という現状をいっそう深刻化させかねない」との声が上がります。

 労働基準法は1日の労働時間を8時間と定めています。時間外労働には割増賃金を払わなければならず、違反した雇い主には6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金が科されます。

 しかし、公立学校の教員は「教職給与特別法」で例外扱いとされ、月給の4%を教職調整額として一律に支給される代わりに、残業代は出ません。時間外労働は「自主的な活動」とされ、行政は残業代を負担せず、管理職が刑罰に問われることもありません。

 自民党は、特別部会の設置直前に提言を発表し、議論前から残業代支給を「選択肢とは言えない」と否定。その代わり教職調整額を10%以上に引き上げるとしました。

 残業代支給をめぐって特別部会では▽自主的な活動と労働時間の切り分けが困難▽残業を指示する管理職の負担が増える▽給与の負担は都道府県、服務監督は市町村教委と分かれているので残業代による労働時間抑制効果がない―などの意見が出る一方、教職員組合や全国高等学校PTA連合会は残業代支給を求める意見書を提出しました。

 教育研究者有志20人が呼びかけた残業代支給などを求める署名に18万人超の賛同が集まるなか、審議まとめに書き込まれたのは、残業代不支給制度の維持と教職調整額の10%以上への引き上げ。書きぶりも自民党の提言を引き写したかのようです。

低い教育予算を放置

 中教審は19年にも長時間労働解消をうたう答申を出しています。このときも残業代不支給制度に手を付けず、教職員定数の改善目標もなし。その結果、教員不足が深刻化し、文科省の21年4月の調査でも全国で2086人の教員が未配置となっていました。

 首都圏の小学校のある中堅教員は、教育委員会から業務改善の指示は盛んにくるが、労働時間が短くなった実感は全くないと断言。「在校時間を短くするため学校は午後8時に閉まるようになったが、みんなパソコンを持ち帰り、家で仕事をしている」といいます。

 この学校では、学級担任を受け持つはずだった新卒教員が着任早々職場を去りました。理由は分からないものの「年度初めは業務量が非常に多く、全員遅くまで学校に残っていた。イメージと違ったのでは」と推測。現在は教頭や専科教員で回しているものの「来年度まで担任が未配置の可能性もある」と声を落とします。

 19年の答申を取りまとめた小川正人東大名誉教授は当時、残業代支給には「1年間で9千億円から1兆数千億円が必要です。しかし、財源のめどはありません」(「朝日」18年12月24日付)と語っています。一方、盛山正仁文科相は5月14日の会見で、教職調整額を10%にした場合の国費負担は約720億円増となると語っています。地方負担分を合わせても約2160億円増です。

 前出の中堅教員の場合、月間時間外労働は平均50時間程度だといいます。4%が10%になると教職調整額は1万5千円から3万8千円に増えます。ただし残業代なら4・5倍の約17万円です。さらに時間外労働が80時間になれば残業代は30万円近くに増えますが、教職調整額なら3万8千円のままです。

 残業代不支給制度の継続は、国際的に見ても低い日本の公的教育予算を増やさず、教職調整額のわずかな増額と引き換えに「定額働かせ放題」を温存するものです。

 全国知事会などは、教職員の配置基準を定めた「義務教育標準法」の見直しによる定数改善を求めていました。審議まとめは、標準法見直しで増えるのは活用目的を限定しない基礎定数なので、教員の負担軽減につながらない可能性があると主張。政府の政策目的に沿って教員を配置する加配定数の改善を優先するとしました。

 教員が受け持つ授業時数に上限を設けることで長時間労働を抑止する案も、管理職の裁量を縛るとして採用しませんでした。

 

命と健康守る仕組みこそ

三坂彰彦弁護士に聞く

 日本弁護士連合会は2021年の意見書で、教員に労働基準法の労働時間規制を適用するよう求めています。意見書作成に関わった三坂彰彦弁護士に聞きました。

 労基法は憲法27条に基づき労働条件の最低基準を定めた法律です。時間外労働に割増賃金の支払いや罰則を科すのは労働者の生命と健康を守るためです。多くの教員が過労死や精神疾患に追い込まれるもとで、労基法の労働時間規制の適用は不可欠になっています。

