障害者自立支援法では、これまで別々の体系で実施されていた精神、身体、知的の各障害者施策が統一して実施されることになりました。このこと自体は関係者の方々が望んでいたことでもあり、評価できます。
しかし、「自立」の名で、「応益負担」として原則1割の自己負担が導入されることになりました。これまで精神障害者は通院で5%の自己負担、身体障害者、知的障害者は、障害に関係する治療(更生医療)は無料、岡山県の補助制度によって、その他の医療も無料でした。しかし、昨年10月から、すべて原則1割負担となったわけです。「制度を利用する人と、利用しない人との『公平性』を確保するために、受益者には一定の負担をしてもらう」と県の担当者は説明しました。これって平等でしょうか?
障害をもった人々は、そのために補そう具が必要であったり、何らかの治療を受けなければならなかったりするわけです。当然これらはその人個人の責任によるものではないわけですから、このような負担は社会全体でまかない、障害があっても同年齢の市民と同等の生活が保障されるように、同じ権利が保障されるようにしようというのがノーマライゼーションの考えです。障害に起因する福祉制度利用や治療に自己負担を導入することは、明らかにノーマライゼーションに反しています。 障害者の分野に限らず、様々な場面で繰り広げられるこのような間違った「平等」論、「自己責任」論を、打ち破る必要性を強く感じます。
しかし、「自立」の名で、「応益負担」として原則1割の自己負担が導入されることになりました。これまで精神障害者は通院で5%の自己負担、身体障害者、知的障害者は、障害に関係する治療(更生医療)は無料、岡山県の補助制度によって、その他の医療も無料でした。しかし、昨年10月から、すべて原則1割負担となったわけです。「制度を利用する人と、利用しない人との『公平性』を確保するために、受益者には一定の負担をしてもらう」と県の担当者は説明しました。これって平等でしょうか?
障害をもった人々は、そのために補そう具が必要であったり、何らかの治療を受けなければならなかったりするわけです。当然これらはその人個人の責任によるものではないわけですから、このような負担は社会全体でまかない、障害があっても同年齢の市民と同等の生活が保障されるように、同じ権利が保障されるようにしようというのがノーマライゼーションの考えです。障害に起因する福祉制度利用や治療に自己負担を導入することは、明らかにノーマライゼーションに反しています。 障害者の分野に限らず、様々な場面で繰り広げられるこのような間違った「平等」論、「自己責任」論を、打ち破る必要性を強く感じます。