岡山県議会では2月議会で「家庭教育応援」という条例が強行されようとしています。自民党県議団が文教委員会に提案し、パブリックコメントを実施するなど、この間議論がおこなわれてきました。
条例では、「家庭教育はすべての教育の出発点」であり「愛情や絆、家族のふれあい等で・・・」「知・徳・体の調和のとれた人格を形成する」とされ、そのための努力義務を親や保護者や教育・保育機関に求めるものとされています。とりわけ、親の責任が強調され、それを親が自覚することまで求めています。このような条文に違和感を覚えるのは私だけではないと思います。本来、家庭教育というのは、多様性と自主性が尊重され、条例などで押し付けられるものではないはずだからです。
県議会棟前では条例に反対するスタンディングが、議会の常任委員会が開催される日の朝、毎回おこなわれており私も参加しています。参加者らは、「いらないよ! 家庭教育応援条例」のプラカードを持ち、議会棟に入る議員らに「条例はやめてください!」と呼びかけました。参加した一人ひとりが一生懸命訴えている姿に胸が熱くなると同時に、私自身、議場での議論に参加できないことにあらためて悔しく思いました。
特定の「子育て像」「家族像」の押し付けは、親や家族を追いつめ、苦しめることになります。今、政治が行うべきことは、子育てしやすい労働環境への改善、保育制度などの充実、賃金引き上げ、子育て・教育にかかる父母負担の軽減、悩み事が気軽に相談できる窓口など、子育て支援環境の充実です。
条例では、「家庭教育はすべての教育の出発点」であり「愛情や絆、家族のふれあい等で・・・」「知・徳・体の調和のとれた人格を形成する」とされ、そのための努力義務を親や保護者や教育・保育機関に求めるものとされています。とりわけ、親の責任が強調され、それを親が自覚することまで求めています。このような条文に違和感を覚えるのは私だけではないと思います。本来、家庭教育というのは、多様性と自主性が尊重され、条例などで押し付けられるものではないはずだからです。
県議会棟前では条例に反対するスタンディングが、議会の常任委員会が開催される日の朝、毎回おこなわれており私も参加しています。参加者らは、「いらないよ! 家庭教育応援条例」のプラカードを持ち、議会棟に入る議員らに「条例はやめてください!」と呼びかけました。参加した一人ひとりが一生懸命訴えている姿に胸が熱くなると同時に、私自身、議場での議論に参加できないことにあらためて悔しく思いました。
特定の「子育て像」「家族像」の押し付けは、親や家族を追いつめ、苦しめることになります。今、政治が行うべきことは、子育てしやすい労働環境への改善、保育制度などの充実、賃金引き上げ、子育て・教育にかかる父母負担の軽減、悩み事が気軽に相談できる窓口など、子育て支援環境の充実です。