貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・特別編

2022年11月15日 | 貧者の一灯

 















2019年7月18日に起きた、京都アニメーション
放火事件。死亡者36名、負傷者34名を出した
戦後稀に見る凶悪な事件から、今日で丸3年が
経つが、今なお公判すら始まっていない。



  


畳の部屋が血だらけに  

高校卒業後、青葉は定職には就かず、
コンビニでアルバイトを始めた。

人生で最大のターニングポイントとなる事件が
起きたのは、1999年12月、埼玉県春日部市内
でひとり暮らしをしていた頃である。

前出の初老の男性が語る。

「うちの2階から青葉家の部屋が見えるんですよ。
畳の部屋が血だらけになってたから、首つりとか、
そういうのじゃないね」  

方法はわからないまでも、父親がさいたま市
緑区のアパートで自ら命を絶ったのだ。

そして、実父の自殺は一家の崩壊を招く。

自宅近くの公園の隅で青葉の妹が、暗澹たる
思いに苛まれながら猫に餌をあげている姿が
近隣住民に、頻繁に目撃されていた。

「本当によく見かけるものだから、『優しいのね』
って声をかけたら、

『私のことなんて誰もわかってくれない』って
言うんですよ。なんか危機迫っているというか、
そんな感じで」  

なぜ父親は自殺したのか。息子と娘を残して
ひとりでこの世を去る。なぜそんな選択をしたのか。

「タクシーで事故を起こしてから、お父さんの
やる気がさ、生きていく気力がなくなっちゃったん
じゃないの」  前出の初老の男性は推測する。

彼が言うように、父親は事故を契機に奔放の
域を超えてしまったのである。

勝手なまでに彼だけがラクになる道を
選んだのかもしれない。

「葬儀は寂しいものでした。このへんの葬儀は、
親戚とか隣近所のお手伝いもいただいて
粛々と執り行われるんですが、そういった方
たちもいなくて」  葬式をあげた住職は言った。

喪主は、青葉ではなく離れ離れになっていた
長男で、青葉や妹の姿は記憶にないという。

また葬儀には親戚も現れず。おそらく長男や、
前妻を頼ることもできなかったか、頼るも門前
払いされたのだろう。

自殺は、拠り所をなくした果てのことのようだ。

父親に続き、妹までも…  


父親の死後、アパートの家賃は滞納され続け、
同居していた妹は人知れず姿を消す。

近隣住民によれば、以前はバイト先である
近くの弁当屋に向かう姿を「よく見かけた」という。  

弁当屋を頼りに消息をたどると、前アパート
から車で5分ほど走った場所に妹は引っ越し
ていた。錆びついたトタンのボロ屋が並ぶ
一区画。貧民窟だ。

人の気配はなく、呼び鈴を押しても応答はない。
室外機の上に古びた地方紙が重なり、家の
周りはゴミだらけである。

真裏に住む女性は言う。

「16年前くらいに住みはじめたみたい。付き
合いはほとんどありませんでした。

で、そういえば姿が見えないなって。いつ出て
いったのかもわかりません。みんな置いたままで。
夜逃げみたいな感じです」

「その後、誰か他の人が住まれたんですか?」
「そのままになっています。大家さんも勝手に
片づけたり、処分できませんからね」

「妹さんの消息はご存じですか?」
「……実は妹さんも自殺したんですよ」

父親の死から5年後の2004年、事もあろうに
妹までもが自ら命を絶っていた。

僕は、ある人から彼女が暮らしていた部屋を
撮影した写真を見せてもらった。

そこに写っていたのは、家具や家電はそのまま、
足の踏み場もないほどにゴミが散乱する様子
である。

父親の後を追うように自死した妹の内側には、
どんな心的情景が広がっていたのか。部屋が
惨状を呈していたことから、精神がひどく蝕まれ
ていたに違いない。

わずか5年の間に2人の肉親を失い、天涯孤独
に陥った青葉は、ついに自暴自棄とも言うべき
行動に出る。

妹の自殺から2年後の2006年9月、春日部市内
で女性の下着を盗み逮捕されたのだ。

このときは執行猶予付きの判決が下されたが、
6年後の2012年6月には、茨城県坂東市内の
コンビニエンスストアに包丁を持って押し入り、
現金2万円を強奪。

強盗及び銃刀法違反の疑いで逮捕され、
懲役3年6月の実刑判決を受ける。  

青葉はこの頃、茨城県内の雇用促進住宅
に住んでいた。警察立ち合いのもとで部屋
に入った管理人によれば、妹の住まい同様、
彼の部屋もゴミ屋敷と化していたそうだ。

強盗事件については「仕事上で理不尽な
扱いを受けるなどして、社会で暮らしていく
ことに嫌気が差した」と供述。

服役中は刑務官に繰り返し暴言を吐いたり、
騒いだりして、精神疾患と診断されている。

2016年1月に出所したあと、生活保護を受給
しながら、さいたま市のアパートで暮らしていたが、
音楽を大音量で流すなどの奇行が目立ち、
住民とトラブルになっていた。

