(写真は、藤崎宮の飾り馬の奉納行列)
先月、法事のため、実家の熊本に帰省した際に、
遭遇した出来事の続きです。
帰省の最終日の9月16日、熊本市の中心部にある
「藤崎宮」にお参りに行きました。
と言うのは、この日が、ちょうど藤崎宮 の「秋季
例大祭」の日だったからです。
藤崎宮は、熊本市民が、毎年、初詣に行く神社
なのですが、秋の例大祭は、熊本県の祭りの中
でも、最も盛り上がる祭りなのです。
私の子供の頃は、この「秋季例大祭」は、
「ぼした祭り」という名称でしたが、私は、
この祭りを凄く楽しみにしていました。
子供の頃、この「ぼした祭り」の”ぼした”は、
「加藤清正」が朝鮮を”滅ぼした”という意味
だと聞かされていました。
しかし、”朝鮮を滅ぼした”という趣旨の
「ぼした祭り」という名称は”使用禁止”となり、
現在は、「例大祭」という、インパクトの
弱い名称になっています。
(もっとも、歴史上は、清正は朝鮮を滅ぼしては
おらず、むしろ朝鮮で苦戦したみたいですが、
なにせ、熊本では、清正は英雄を越えて神様
ですから、その清正が苦戦などするハズも
なく?)
この祭りのハイライトは、「随兵(ずいびょう)
行列」と「飾り馬」です。
「随兵行列」は、「加藤清正」が自ら随兵頭と
なり、兵を引き連れて「藤崎宮」へ参拝し、
朝鮮出兵からの無事帰還を感謝したのが始まり
だそうです。
その後、藩主が細川氏の時代になっても、この
藤崎宮への随兵行列は継承され、明治維新後は、
町方の手に受け継がれていきました。
随兵行列は、朝6時頃に藤崎宮を出発、ご神体を
乗せた神輿の後ろに、甲冑姿の随兵が続きます。
私は、前日の法事で酒を飲んだため早起き出来ず、
朝6時出発の随兵行列には間にあいませんでした
・・・
(随兵行列 : ダイドー(株)の公式ホーム
ページから)
そして、祭りの最大のハイライトは、随兵行列に
続く、「飾り馬」の奉納行列で、”馬追い祭り”
とも呼ばれます。
今年は、67もの団体が飾り馬を奉納、
約1万5千人の勢子(せこ)たちが躍動して
沿道を盛り上げました。
67団体は、町内会、企業、高校の同窓会、祭り
愛好会など多彩です。
馬が少なくなったいまどき、67頭もの飾り馬が
参加する盛大な祭りなんて珍しいですよね。
”馬追い祭り”では、私の子供の頃は、馬を興奮
させるために、飾り馬に酒を飲ませていました。
馬が酔っ払った状態で暴れて跳ねるのを、勢子
たちがラッパを吹いたり、太鼓を叩きながら、
「ぼした! ぼした!」と囃し立てて、練り
歩いていました。
暴れる馬を、如何に上手く制御するかが祭りの
見せ所でした。
従って、当時は、毎年、馬に蹴られて怪我人が
続出し、死者が出た年もあったくらいに荒っぽい
お祭りでした。
当時、私は子供心に、馬に酒を飲ませて暴れ
させる行為について何の疑問を持ちませんでした。
しかし、最近の風潮としては当然のことかも
しれませんが、馬に酒を飲ませ、鞭の様な物で
叩く様子が、インターネット動画で拡散し、
動物愛護協会などのからの非難の嵐で炎上した
そうです。
これを受けて、現在は、 例大祭の主催者が、動物
虐待行為の防止に向け、参加団体を指導している
とのこと。
今年、見物して、昔の様な迫力はない、穏やかな
祭りになった印象でしたが、でも、祭りが廃止に
ならずに、時代に合わせた穏やかな祭りとして、
今後、定着していけば嬉しいな、と思いました。
下の写真の様に、小さな子供達が大勢参加出来る
祭りも良いですよね。
次頁の写真の様に、地元のテレビ局が、飾馬奉納
「馬追い祭り」の模様を生中継しています。
随兵行列とそれに続く馬追いの法被姿の勢子たち
が、藤崎宮から、熊本市の中心部のアーケード街
を抜けて、御旅所(おたびしょ:祭礼の祭神の
巡幸の際に、仮に神輿(みこし)を鎮座しておく
場所)のある新町までを練り歩きます。
「ぼした! ぼした!」ではなくて、「どーかい、
どーかい」の掛け声で馬追が展開されます。
朝6時出発の「朝随兵」に対し、午後2時からは、
この逆方向で、藤崎宮に戻る「夕随兵」が始まり
ます。