 教員は高度な専門性があり裁量が大きく残業代支給になじまないとの指摘があります。しかし、そもそも労働時間が過労死ラインに達しているような職場で高度な専門性の発揮は困難です。私立や国立学校の教員には労基法が適用されていますし、医師のうち勤務医も労基法の残業規制の適用対象です。

    残業承認で管理職の負担が増えるとの指摘もありますが、これは現在の管理職数を前提とした場合の話です。また、民間企業でも定型的な業務は包括的な承認で対応しています。

 残業代支払いを義務化しても労働時間抑制の効果は期待できないとの指摘もありますが、県教委は教職員の人事権を持つなど市町村教委と緊密な連携関係にあり、市町村が県の給与負担を考慮しないことは考えられません。

 残業代は賃金の25~50%が割り増しされるので教員を増やす強い動機になります。一方で基本給の一定割合で定められる教職調整額には労働時間抑制の効果はありません。

 教員の時間外労働の最大の原因は1人当たりの業務量が多すぎることです。業務量削減には持ち授業時数の削減と少人数学級の推進、そしてそのための教員の抜本的増員が必要です。労働時間規制の適用は、その方向を動機付ける最も効果的な手段と言えます。


スケスケで向こうまで丸見えだった景色も緑が多くなりました。


「お金じゃない、長時間労働に歯止めを」現場の声届かず…教員の働き方改革案は「定額働かせ放題」のまま

2024年04月23日 | 教育・学校

これから札幌です。
叔父の1周忌法要、夜は延び延びだった孫の合格と入学のお祝い。
帰りが遅くなりますので今のうちにアップしておきます。
札幌で桜が見れるでしょう。

「東京新聞」2024年4月20日

  こちら特報部

 教員の働き方改革を検討している中教審の特別部会は19日、公立学校教員に残業代を出さない代わりに支給する月給4%相当の教職調整額を、10%以上に引き上げることを柱とした素案を示した。調整額を定めた教員給与特別措置法(給特法)を巡っては、「定額働かせ放題」の温床で長時間労働につながるとして、廃止を求める声が現職教員らから出ている。案では、制度を維持した上で処遇改善を図るとした。(榎本哲也)

◆残業手当変わりの「調整額」引き上げ、ポスト増設で対応

 部会は5月にも議論をまとめる。文部科学省は答申を受け法改正を検討する。

 現行の教職調整額4%は残業時間が月平均8時間程度だった1966年度の調査が根拠。文科省の2022年度の調査では、月45時間超の教員は小学校で64.5%、中学校は77.1%だった。

 長時間労働に歯止めをかけるために残業手当を支給すべきだ、との意見が教員の労働組合などから出ているが、素案は「教師の職務の特殊性を踏まえると(残業手当は)なじまない」と指摘した。教職調整額の増額とともに、学級担任を持つ教員の手当を他の教員より増額することも提言した。

 ほぼ全ての教科を教える小学校教員の負担を減らすため、教科担任制を拡大する。現行の5、6年生に加え、3、4年生でも教科担任をつけられるようにする。

 現在は新卒1年目の教員が担任を持つことも少なくないが、これを避け、副担任などから始められるよう教員定数の改善を目指す。

 若手教員を支援するため、校長、教頭・副校長、主幹教諭に加え、中堅教員が就く新たなポストを設ける。東京都が独自に設けている「主任教諭」などを想定している。

   ◇

◆現職「最悪の結末」、大学生「教師は魅力低い職業に…」

 「お金じゃない、残業に歯止めをかけて」。中教審部会が示した教員働き方改革の素案について、調整額を定める給特法の廃止を求め続けている現職教員らは訴えた。

「給特法の抜本改善は命の問題」などと訴える(左から)岐阜県立高教諭の西村祐二さん、東京都公立中主任教諭の五十嵐夕介さん、教員志望大学生の宇惠野珠美さん=19日、東京・霞が関の文部科学省で

「給特法の抜本改善は命の問題」などと訴える(左から)岐阜県立高教諭の西村祐二さん、東京都公立中主任教諭の五十嵐夕介さん、教員志望大学生の宇惠野珠美さん=19日、東京・霞が関の文部科学省で

