岡山県教育委員会が不登校児童生徒の減少目標をかかげ「登校支援員」を配置しようとしていることなどについて、不登校を経験した当事者や親、支援活動をおこなっている方々と懇談しました。<会場(岡山市内で不登校の子どもや家庭を支援するフリースペース)には大勢の方々が集まってくれました>
自らが不登校経験をもち現在不登校生徒への訪問相談員をしているNさんは、「ひきこもっていた時期、スクールパートナー(相談員)の方が時々来て親や私と話をしてくれた。不登校を悪く言うことなく受け止めてくれ、時々学校の様子も教えてくれたが『無理しなくていい』と言われたことが救いだったと思う。もし『学校に来なさい』と言われていたら今の自分はなかったかもしれない。常に受け身で話を聞いてくれ、つらさを理解してくれる、うれしいことは一緒に喜んでくる、そんな支援が必要」と述べました。
不登校から一時期登校できるようになり、再度不登校になったのち「おかやま希望学園」(吉備中央町にあり、既存の学校になじみにくい子どもを受け入れている全寮制の学園)に居場所をみつけたというWさんの母親は、「どうして希望学園に決めたの、ってきいたら『家にも学校にも居場所がなかったから』って言われた。『今のままでいいんだよ』と伝えていても、できれば学校に行ってほしいと思うちょっとした親の気持ちも敏感に感じる、対応の難しさをあらためて感じた」と語り、その父親は「ありのままを認めてくれる居場所、心身ともに休める場所があり、親も子も苦しんでいることを理解してくれる人がまわりにいて、時間をかけてエネルギーをたくわえ元気になれるきっかけをつかむことができる。行政にはそのことを理解してほしい」と語りました。
別の親Hさんは、「不登校率の減少を目標にするということは、学校に行くことが当たり前、不登校は悪いことということ。そのような価値観で登校支援されたら、そうでなくても必死でSOSを発している子どもも親も精神的にますます追い詰められてしまう」と危機感をつのらせ「ちょっとした心ない言動で傷つけ場合によっては死に追いやってしまう『指導死』ということももっと理解してほしい」と述べました。
岡山市の「親の会」の世話をしているAさんは、「学校に行けない
子どもを否定的に見たり、学校に行くことを迫るのは絶対にやめてほしい。フリースクールなど学校以外の居場所を充実することや、経験者のアドバイスを受けながら親同士が相談しあえる場である『親の会』などへの支援をおこなってほしい」と語りました。
フリースペースの代表Tさんは、「開設から13年。開設当初は勉強を教えないといけないという思いでとりくんでいたが、そうでなく、子どもをゆっくり休ませてエネルギーをためこむ時期をゆっくり見守るのが大切なんだと感じている。そういう事情を考えず登校刺激を与えることは平穏な家庭をかき乱しさらに深い傷を負わせることになる。教育委員会は、『一番よかったのは暖かく見守ってくれたこと』と多くの親が言っていることを理解してほしい」と語りました。
(森脇談)
教育委員会は、学校に行きにくく感じている初期の時期に支援することが必要で、「登校支援員」には一定の研修を受けてもらった地域の児童委員さんなどに依頼すると説明しています。
今日の懇談を通じて、どの段階であっても、その子の思いによりそって支援することが大切だと言うことがよく理解できました。初期の段階では「学校に行かなくては」という思いと「でも行けない」という思いとが葛藤する苦しい時期です。多くの方たちは「『つらい時は行かなくってもいいんだよ』と言ってもらったことが救いになった」と語っていることを考えると、「休んではいけない」「学校に行きなさい」ということは、子どもや家族をさらに大きな苦痛にさらすことになります。
しかも、一定の研修を受けるとは言え、「不登校を減らす」目標を負わされた「登校支援員」が家庭に入ること、しかもその「支援員」が居住する地域の児童委員さんなどであると、そこに住めなくなる事態さえ起こりうるというと、言い過ぎでしょうか?