事件直前の夜に青葉が発した「黙れ!うるせえ、
殺すぞ。こっち、失うもんねえから!」という言葉
が思い出される。

その後、薬物療法を受け一時期はさいたま市
浦和区にある更生保護施設にいたが、敷かれた
レールに乗れば更生するとは限らない。

いや、むしろ己の人生は両親や社会からの
リンチだと悟ったのか、憎悪の火に油を注いだ
だけだった。

凶行の日は、出所から3年半が過ぎた2019年
7月18日のことだった。

数週間前には、事件現場に持ち込まれた包丁
6本をさいたま市内の量販店で、前日午前には
ホームセンターでガソリン携行缶や台車を購入
し犯行に及ぶ。

ガソリンを撒き、ライターで火をつけ、京都
アニメーションの第1スタジオは炎の海と化した。  

青葉は自身の衣服にも引火した状態で逃走
したが、現場から南へ100メートル離れた路上
で火災被害から逃れた2人の男性社員に
取り押さえられる。

ほどなく駆けつけた京都府伏見警察署員が
身柄を確保し、病院へと搬送。

危篤状態にありながらも奇跡的に快方に
向かったことで2020年5月27日、殺人・殺人
未遂・現住建造物等放火・建造物侵入・銃刀法
違反で逮捕となった。

建物は全焼。死亡者36人。負傷者35人。
殺人事件では戦後最多の死者数を出しながら、
奇しくも当の青葉だけは生き残っている。

青葉の半生を綴ったユーチューブ動画を
公開すると、青葉をよく知る男性から連絡
があり、僕はさらなる負の連鎖を知らされる
ことになる。

「実は青葉の兄も自殺しているんです。
5人家族のうち父、兄、妹が自死を選び、
母親は離婚後に別家庭を持ったため疎遠に。
そのことをどうしても伝えたかったのです」
社会のセーフティネットを見直す一助になれば
と…  

