(写真は、和田峠越え。)
前回の”全体の感想”に続いて、「難所」と「苦労した事」に
ついて思い出しながら書いてみます。
日本橋をスタートして、東海道と同様に何も無い東京~埼玉
の辺りを歩いている間は、中山道歩きは東海道歩きの延長
だなあ~、という印象でした。
その印象が変わったのは、群馬の安中宿辺りからでした。
江戸時代からの時間が止まった様な、中山道固有の雰囲気に
変わったので、何となく嬉しくなりました。
そして、安中から松井田を経て、軽井沢へ向かう「碓氷峠」に
差し掛かると、いきなり崖状の急な登り坂が続き、早々に
息切れしてバテてしまいました。
それでも、登り坂が終わると、あとは、尾根沿いの平坦な
楽しいハイキングコースでした!
そして、碓氷峠を超えた軽井沢からは、浅間山を眺め
ながらの、気持ちの良い高原地帯のハイキングが、和田宿
までずっと続きました。
しかし、和田宿から先の22キロもの厳しい「和田峠」越え
は、途中、迷いそうな熊笹に覆われた道もあり、私のペース
で1日で越えるのは無理と判断しました。
そこで、この行程だけ旅行社主催のウォーキングに参加
しました。
1日目は峠越えの途中で送迎バスが迎えに、2日目は前日
迎えに来た所まで送ってくれて、峠越えを2日に分けて
歩きました。
私はツアーの案内者に付いて歩いて行くだけだったので、道に
迷う心配もありませんでした。
これで、和田峠越えのポイントは分かったので、次回、和田峠
越えをすることがあれば、もう一人旅でも大丈夫です。
難所の和田峠を越えて下諏訪宿に着いたとき、これから先は、
和田峠以上の難所は無いだろうから、あとは日にちさえ
掛ければ必ず京都に着く、と確信しました。
下諏訪宿から塩尻を経て、木曽路の長~い山道に入りました。
木曽路は厳しい山道でしたが、途中には無名の集落や宿場町が点在していて、至る所に江戸時代の名残が残っていました。
また、心洗われる木曽川沿いの山道は、印象深く、忘れがたい風景でした。
木曽路を抜けて、岐阜の中津川の町並みを一望できる丘を
過ぎると「新茶屋」で、「是より北 木曽路」の石碑が
ありました。
長かった木曽路の山道も、ここで終りだと思うと、少し寂しい気分になりました・・・
やはり、心に滲みる風景の木曽路は、いつか、もう一度
歩きたいです。
そして、やっと木曽路を抜けて平地に出たと思ったのも
束の間、中津川を抜けると、中山道の最後の難所「十三峠」
が待ち構えていました。
「十三峠」は、江戸時代には、”十三峠に まけ七つ”と
言われ、合計で20箇所もの難所があったそうです。
現代の「十三峠」もまた、自動販売機も無い20キロもの山道
で、江戸時代と変わらない長~い峠道が延々と続きました。
しかし、上記の三つの峠以外で、江戸時代に難所と言われた
「塩尻峠」、「鳥居峠」、「馬籠峠」は、よく整備された
快適なハイキングコースになっていました。
このハイキングコースにも、塩尻峠・鳥居峠の熊、うとう峠の
マムシ等の情報がありました。
このため、中山道では、熊除けの鈴と携帯ラジオは必携品です
が、逆に、これさえ有れば安心というコースでもありました。
そして、岐阜の美濃路から滋賀の近江路に入ると、ゴールの
草津まで、ずっと鉄道沿いで、毎日、好きなだけ歩いて、
疲れたら電車に乗るという気楽なウォーキングが続きました。
また、中山道歩きの同好の志との出会いもありました。
特急「あずさ」で隣の席になった中山道歩きの豊島区の
Kさん。
琵琶峠で街道歩きの醍醐味を語り合った丹波の国さん、横浜の
Yさん、岐阜さん。
2度お会いすることになった太田宿のボランティアの親切な
おばさん。
その他の親切な郷土の宿場町を愛する大勢の皆さんの御蔭で、
思い出深い旅が出来ました。
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