やっぱり、「行きたくない」と感じているときにはその思いをしっかり受け止め、あたたかく見守ってやる、その間に次へのステップのエネルギーをたくわえるのをじっくり待つことが必要ということだと思います。
教育委員会には、子どもが行きにくくなる原因を子どもや家庭に向けるのでなく、現在の学校や教育システムに問題がないのかを真剣に考えてほしいし、学校に行きにくくなっている、行けない子どもが学校外で教育を受けるシステムを確立してほしい。支援という点では、支援を求めている家庭や子ども、どこにも相談できず孤立してしまっている家庭や子どもに対して、その状況を認めた支援をおこなってほしい。
お忙しいなかのもかかわらず、懇談会にご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。
自らが不登校経験をもち現在不登校生徒への訪問相談員をしているNさんは、「ひきこもっていた時期、スクールパートナー(相談員)の方が時々来て親や私と話をしてくれた。不登校を悪く言うことなく受け止めてくれ、時々学校の様子も教えてくれたが『無理しなくていい』と言われたことが救いだったと思う。もし『学校に来なさい』と言われていたら今の自分はなかったかもしれない。常に受け身で話を聞いてくれ、つらさを理解してくれる、うれしいことは一緒に喜んでくる、そんな支援が必要」と述べました。
不登校から一時期登校できるようになり、再度不登校になったのち「おかやま希望学園」(吉備中央町にあり、既存の学校になじみにくい子どもを受け入れている全寮制の学園)に居場所をみつけたというWさんの母親は、「どうして希望学園に決めたの、ってきいたら『家にも学校にも居場所がなかったから』って言われた。『今のままでいいんだよ』と伝えていても、できれば学校に行ってほしいと思うちょっとした親の気持ちも敏感に感じる、対応の難しさをあらためて感じた」と語り、その父親は「ありのままを認めてくれる居場所、心身ともに休める場所があり、親も子も苦しんでいることを理解してくれる人がまわりにいて、時間をかけてエネルギーをたくわえ元気になれるきっかけをつかむことができる。行政にはそのことを理解してほしい」と語りました。
別の親Hさんは、「不登校率の減少を目標にするということは、学校に行くことが当たり前、不登校は悪いことということ。そのような価値観で登校支援されたら、そうでなくても必死でSOSを発している子どもも親も精神的にますます追い詰められてしまう」と危機感をつのらせ「ちょっとした心ない言動で傷つけ場合によっては死に追いやってしまう『指導死』ということももっと理解してほしい」と述べました。
岡山市の「親の会」の世話をしているAさんは、「学校に行けない
子どもを否定的に見たり、学校に行くことを迫るのは絶対にやめてほしい。フリースクールなど学校以外の居場所を充実することや、経験者のアドバイスを受けながら親同士が相談しあえる場である『親の会』などへの支援をおこなってほしい」と語りました。
フリースペースの代表Tさんは、「開設から13年。開設当初は勉強を教えないといけないという思いでとりくんでいたが、そうでなく、子どもをゆっくり休ませてエネルギーをためこむ時期をゆっくり見守るのが大切なんだと感じている。そういう事情を考えず登校刺激を与えることは平穏な家庭をかき乱しさらに深い傷を負わせることになる。教育委員会は、『一番よかったのは暖かく見守ってくれたこと』と多くの親が言っていることを理解してほしい」と語りました。
(森脇談)
教育委員会は、学校に行きにくく感じている初期の時期に支援することが必要で、「登校支援員」には一定の研修を受けてもらった地域の児童委員さんなどに依頼すると説明しています。
今日の懇談を通じて、どの段階であっても、その子の思いによりそって支援することが大切だと言うことがよく理解できました。初期の段階では「学校に行かなくては」という思いと「でも行けない」という思いとが葛藤する苦しい時期です。多くの方たちは「『つらい時は行かなくってもいいんだよ』と言ってもらったことが救いになった」と語っていることを考えると、「休んではいけない」「学校に行きなさい」ということは、子どもや家族をさらに大きな苦痛にさらすことになります。
しかも、一定の研修を受けるとは言え、「不登校を減らす」目標を負わされた「登校支援員」が家庭に入ること、しかもその「支援員」が居住する地域の児童委員さんなどであると、そこに住めなくなる事態さえ起こりうるというと、言い過ぎでしょうか?
やっぱり、「行きたくない」と感じているときにはその思いをしっかり受け止め、あたたかく見守ってやる、その間に次へのステップのエネルギーをたくわえるのをじっくり待つことが必要ということだと思います。
教育委員会には、子どもが行きにくくなる原因を子どもや家庭に向けるのでなく、現在の学校や教育システムに問題がないのかを真剣に考えてほしいし、学校に行きにくくなっている、行けない子どもが学校外で教育を受けるシステムを確立してほしい。支援という点では、支援を求めている家庭や子ども、どこにも相談できず孤立してしまっている家庭や子どもに対して、その状況を認めた支援をおこなってほしい。
お忙しいなかのもかかわらず、懇談会にご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。