5年前の随筆を読むと、上海に風邪引きのまま出かけた主人のことを案じている話題をお話していました。
人生を気力で押してきた人ですからめったに愚痴やマイナス言葉は言わない人なのですが、出発前の様子がちょっと気がかりだったのです。
大陸は空気が乾燥しているから彼も不安だったのでしょう~
張りのある元気な声を聞けてほっとしているってことを話していました。
彼との電話の思い出は私が調布、彼が奈良という頃に始まりました。
昭和40年卒でしたので、電話代と新幹線代に給料は毎月消えていました。
商社に勤めていたので東京に出張というのがあり、領事館のもめごとなど何時もクリアしてくるので彼が専門のように来ていたように思います。
彼は10年ごとの周期で体調が崩れまた持ち直すのですが、昭和55年が今までで最悪でした。
奇跡的に乗り切り、その頃から電話連絡が再開しました。
車での移動がふえてきたので、自分の居場所を知らせておきたかったのでしょう。
自動車電話が普及し始めたころに、いち早く取り付けました。
彼には必需品だったのです。
確かに命拾いしたのも、この自動車電話のお蔭でした。
長男が結婚していた頃だから、15年くらい前のことです。
土曜日の夕方、これから高速に乗って家に帰るから・・・という自動車電話がありました。
いつもなら30分ほどでインターをおりたという連絡が入るのにかかってきません。
家まで二十分ほどだし、今日は直接帰ってくるのだと勝手に解釈していたのです。
雨の夜でした。
7時を過ぎても連絡がないので、車に電話をかけてみました。
高速道路の待避場所に止まっているということでした。
運転の距離感がつかめないので、車の流れが少なくなるまで、ここにいるといいます。
土曜日でしたので昼食を食べ損ない空腹が原因のようですが、尿意ばかりで脱水が気になります。
8時半にどう?と様子を聞いても動けないようです。
今里を過ぎたあたりというのですが、どこに連絡して助けてもらったら良いのか分かりません。
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高速道路の途中ですからね~
救急車を呼ぶと主人の車はどうすればいいのかなあと考えました。
通勤では私も運転しているけど、高速道路にはまったく縁がないし走れないので困ってしまいました。
新婚で別居していた息子に電話したのが10時前でした。
わけを話し嫁さんは高速道路の経験があるのかと聞いてみると、
「大丈夫!暴走族の腕前やで~」とのこと。
主人の救出がやっと始まり、家に帰ってきた時には日付が変わっていました。
肝臓疾患なので身体のだるさは日常のことです。
私は簡単に疲れたとか、安易にしんどいとか言ってしまうのですが、彼は口に出しません。
言葉に出してしまうと、おしまいと思っているようです。
いつもぎりぎりのところで頑張っているのだと思いました。
子供が小さい時に「三人の息子には、どこで倒れても父さんは頑張っていたということを示したい」と私に良く言っていました。
その通りを今も貫いています。
私は母の介護に専念している立場ですから奈良のことは一切彼にお任せですし、また彼もそれを守ってくれています。
3人の息子がぴったりと父に寄り添い助けてくれているようで安心しています。
あれほど電話連絡を毎日朝夕取り合っていたのが嘘のような日々ですが、これもよけいな心配はさせないという意志の表れなんだと思います。
たいへんな苦労を彼一人に押し付けていると思いすまなく思っています。
電話も、「嫁はんは死んだと思っている~」そうです。
そんな主人のことをしっかりお守りくださいね、お父さん!!
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