ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

大阪城 2023.4.25

 

(「淀君と殉死者32名の忠霊塔」と「菩薩像」)

 

 

前回は「異人館巡り」を終えて、「にしむら珈琲店」でランチ

を済ませ、「JR三ノ宮駅」へ向かいました。

 

「JR三ノ宮駅」からJR神戸線に乗り、大阪駅でJR環状線に

乗り換えて「JR大阪城公園駅」へ向かいます。

 

「JR大阪城公園駅」で下車して「大阪城公園」へ向かいます。

大阪城公園は、大阪の中央に位置する広大な公園です。

 

 

 

上の写真の「ジョー テラス オオサカ」を抜けて歩いて

行きます。

 

上の写真の「大阪城ホール」の横の道を通って行きます。

 

道は「外堀」に突き当たるので、ここからは、「外堀」沿いに

歩いて行きます。

 

 

石垣に挟まれた坂を上って行きます。

上の写真の紫色の車列は、大阪城公園内を走る「ロード

トレイン」です。(有料)

 

坂を上り切ると写真の「青屋門」があります。

「青屋門」は、大阪城の北側に位置する出入口で、大阪城の

正門の反対側に位置しています。

「青屋門」をくぐると正面に小さく天守閣が見えました。

更に少し歩くと「内堀」があります。

 

「内堀」沿いを歩いて行くと、内堀の向こうに「天守閣」と

右手に「極楽橋」が見えてきます。

 

「内堀」に架かり、「山里丸」と「二ノ丸」とを結ぶのが

「極楽橋」です。

 

橋とお城の景観が素敵です!

 

 

 

 

極楽橋の上から、写真の黄金の「御座船」(和船)の船乗り場

が見えます。

 

御座船は、内濠を遊覧しますが、次頁のポスターによると、

「船から見上げる天守閣」、日本一の高さの石垣の「大名の

刻印が間近に見える」のがセールスポイントみたいです。

橋を渡ると、下の写真の「刻印石広場」がありました。

 

刻印石広場には、大小様々な石がたくさん置かれています。

大名の家紋などが刻印がされています。

この辺りを「山里丸」というそうです。

(刻印:前頁の写真の赤丸印)

刻印石広場の左手には、写真の「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地」

の石碑があります。

徳川軍に追い詰められた「豊臣秀頼」とその母「淀殿」は、

ここ「山里丸」にあった櫓で自害しました。

この石碑は、1997年に大阪市が建てたそうです。

(比較的新しいんですね)

「秀頼淀殿自刃の地の石碑」をあとにして 、天守閣に向かう

ため 緩やかな坂道を歩いて行きます。 

すると、右手の山里の曲輪石垣の奥に、小さな菩薩様の様な

ものがチラリと見えました。

気になったので、 再び坂道を降りて、近くへ行ってみます。

 

近づいてみると、写真の「淀君並殉職者三十二名忠霊塔」と

書かれた碑が建っていました。

 

淀君とその殉死者32名の忠霊塔みたいです。

 

1615年、大坂夏の陣で大坂城は落城します。

落城直後、豊臣秀吉の息子の秀頼とその母の淀君は自刃

しました。

 

この二人と運命を共にして「自刃した32名」の魂を弔う

ためにこの忠霊塔が建てられたそうです。

 

 

前頁の写真の石垣は、大空襲の際の機銃掃射によるもの

だそうです。

 

「淀君並殉職者三十二名忠霊塔」をあとにして 、再び緩やかな

坂道を天守閣へ歩いて行きます。 

山里丸のきつい坂を上り、石垣を超えるともう天守閣が

真近です。

 

 

 

 

天守閣が大きく見えてきました。

大阪城の天守閣の最上層の外壁には、豪華な黄金の「伏虎
(ふくこ)」の装飾が施されています。

 

雨が激しくなってきたので、避難を兼ねて天守閣に入ります。

 

上の写真は、天守閣の前の大砲の「お城のドン」です。

”ドン”とは、大阪城の小天守台の大砲の音で、かつて50門

もの大砲が設置されていました。

明治3年から大正13年まで、陸軍によって、朝昼晩の3度、

空砲を時報として使用していたそうです。

 

名古屋・岐阜は「織田信長」!、静岡・東京は「徳川家康」!

