すごいことですよね
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我が家のギネスブック級ですからね~
80歳くらいまでは妹のいる大阪や川崎まで一人で出かけて行っていました。
その頃にパスポートを作り、妹の家族とハワイ旅行もしてきたのですよ。
とっても前向きの人ですから、いろんなことに挑戦できる人ですよねえ~
4番目の妹が娘を連れて夏休みに来た時に阿蘇で一泊してゆっくり遊んできたらしく、思い出のアルバムを見せてもらって大笑いしたことがありました。
阿蘇のどこに遊覧飛行の場所が在るのかも私は知らないのですが、母はサングラスをかけて手の指にはピンクのマニキュアを塗ってもらい、すまし顔で大空を飛んでいたのです
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一生に一度の良い思い出です~
何をするのよ~とおもちゃにされているようで怒りたくなりましたが、私にはまねの出来ない形の親孝行ですから、大笑いで済ませましたけれど~
今でも「良いお天気ねえ~」と話を振ってくるときは、「ドライブに行きますか~」というと、すぐにその気になってしまえる人なんですよ~
どこにも病気がないということが楽しい気分にさせてくれているのでしょうね~
こんな年の取りかたをまねて見たいと思っています
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若いときから何にでも積極的な人で、書道、詩吟はプロの腕前。
手先の器用さも抜群で、たくさんの折り紙の作品を伝授してもらって私の仕事に役立てさせてもらいました。
公民館活動で詩吟を教えてあげたり、小学校の触れ合い教室で折り紙の指導をしたり~
たくさんの仲間に恵まれていました。
平成3年にお父さんが亡くなってから、独居になったので3番目の妹は大阪のマンションに連れて帰りました。
妹は親子3人の核家族なので共働きの家庭には、「お帰り」というおばあちゃんの存在が息子には必要だからと説得して大阪に連れて行ったのです。
一月くらい経つと、
「ヒロちゃん、ここには娘家族の生活はあるけど、私の生活がないから大分へ帰るね~」と、さっさと帰ってしまいました。
なによりも友達を優先しました。
私たちもその気持ちを尊重して「娘の方から親元に足を運ぼうね」と申し合わせて今に至っています。
私たち夫婦は母に大きな恩を感じています。
40年前の結婚の話のまとまらない時、どうしたものかと悩んで決め兼ねている時に皆が寝静まった夜中にそっと、「ヒロちゃん、起きているね~?」と起こして話してくれました。
母の思い出話です。
初恋の人のことでした。
秘めた愛を抱き続けて母は生きてきたのでした。
「選ぶのはあんたやで~!
母さんは悔いのない道を選んでほしい。
お父さんは誠実で優しい人で何の文句もないけど、3日で終わっても悔いの残らない人と思うのなら、母さんは賛成するよ!」
迷い苦しんでいる娘にだけ明かした母の真実でした。
愛媛県の母のふるさとから句集が何冊か届いていたのは知っていました。
弟の担任の先生だったと聞いています。
もう70年前の話で、とっくに時効です。
母の宝物の句集はきっとどこかに保管してあるはずですが、母にはもう思い出せないはずです。
7歳違いの母は従順な物静かな古風な妻だった事でしょう。
激しい情熱に生きる道を選んでよいという後押しをしてくれた母が、私の今を一番喜んでくれていると思うのです。
私の幸せに免じて許してあげて下さいね、お父さん。