blogを書いていると、時々悲しみが伝わってくることがある。
以前、私のblogで書いたウクライナの悲しみ、それはチェルノブイリの
悲しみだった。
尽きることない悲しみを抱え、その土地を離れることもなく、生きる人々
いつもいつも悲しみを抱えながら生きている、
その悲しみが伝わってきたのだ。
今、目の前に3本の道がある。
目の前には等間隔に並んだ大きな2本の道があり、
他の1本は細いが強く見える。
今の時点では、その3本の道はやがて遠く離れていくように見える。
でも、そうだろうか。
大きな2本の道をよく見てみると1本には自由、平等、民主主義と
いう文字が順不同に繰り返し、書かれている。
もう1本の大きな道は平等、社会主義、そして自由、社会主義と
順に繰り返し、書かれている。
この2本の道だが、これは相容れないものだろうか。
長い歴史の中でそれぞれが主張をしてきて、今最も近いところに
いるものではないか。
もし、そうでないと言うのなら、元々が違うのである。
いづれも、良きところ、悪しきところはあるであろう。
しかし、
人類の実りを生かそう、そう考えるものはいないのか。
そして3本目の細くみえる道は、よく見ると調和、発展と書いてある。
人々がこの地球に共に生きる道しるべを現している。