そして「大阪」は、誰が何と言っても「豊臣秀吉と

阪神タイガース」です・・・

大阪では、今でも「豊臣秀吉」は「太閤はん」と呼ばれて

愛されています。

前回ご紹介した「大阪城公園」を抜けて、今回はいよいよ

「豊臣秀吉」が築いた「大阪城天守閣」に上ります。

ちなみに、江戸時代までは 、「大阪」ではなくて「大坂 」と

表記していました。

従って、歴史的に正しくは、「大坂夏の陣」や「大坂城」

です。

正確に言うと、現在の天守閣は3代目で、昭和6年に、大阪

府民の寄付によって建てられました。

豊臣秀吉が建てたのが初代天守閣で、 徳川秀忠が建てたのが

2代目天守閣です。

何と!、秀忠は、秀吉が建てた「大坂城」を跡かたも無く

完全に埋めてしまって盛り土をし、新たな「大坂城」を

築きました。

上の図の右側が「秀吉」が建てた「大坂城」で、左側が

「秀忠」が建てた「大坂城」です。

濃い茶色の部分が、「秀吉の大坂城」を、「秀忠」が

跡かたも無く完全に埋めてしまって盛り土です。

(天守閣の内部の展示物から)

昭和6年、大坂夏の陣で焼失した天守の屏風絵に描かれていた

外観を参考に再建されました。

鉄筋コンクリート構造で、天守閣の内部は、秀吉や戦国時代に

関する文化財を多く擁する博物館になっています。

(600円:有形文化財)

エレベーターは5階までの昇り専用です。

(車椅子などは8階までの昇降可。)

2階の「金の鯱(しゃちほこ)」と「伏虎」(原寸大

レプリカ)は人気の撮影スポットです。

3階、4階は重要文化財などの展示を行っているため撮影禁止

ですが、それ以外の階は撮影自由です。

(「真田幸村」の「鉄二枚胴具足」:パンフレットから)

前頁の写真は、豊臣秀吉が黄金をふんだんに使って造らせた

「黄金の茶室」です。

「黄金の茶室」は期待していたのですが、広さは3畳と意外と

狭く、うっかり通り過ぎそうになりました・・・

(撮影禁止のため、大阪城天守閣のパンフレットからの転載。)

5階には、重要文化財の「大坂夏の陣図屏風」を、ミニチュア

人形で立体的に再現した展示があります。

天守閣の最上階の8階は、大阪の市街地が一望できる地上

50メートルの展望台です。

 

 

 

正面中央の芝生は「西の丸庭園」で、奥は大手前の官庁街

です。

上の写真は「大阪ビジネスパーク」のビル群です。

右手中央の楕円形のドームは「大阪城ホール」です。

黄金の鯱が真近に見られます!

「黄金の御座船」の船乗り場が見えます。

大阪城公園内を走る「ロードトレイン」の車列もよく

見えます。

 

天守閣を出て、来た道を「JR大阪城公園駅」まで戻ります。

上の写真の「JR大阪城公園駅」から、環状線に乗り、大阪駅

で地下鉄御堂筋線に乗り換えます。

 

上の写真の地下鉄御堂筋線の「心斎橋駅」で下車して、

駅のすぐ近くの「ハートンホテル心斎橋」へ向かいます。

(ハートンホテル心斎橋:2泊・食事無し、新幹線往復代金

込みで38,000円)

夕食は、ホテルの近くの「浪花そば」に食べに行きます。  

 

大阪と言えば、何と言っても「串カツ」です!

 

(串カツ盛り合わせ:880円)

 

美味い!!

 

 

(合鴨と九条ネギのあっさりいため:1,078円)

 

 

(「水なす」のお造り:580円)

 

(たぬきそば:880円)

 

大阪ならではの心斎橋の夕食でした! 

 

 

 

 

 

 

ps.

大阪城以外のお城については、「中山道を歩く」の中程の「日本100名城」をご覧ください。

 

 

大阪城


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コメント一覧

mrsaraie
mrsaraie

iinnaさんへ

そうですね、やはり、秀吉は、絵に描いた様な立身出世の物語で人気者ですね。

さくらの季節の大阪城は見事です!、大阪時代に桜の季節に何度も訪れたiinnaさんが羨ましいです。

そうですか、黄金の茶室は、MOA美術館や伏見城にもありましたか、知りませんでした。


iinna

立身出世の秀吉は、大阪に限らず人気者です。
大阪城には、iina大阪時代によく遊びに行きました。さくらの季節の城です。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/e5373aed7ec1b7de15e602de38f29782

「シャチホコ」もブログにしてました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/3c6bafa4f48a039c23921cd9c109f171

