も~さんブログ

日常の出来事や旅日記を書いています。

11月25日 朝の気温が0度になった

2020-11-25 15:18:20 | 歴史
いよいよ冬の到来が近い。
朝5時半の気温が0度になった。
気合いをいれて起きる。
薪ストーブは直ぐに部屋を暖かくしてくれる。
まず第一の仕事はタイヤ交換だ。
毎年の事なのであっという間に終わる。スノーブレードも冬用に変えた。

終わったところで実家に行く。
廃材の処理を頼まれた。
トランク一杯に廃材の木を積んで自遊旅近くの燃えるゴミ処理場に行って処理。

自遊旅に戻って煙突掃除。
何時もは真っ黒な煤が一杯詰まっている。
しかし今回は本当に少しの灰が有っただけだ。
思い当たるのは東京から来た故人の長男が薪ストーブが珍しくてどんどん燃やした。
何時も半袖でも汗をかいていた。
完全燃焼していたので煤が着かなかったと推定。
これからは一度完全燃焼させてからの、追加の薪を投入していこう。
くすぶらせないのが良い様に思う。

空ペットボトルの整理。
故人の物置に相当入っていた。
何で捨てないんだと叫びたくなる。
蓋はプラなので別に集め、ラベルは剥がさないといけない。
90リットルのビニール袋で3つ分有った。

実家に行ったとき孫の小学校6年生のサンダルがもう小さいので捨てるという。
履いてみたらピッタリだ。
身長も後2cmに迫っている。
今年は何とか頑張ろう。

夕食はばばカレイの煮付けとじゃがいもとツナの合わせ煮でした。

11月23日 故人の長男が帰る

2020-11-23 17:26:53 | 歴史
いよいよ故人の長男が新幹線で帰る事になった。
3件の処理事項があるが、私が手続きをする事になった。
遠方からの手続きは難しいので、そうなったのだが仕方がない。
早く終わらせて自分の生活リズムに戻したい。
見送りに妻と妻の妹、それに娘、孫の長男が来た。
孫は予定していた新幹線での修学旅行が無くなったので、入場券でホームまで行って満足して帰ってきた。

予定時間通り新幹線は発車した。
その後孫と西桔梗温泉に行く。
疲れがドット出た。
自遊旅に戻って鍋にした。



11月15日 納骨祭が無事終了

2020-11-15 13:08:26 | 歴史
13日から行っていた葬儀も今日の納骨祭で全て終了する。
8時半に三島神社を出た。
祭壇に飾った供物も宮司さんが皆持っていって良いと言うことで頂いてきた。
昨日野菜を持ち帰った人もいたので、残ったリンゴ、バナナ、カステラ、米、大根、スルメ、昆布、クロソイ等大量に頂いた。
墓の前で納骨祭。
天気は快晴で良かった。
墓に花を飾ろうとおばさん二人(妻と妹)花差しに差していたら、孫の高校生の娘が列の後ろから、墓に急ぎ足で行った。
どうやら花の生け方が下手だと出てきたのだろう。
高校では華道部に居るので、手慣れたものだ。
おばさん二人は出る場もなく、お手伝いに一人が残って、孫が飾り終えた。
正式に習っている人の生けたのは、今まで一番良い感じのものだった。
流石である。

少し冷たい風が吹くなか納骨祭は無事終了した。
最後に納骨するが、下の孫が上手く箸で骨を掴めるのか?
お母さんも心配で見に行ったが、上手に出来たようである。

終わって故人の長男と自遊旅に戻る。
明日から個人が住んでいた部屋の不用品の廃棄。
これが一番大変だ。
それとまだ残っている手続き。
来てくれた方へのお礼回り。
夕方頂いた黒ソイを捌いて刺身にした。



11月14日 葬儀2日目

2020-11-15 05:40:21 | 歴史
午前9時から出棺。
葬儀会場が2階なので下に降ろすのは大変な作業だ。
大人6人でようやく階段から下ろした。
七飯町の火葬場に行きここで火葬祭を執り行い、1時間半掛かって火葬される。
その後、骨を拾い骨箱に皆で納める。
係りの人が骨の部位を教えてくれる。
小さな骨まで何処の部位か知っているには驚く。
神社に戻って夕方まで時間があるので、それぞれが用をたすのに家に戻ったりする。
私はドンキホーテに行って、修理に出していたIH調理器を取りに行く。
旅に出て直ぐに直ったとの連絡があったので1ヶ月も預かっておいた。
使い方として、コンセントに単独で繋いだ方が良いと言う。
複数コンセントに繋ぐと電力低下で壊れる事もあると言う。
今回は中の基盤を全て新しいものに変えたそうだ。
午後6時から予定していた通夜祭、告別祭、帰家際は参加者が揃ったので1時間早く行うことにした。
遠方から来ている方もいたので嬉しい配慮だった。
終わった後会食会を開いて故人を偲んだ。






11月13日 義理の弟死す

2020-11-14 05:10:01 | 歴史
昨夜遅く自遊旅に着いて、薪ストーブで暖を取ってから寝た。
朝起きてキャンプ道具の整理や洗濯をしていたら、妻から義理の弟の容態が急変したので病院に向かっているとの連絡が入った。
急いで車まで駆けつけたが目をおとしてしまっていた。
1ヶ月前から肺癌のステージ4を言われていたので覚悟は出来ていたが、いざその時になると悲しいものだ。
享年72才だった。
それからは葬儀の準備になり、葬儀は三島神社で執り行う事になった。
葬儀屋さんの車で神社まで遺体を運び、火葬許可を申請するのに本籍や現住所等必要だが、普段付き合いが少ないので中々分からない。
個人の持ち物等から現住所は分かったが、本籍が中々分からず苦労したが、ようやく見つけ出しほっとする。
亡くなった本人の居住地は八雲だが、他の地域で火葬すると3倍の費用がかかる。
午後2時半から納棺祭、3時から納棺が行われた。
送り人により綺麗に化粧され、穏やかな顔で納棺された。
夕方には長男も東京から駆けつけた。
葬儀は15日まで行われる。