 「調整額の増額は最悪の結末。残業が自発的ボランティアと見なされ、それを期待される。この給特法の枠組みが教師を苦しめ、死に追いやってきた」。岐阜県立高教員の西村祐二さん(45)は声を荒らげた。給特法の実態は「定額働かせ放題」だとして、実名で廃止を訴え、署名活動などを続けている。この日、給特法を考える「有志の会」メンバーと共に文部科学省内で会見。「お金が欲しいわけではない。残業を減らして」と繰り返した。

 都内の公立中学校主任教諭、五十嵐夕介さん(40)は、連日夜10時まで働き翌朝8時に出勤する働き方を続けた結果、適応障害の診断を受け、家庭が崩壊した苦い経験がある。「最近は、部活動などは改善したが、生徒指導や保護者対応などの忙しさは変わらない。声を上げなければ絶望のままだ」と訴えた。

 公立校教員を目指す大学4年生の宇恵野珠美さん(22)は、「私の学部には教職課程を履修している学生が100人以上いたが、教育実習に行ったのは20人、教員採用試験を受けるのは2人だけ。他は私立校などを目指している」と現状を話し、「今の就活生はワークライフバランスを非常に気にしている。教師という職業は魅力の低いものになっている。安心して教職を目指せる世の中になってほしい」と話した。


「学校を子どもファーストに」

2024年04月01日 | 教育・学校

岐阜 映画「夢みる校長先生」上映会

「しんぶん赤旗」2024年4月1日

 通知表や宿題、校則をなくし「子どもファースト」の学校をつくった公立小中学校長6人を紹介する映画「夢みる校長先生」上映会が29日に岐阜市で開かれ、2回の上映で計142人が視聴しました。主催はNPOなじみのふるさと。

 映画では、1956年に通知表を廃止し「通知表がない学校」として地域に受け入れられている長野県の伊那小学校を紹介。赴任した教師らは当初違和感をもっても「学校は子どもたちにとってこころゆく生活の場、詩境でなければならない」という学校理念の下、やりたいことに生き生きと取り組む子どもたちの姿に「価値観が変わり納得する」と語ります。

 各地で「子どもファーストの学校」へと変えた校長らは、口々に「校長になってみんなが元気になる学校、子どもが中心になれる学校をつくりたかった」と語り、ナレーションは「夢見る教師を支える保護者が必要」と語っています。

 映画の後の感想交流では「学校で毎日、生き生きした教師の姿を子どもたちに見せることの意味を感じた」「校長が学校を変えるというのは良し悪しがある。職員が話し合って決めたことを校長が中心になってやっていくのが本来ではないか」「校長会でこの映画を見てほしい」などの声がありました。


このような学校が増えていってほしいです。
夢見る教師を潰してしまう現行の「学校」では子どもたちが犠牲になってしまいます。
子どもも教師も「夢」を食べて生き、成長し続けるのです。

今日も雪が舞う一日。
一時は半端ない量でした。
でも気温はプラスだったので積もりはしなかったです。

経木(きょうぎ)に包まれたぱんじゅう、いただきました。
とてもなつかしかった。
木の香りがたまらない。
おいしかった。


教員長時間労働正せ 署名18万人

2024年03月21日 | 教育・学校

呼びかけ人・日本大学教授 広田照幸さん

「しんぶん赤旗」2024年3月21日

仕事増えても人員増えず

 深刻化する教員の長時間過密労働と「教員不足」。「このままでは学校がもたない」と教育研究者有志20人が呼びかけた「教員の長時間勤務に歯止めをかけ、豊かな教育の実現を求める」署名は18万2000人分を超えて集まりました。呼びかけ人の一人、日本大学の広田照幸教授(元日本教育学会会長)に聞きました。(高間史人)

 ―「学校がもたない」という状況がなぜ生まれたのでしょうか。

 文部科学省調査では小中学校の教員は平均1日3時間以上の時間外労働を強いられています。それだけ働かないと学校がまわらない状況なのです。

 教員の長時間労働はずっと問題になってきました。1960年代には人事院が労働基準法にもとづいて超勤手当を支給するべきだとし、文部省(当時)もいったんは残業代を予算につけました。ところが自民党から横やりが入って、71年の教員給与特別措置法(給特法)で公立学校の教員には残業代は支給せず、代わりに一律に給与の4%の「教職調整手当」を支給する仕組みになりました。

