電車で行く東海道 (16-2:薩た峠 : 四度 「薩た峠」を歩く) 2015.12.27
2012-05-04 22:18:32
(写真は、「薩た峠」への登り坂)
私の街道歩きのポリシーである”気に入った所は何度も歩く”
に従って、年の暮れに、4度目の旧東海道「薩た峠」を歩き
ました。
これは、季節的に、12月が”薩た峠から富士山を眺められる
確率”が最も高い月だからですが、他にも理由がありました。
一つは、青春18切符の消化です。(有効期間:12/10~
1/10)
それともう一つ、私が出演したテレ朝・モーニングショーの
「五街道ウォーク」を見た、という元の職場の同僚から、
薩た峠歩きのガイド役の要望があったためです。
(過去3回の「薩た峠歩き」については、2011.10.27の中の
「16-2由比宿」、2014.12.31、2015.7.28のブログを見てね。)
青春18切符を使って、横浜駅で元の職場の人達と合流、
JR東海道線に乗車、由比駅で下車します。
由比駅前の道から右手の旧道に入ると、道は、東海道の
「間の宿(あいのしゅく)」である 寺尾宿、倉沢宿と続きます。
倉沢・寺尾宿は、狭い道の両側に、江戸時代の面影を残す、
くぐり戸・格子造りが並ぶ雰囲気ある町並みです。
明治時代から桜エビ漁が盛んだったそうで、街道沿いには、
桜エビを売る店も点在します。
寺尾宿、倉沢宿を抜けると、「薩た峠」への登り坂が始まり
ます。
江戸時代、断崖絶壁の難所と言われた「薩た峠」ですが、現在
は小型車が走れる様に舗装されていて、楽勝のハイキング
コースです!
緩やかな登り坂の両側は、急斜面のミカン畑で、ミカンの
黄色、木々の緑、駿河湾の青、冠雪した富士山の白の色彩の
コントラストが鮮やかです!
12月とあって海風が厳しいですが、雲も切れて、富士山は
真近かにハッキリと見えます!
ミカン畑登り切ると、駐車場があり、そこから遊歩道を少し
下ったところに、撮影ポイントの展望台があります。
この撮影ポイントには、ライブカメラが設置されていて、
1時間毎のライブ映像が、インターネットで見られます。
ここからの眺めは、青空と、駿河湾の深い青と、富士山の白の
組み合わせが夢の様な絶景です!
暖冬のせいか、冠雪の隙間に未だ山肌が見えます。
写真の下の部分は、左からJR東海道線、国道1号、東名高速です。
遠くには、伊豆半島の山々もハッキリと見えます。
展望台からの眺めを満喫して、上ってきた来た坂道を下って
行きます。
坂道を下り切ったところにある、下の写真の「望嶽亭」
(ぼうがくてい)に立ち寄ります。
「望嶽亭」は、広重も描いた有名な茶屋で、広重は絵の中に、
”倉沢名物「さざえの壷焼き」”と書き入れています。
江戸時代、旅人は、薩た峠を前にして、名物のサザエやアワビ
を食べながら、駿河湾と富士山を眺めて疲れを癒していました。
また、「望嶽亭」は、江戸城を無血開城へと導いた”真の”
立役者である「山岡鉄舟」ゆかりの茶屋としても有名です。
「山岡鉄舟」は、「剣・禅・書」の達人であり、また豪快で
義理人情に溢れる人柄だったそうで、勝海舟、高橋泥舟と
共に「幕末の三舟(さんしゅう)」と呼ばれました。
前回訪れたときと同様に、望嶽亭23代目のご主人が、建物内
の山岡鉄舟の足跡を丁寧に説明してくれます。
見学と説明は無料なので、気の毒な感じです。
勝海舟の部下だった山岡鉄舟は、西郷隆盛に談判する様に
命じられ、官軍のいる薩た峠を深夜に突破しようとして、
見つかってしまい、この望嶽亭に逃げ込みます。
鉄舟は、ここの倉座敷で漁師姿に変装し、蔵座敷の隠し階段
から脱出して、当時、望嶽亭の主と親しかった清水湊の清水
次郎長のところへ舟で向かいます。
清水次郎長の家に隠れ、身支度をしてから、駿府(府中)まで
行き、西郷隆盛と直談判して、7項目の条件で無血開城を
約しました。
7項目の条件の内容は、幕府側として主張すべきところは主張
するもので、徳川政権終焉の処置を成功裡に導きました。
明治新政府誕生後には、旧幕臣の生活を守るために奔走を続けます。
西郷隆盛は、よほど山岡鉄舟の人柄に惚れたのでしょう、山岡
は、西郷の強引な推薦により、佐賀権令(知事)となります。
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の楫取は栃木権令(知事)になり
ましたが、楫取は長州藩の重鎮だったので、ある意味順当な
人事だと思います。
これに対し、山岡鉄舟は新政府の敵だった幕臣ですから、この
人事は驚きです!
山岡鉄舟は、自らの足で 県下の民の暮らしを見て回り、県民
の信を得て、行政手腕についても卓越した能力を発揮します。
更に、その後、明治天皇の侍従になり 53歳で亡くなるまで
無刀流の道場で弟子たちを育成しました。
(白隠禅師が、望嶽亭に逗留し、全快したお礼として書き
残した扁額)
(山岡鉄舟が脱出した隠し階段)
以下3枚の写真は、ここ「望嶽亭」で購入した「山岡鉄舟
空白の二日間」(春風出版:若杉昌敬著)の本から転写
しました。
(蔵座敷の入口)
(山岡鉄舟が望嶽亭に残していったフランス製十連発ピストル)
下の写真は、昭和天皇が、望嶽亭の親戚の「一碧楼・
水口屋」にお泊りになったときの寝具一式です。
望嶽亭を出てから、望嶽亭のご主人推薦の”桜エビが
美味しい”という「くらさわや」へ向かいます。
桜エビ漁は、本日が最期で、来春の解禁までお休みです。
う~ん!、 獲れたての”生の桜エビ”は絶品です!
旨い!
余りにも生の桜エビが美味しかったので、写真を撮り忘れ
ました!(スミマセン・・・)
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