2020年12月16日、青葉は前述の5つの罪で
京都地検より起訴される。

犯行動機などについては、身柄を確保された
際に「俺の作品をパクりやがったんだ!」と
声高に叫んだことからして、

京都アニメーションに大きな憎悪を抱いていた
ことは明らかだろう。

実際、青葉は京アニ主催の『京都アニメーション
大賞』へ小説を応募していた。だが同社は、
彼の小説は形式的な一次審査で落選していた
と説明し、

そのうえで「盗用の余地はなかった」と反論する。

青葉をよく知る男性は言う。 「もちろん青葉の
起こした事件は許されることではないけれど、
青葉という人物がなぜ生まれたのか正しく
伝えてほしいんです」  

犯行動機を京アニへの逆恨みだけとし、凶悪犯
の半生を知ることなど無意味で空虚なこととは、
僕も思わない。

社会のセーフティネットを見直す一助になれば
と期待する。だから書いた。できるだけ余さず
青葉を、一家を記した。

青葉は裁判で何を語るのか。

通常より刑期が重くなることが多い裁判員
裁判が決まった初公判が始まるのは、
まだ先のことだ。 ……。

author:YouTubeチャンネル「日影のこえ」











土曜日の朝。部屋で寝ていた少女は、枕元に
人の気配を感じて、目を覚ます。

「あ、ママ」
ベッドの脇に立っていたのは、少女の母親。

起きたばかりの娘に、母親がつぶやく。
「ゴメン、ママもう無理。一緒に死のう・・・」

そして娘の胸に、握りしめた包丁を振り下ろした

2021年4月、東京都内で起きた殺人未遂事件。
40代の母親が無理心中を図り、高校生の長女
と大学生の長男を刺し殺そうとしたとして、逮捕
・起訴されました。

捜査当局によると、犯行に使われたのは、
刃渡り20センチの刺身包丁。複数回刺
されたという

長女は、左胸の傷の深さが刃渡りと同じ
20センチにも達し、傷口からは呼吸する
たびに血が吹き出たといいます。

妹の悲鳴を聞いて駆けつけた長男も、
母親に胸をひと突きされました。

長男は胸に刺さった包丁と母親の手をつかん
で包丁を引き抜き、母親を屋外へと押し出して、
警察と消防に通報。

母親は駆けつけた警察官によって確保され、
2人の子どもは病院へと救急搬送されました。

突き刺した刃がわずかに心臓や肺を逸れて
いたことから、長女は奇跡的に一命を取り
とめたものの、全治1か月の重傷を負い、

長男も右の肺が傷つくなど全治11日の
大けがをしました。

なぜ、母親は子どもを殺そうとしたのか…

2021年11月4日。東京地方裁判所で行われた、
裁判員裁判の初公判。

母親の弁護人が「事実関係はいずれも争わない」
と、自身の罪について認めたのです。

そして、事件のきっかけとなったある事実が
明らかになりました。

「被告人の夫は事件の直前、4月18日に突然
亡くなりました。新型コロナウイルスによる
肺炎でした」

「その後、被告人も長女も新型コロナに感染し、
長男も感染しました。

1家4人全員が、新型コロナに感染したのです。

今回の事件はこのことが、動機につながって
います」

黒のス-ツを着た、肩にかかるくらいの髪の
長さの、細身の女性。刺身包丁を子どもの
胸に突き刺すようには、到底見えませんでした。

コロナで夫を失い、自らも感染したことが、なぜ
事件につながったのか…

証言台に立った母親の口から、少しずつ経緯
が語られていきます。

弁護人「夫の死後、あなたも新型コロナに
感染したのですか」

母親「夫が亡くなった翌日に死因がコロナだった
と判明して、私と娘は体調が良くなかったので
すぐに病院に行き、それで感染したことが
分かりました」

弁護人「入院はしなかったのですか」
母親「保健所から自宅療養するようにと言われました」
弁護人「コロナ感染が分かってからの体調は」
母親「倦怠感と発熱で、とにかくだるかったです」
弁護人「自殺を思いついたのはいつごろですか」
母親「1人でぼ-っとしているときに、しんどい、
   死にたいと」

弁護人「それは、どうしてですか」
母親「夫が、心の支えが急に亡くなり、・さみしくて」
弁護人「あなたにとって夫はどんな存在だった
   のですか」

母親「とても家族思いで、仲良く過ごしていて、
   いつもどっしり構えて。歳も6つ上で頼り
   がいがあって、いつも正しい決断をする、
   心の支えでした」

コロナに感染し体が弱るなか、夫を失った悲しみで、
将来を悲観するようになった母親。追い打ちを
かけるように、ある問題がふりかかります。

弁護人「家計や預貯金の管理は夫に任せきり
だったのですか」

母親「はい。結婚後からずっとそうでした。
夫の死後、大量の事務処理があり、それまで
家計に関わっていなかったから、書類の場所
などを全く把握していなくて、パニックに
なってしまって」

弁護人「将来の不安があったのですか」
母親「ありました。家計を把握していなかったので、
貯金がないと思って、収入も一切なくなると思って、
やっていけないと」

弁護人「誰かに相談しましたか」
母親「いいえ、相談しても結局自分でやらないと、
と思っていました」

“心の支え”だった夫を亡くし、コロナにも感染し、
心身ともにギリギリの状態のところに慣れない
事務手続きがふりかかって、張り詰めていた
糸が切れてしまった母親。そして…

弁護人「自殺するしかないと強く決意したのは
いつですか」
母親「当日の朝、7時半くらいです」

弁護人「2人の子どもを道連れにしようと思った
のは、いつですか」
母親「死にたいと思ったとき、子どもを残したら、
自分でも分からない大量の事務手続きで私以上
に苦労すると思い、苦労をかけたくないと思って、
道連れにしようと思いました」

弁護人「あなたにとってお子さんは、どういう
存在ですか」
母親「・・・小さいときから大切に育ててきた、
かけがえのない存在でした」

弁護人「お子さんが憎いという感情は」
母親「全くありません」

弁護人「自分が守っていこうという気持ちは」
母親「もう無理、と思ってしまいました」

直面した困難に絶望して自殺を考え、その困難
を子ども達に背負わせたくないとして子どもを
殺そうとした。母親はそう主張したのです。

弁護人「娘さんが助かったと聞いたときは、
どう思いましたか?」
母親「よかったと、生きていてくれてありがとう
と思いました」

弁護人「事件当時のことを振り返ってどう
思いますか?」
母親「異常だったと思います。周りが全く見えて
いませんでした」

弁護人「今回の事件を起こしてしまった自分
のことをいま、どう考えていますか?」
母親「私は人に頼りきりの生活をしていました。
今後は強くなって、子どもに尽くしていきたい
と思います」