「黄金の茶室」は大阪城にも展示してましたか。
MOA美術館には再現されたのを見ましたし、いまは未公開になった伏見城にもありました。幾つかあるようですね。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/9271d0047444a59f426f1b2b38b6fe84
mrsaraie
mrsaraie

s1504さんへ

ええ、現地で遺構を見ながら、大阪城天守閣にまつわる豊臣秀吉と秀頼の説明版を読んでいると実感がわいてきました。

そうです、徳川は、太閤さんへの対抗心、コンプレックスから、太閤さんの大阪城の痕跡が何も残らない様に、異常なほどに、徹底的に破壊、埋め立てをしました。

少なくとも、展示室の黄金の茶室には躙り口がありませんでしたが、茶室の周辺は再現されていなかったのでよくわかりませんでした・・・
そうですね、利休は何を思っているでしょうね。


s1504

大阪城天守閣にまつわる豊臣秀吉と秀頼のはなしは興味深いですね。
太閤さんへの対抗心ですかね。
コンプレックスがあったんでしょう。
黄金の茶室には「躙り口」がありましたか?
華美と詫び・・・・利休は何を思うやら。
歴史的な展示物は見ものですね。
mrsaraie
mrsaraie

hidebachさんへ

ええ、大坂城を満喫してすっかり楽しみました。

そうですか、名古屋城はエレベーターや鉄筋コンクリートをやめて全て木造ですか。

やはり、時代の流れは、エンターテイメントの娯楽施設から、工法や材料も含めて、本物志向での、歴史的に正確な復元の方向に向かうのでしょうね。


hidebach

大坂城をすっかり楽しみました。

名古屋城はエレベーターや鉄筋コンクリートをやめて、
すべて木造にするようです。

すごいお金や時間の無駄ですね。
mrsaraie
s1504さんへ

大阪城公園は、大阪に住んでいたときに行っているハズなのですが、ほとんど記憶になく忘れかけていました。

米軍の石垣への機銃掃射、ハッキリと残っていて生々しいです。

そうでしたか、お兄さんは、学徒動員の軍需工場で機銃掃射されて危なかったんですか、辛い青春の思い出でしょうね。
当時、軍需工場は狙われたんでしょうね。

ウクライナの町はミサイル攻撃で破壊されていますから、風景も心象も、敗戦間際の焼夷弾が降っていた日本と重なるでしょうね。
s1504
(ウォーク更家)さん、こんばんは。
大阪城公園の概要が居ながらにしてわかりました。
しかし、米軍は石垣にまで機銃掃射したんですね。
うちの長兄は学徒動員の軍需工場で機銃掃射され危うく死ぬところでした。
キーウなどウクライナの町はミサイル攻撃で破壊されましたから、まだマシかな?
時代の違いもありますが、アメリカには少し人間味が残っている気がしますよ。
mrsaraie
iinnaさんへ

大阪城の桜が見事ですね、良い時期に大阪城を散策していますね。

そうでしたか、iinnaへさんが散策していたころには、未だ、淀君と殉死者32名の忠霊塔と菩薩像は出来てなかったんでしたか。

ええ、淀君がプライドを捨てていれば、例えば、熊本の加藤清正の熊本城に落ち延びて、豊臣家は暫くは存続できたでしょう。
でも、家康はまた何か難癖をつけて、どのみち、やがて滅ぼしてしまう様な気がします。
iinna
大阪城敷地内に新しく「淀君と殉死者32名の忠霊塔」と「菩薩像」が出来たのですね。

淀君がプライドを捨てていれば、豊臣家は存続できたでしょうか❔
やはり、いろんな言い訳を仕掛けて取りつぶされたことでしょうね・・・❔

きょうは、大阪城オンパレードでした。^^

大阪時代は、よくお城へ遊びに行きました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/e5373aed7ec1b7de15e602de38f29782

mrsaraie
hidebachさんへ

そうですね、どんな名城も沢山の命と引き換えに残りましたが、特に、大阪城は、冬の陣と夏の陣の2度もの悲惨な戦いがありました。

自刃したのは秀頼と淀君だけではなくて、32名も一緒に自刃したのは知らなかったので、この菩薩像を見て胸が痛みました。

現代になってもウクライナ人、ロシア人の沢山の人命が失われているのには胸が痛みます・・・
hidebach
どんな名城も、沢山の命と引き換えに残ったものです。
ウクライナにしても、ロシアにしても、沢山の人命が失われていきます。
それが戦争です。
止めてほしいですね。
大阪城の淀気味や秀頼の自刃の碑を見て、
感じました。
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