 4%というのは週2時間程度の残業があるという当時の調査を根拠にしたものでした。その後、学校の仕事はどんどん増えていきました。にもかかわらずこの50年、4%の固定した手当しか支給されず、残業に応じた支給がなされてこなかったわけです。

 教員の仕事が増えた理由は三つほどあると思います。

 80年代半ばぐらいから、「個性重視」がいわれ、個別の子どもにきちんと対応することや一人ひとりに考えさせたり、調べさせたりする指導など、生徒指導も学習指導もより高度化が求められました。一人ひとり丁寧に指導することは大切ですが、時間がかかります。それが教員の仕事の増加につながりました。

 二つ目に92年から段階的に学校5日制が導入され、2002年から完全に土曜日が休みになりました。そのため週6日間でやっていた仕事を5日間でやるようになった。忙しくなるのは当然です。

 三つ目は2000年代以降、プログラミング教育や小学校英語などが追加されたり、学校教育のICT化推進など、新しい指導内容が求められるようになり、学校がますます対応に追われることになりました。

 新しい指導法など子どもたちの学習を変えていくこと自体は、すべて悪いわけではありません。しかし、それをやるための条件整備、具体的には教員の数を増やすということが行われなかった。条件整備が進まない中で学校にたいする要求がふくらみ、教員が多忙になっていきました。

 その結果、個別の子どもに応じた指導が強調されてもできない。考えさせる授業をしたくてもできない。教育論は立派ですが、それに見合った余裕が教員にないから、改革も進まないのが現状です。

教員増 若い人が夢持てる目標を

 ―そうしたなかで教員のなり手がいないという事態も起こっていますね。

 学校は長時間勤務が慢性化している職場だということが知られるようになって、教育に夢を持って教員になりたいと思っていた若い人たちが避けるようになりました。これからの人生のことを考えると厳しいと思うようになりました。大学の教員養成課程や教育学部の学生が、学べば学ぶほど教員になる夢がしぼんでいく状況です。

 ―研究者有志で署名を呼びかけた思いは。

 学者がいくら教育論を語っても、よい教育を実現するためには学校の先生に余裕がなければなりません。この今一番の問題について研究者からものをいうべきだろうと考えました。これまであまり社会的な発信をしてこなかった研究者も含めて今回は呼びかけ人になりました。みなさん共通に強い危機感をもっていると思います。

 私たちの署名に大きな反響があったのは、それだけ現場が疲弊し、深刻になっているということだと思います。だから多くの人が協力してくれたのです。

 ―長時間労働や「教員不足」の解決策は。

 給特法の抜本的改正または廃止で教員に残業代を払うようにすることと、教員定数の基準を定めた義務標準法の改正で教員の数を増やすことです。

 教員を増やすことについては、研究者の間で議論する中で、1人当たりの授業の持ちコマ数を減らすことが論点として浮かんできました。筑波大学の浜田博文教授は、小学校の教員が平均週24コマ持っているのを17コマに減らす、中学校の教員は平均週18コマを15コマに減らすことで長時間勤務を解消する提案をしています。

 私がその提案にそって試算したところ、教員は約22万人増やさなければならず、年間約1兆5280億円かかります。かなりの額ですが、これからの日本の社会のためによい教育をするにはこれぐらいのお金の支出は必要ではないでしょうか。国民の中で財源も含めて議論して、合意を形成していく必要があると思います。

 自民党は教職調整手当を4%から10%に引き上げる提案をしていますが、それでは現場の忙しさは何も変わりません。教員に時間の余裕ができるようにすることが必要です。教員を増やさないとあらゆることが解決しません。

 文科省は、少しずつ積み上げて教員の数を増やそうとしていますが、それではいつまでたっても大幅な増加になりません。長時間勤務の問題を抜本的に解決するためにこれだけ必要だと目標を明確にして、段階的に増やしていく。いまはゴールが見えないから教員のなり手がいない。ゴールが見えれば若い人たちももう一度、教員になることに目を向けてくれるはずです。

 ひろた・てるゆき 1959年生まれ。専門は教育社会学。2015~21年、日本教育学会会長を務める。著書に『教育は何をなすべきか―能力・職業・市民』『教育改革のやめ方』など。


これからの国を創るのは子どもたち。
しっかりと予算をつけてほしいものだ。