罪を認め、深く反省している、子どもに対して
償いたいと話す母親。その子どもたち自身の
心情も、裁判のなかで読み上げられました。

長女の検察調書から

『母は明るい性格ですが、人に頼りきりで、
何不自由ない生活を送っていました。
父の死で、1人で全てやらなければいけない
状況に追い込まれました。冷静に対処する
能力がなかったのだと思います。刑務所には
入ってほしくありません』

長男の弁護側提出書面から

『母は私たちに愛情を注いでくれた。
いつも優しく気遣ってくれて、今でも大好きです。
母には早く戻ってきて欲しいです』

裁判長は…

母親が罪を認めているため、今回の裁判の
焦点は「量刑」どの程度の罰が必要か、という
判断でした。

母親の弁護側は、有罪でも一定の期間は刑を
猶予される「執行猶予」付きの判決を求め、
母親が真摯に反省し、更正に向けた努力を
続けていること、子ども達も刑罰を望んでいない
ことを訴え続けます。

判決を下すのは、3人の裁判官と、6人の
裁判員たち。その中心となる神田大介裁判長が、
この日の最後に、母親に問いかけました。

裁判長「あなたは子どもに手紙を出したと言い
ましたね。手紙は届いたの?」

母親「手紙には私はこんな気持ちだったという
ことを書きました。事件のことには触れずに、
私がこういう気持ちだったということと、
ごめんなさいと、お母さんしっかり頑張るよと」

突然、裁判長の表情と語り口が厳しさを
帯びました。

裁判長「こんな気持ちだったというのは、言い訳
    じゃないですか」
母親「・・・そうですね」
裁判長「あなたは決して許されない、最悪の
  選択をしたんです。それは分かりますよね?」
母親「・・・はい」

裁判長「あなたは事件のとき苦しかったと思うよ。
でもこれから先、3人の暮らしに戻っても、子ども
たちとわだかまりのない関係になることは、ないと
思う。これからのあなたは、事件の時より、もっと
大変だと思う。事件の時よりも、もっと絶望すること
もあると思う。それにあなたは、本当に耐えていけ
るの?」

母親「・・・耐えられるようにしっかり頑張る
しかないです。・・・私がしっかりして、もう心配
をかけないようにしないと・・・」

裁判長「それがあなたの唯一できる責任の
取り方なんですよ。大変なことだよ?
分かってる?」

翌日。2日目の裁判で、検察官が母親に対して
求刑したのは「懲役5年」。

「確実に心臓を刺せるよう細身の刺身包丁を
凶器に選ぶなど、犯行が強い殺意に基づい
ているうえ、短絡的、身勝手な考えで子ども
を道連れにしようとした」と指摘したうえで、

「夫の急死という同情に値する事情はあるものの、
責任は重大だ」と、母親は実刑をうけるべきだ
としたのです。

子どもたちに瀕死の重傷を負わせるという
母親の罪自体は、許されるものではない。
一方で、母親も、子どもたちも、再び元の家族
に戻ることを望んでいる。

罪に対する刑罰の必要性と、家族の更正の可能性。
裁判所はどちらを重く考えるのか。2021年11月9日、
判決が言い渡されました。…

裁判長「主文。被告人を懲役3年に処する。
この判決が確定した日から5年間、その刑の
執行を猶予する」

下されたのは、執行猶予付きの判決。

神田裁判長は次のように、理由を読み上げました。
「被告人の行為は、到底許されるべくもない、
まさに最悪の選択であった」

「他方において、長男は被告人の追い込まれた
精神状態を思いやり、これまで愛情を注がれ
育てられたことへの感謝の気持ちも述べた上、
早く戻ってきて欲しいなどの心情を表し、
長女もまた、一緒に生活したいなどとの心情
を表している」

「被告人については、直ちに刑務所に収容する
のではなく、子どもらへの償いと、関係性の修復
に努めていく機会を与えるのが相当である」

判決文を読み終えると、裁判長は「初公判の
時にも言ったけど」と前置きして「説諭」とよばれる、
裁判長自身の思いを、母親にかけ始めました。

「どんな事情があったにしても、あなたは絶対
やってはいけないことをやったわけです。

これから、罪の現実に向き合い、償いをすること
は簡単なことではなく、もっともっと大変で、
いろいろ悩むことがあると思います。あなた自身
がしっかりしていくことしかできない。そう、
子ども達も思っていると思います」

そして裁判の最後に、「絶対に」という言葉に
力を込めて、こう声をかけました。

「子どもとの絆は、絶対に切れないから」

どんな苦しいことがあっても、あなたには守る
べき子どもがいる。その子どもがあなたを
守ってくれる-そんなメッセ-ジが、静かに
心に残りました。…

author:TBSテレビ社会部 代田直章












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