ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

中山道を歩く(28-1:和田:宿場町)   長野県長和町 -  2013.10.14


(写真は、池上季実子と浅田次郎の和田宿本陣での対談)

「是より和田宿」の石碑から、八幡神社を通り過ぎ、追川に
かかる追川橋を渡ると、和田の宿場町の町並みが始まります。






和田宿は、中山道最大の難所和田峠の入口にあり、参勤交代の
大名も必ず宿泊しました。


上の写真は、広重の描いた和田峠の雪景色で、正面の山は
御嶽山(おんたけさん)ですが、浮世絵からも、和田峠越え
の厳しさが伝わってきます。

1861年の大火で、宿場町は焼失してしまいましたが、同年に
皇女和宮の将軍家への降嫁が決まり、和田宿が宿泊地となった
ため、幕府は、全国から大工を集め、昼夜兼行の突貫工事で、
何と! たった4カ月で全宿場町を復興します。

ちなみに、延べ8万人の皇女和宮一行は、和田宿を4日間
かけて通過した、というから驚きです!

これらの幕末に復興された本陣等は、現在もそのまま残って
いるため、見所の多い宿場町です。

上の写真は、和田宿本陣で、名主で問屋を営んでいた長井氏
の居住棟と表門が復元されています。
(他の施設と共用で300円)




ボランティアのおじさんの”熱のこもった”詳細な説明を受け
ます。

おじさんの説明によると、和宮関係の資料は、写しではなく
”全て本物”を展示しているそうです!

中山道の”大名行列を主人公”にした「一路」の著者・浅田
次郎のサインがありました。

一路(上)
浅田 次郎
中央公論新社

「一路」では、大名行列の命がけの雪中・和田峠越えが描かれ
ています。
「一路」の小説を書くにあたり、浅田次郎が詳細な下調べに
来た時のサインだそうです。
また、出版後の池上季実子との「一路」についてのテレビ対談
が、冒頭の写真の様に行われ、おっちょこちょいの池上季実子
が鴨居の柱に頭をぶつけて怪我をした、というその柱の説明等
の裏話もしてくれました。

上は、この本陣に於ける”和宮のお茶会”を”再現”する
イベントが行われた際の写真だそうです。

上の写真は風呂場ですが、ご覧の様に、浴槽がありません!?
浴槽が無い理由は、二つあり、一つは、当時疫病が流行した
ので衛生上の理由と、もう一つは、風呂桶に細工をされて、
命を狙われるのを避けるための保安上の理由です。
そのため、当時の大名行列は、大名用の”my風呂桶”を持ち
歩いたそうです!


写真の様に、屋根の上に石が並べられていますが、この様な
造りの本陣は、非常に珍しいそうです。

また、和田宿本陣の天井は、非常に高いのですが、これは、
2階には刺客に潜まれる恐れがあるので、2階部分を無くして
天井を高くしたのだそうです。

和田宿本陣を出て、和田宿の町並みを見て回ります。




上の写真は、出桁造り出格子の二階建ての堅牢な造りの
「かわち屋」で、上客向けの旅籠だったそうで、以下の
写真の様に「歴史の道資料館」として公開されています。
(他の施設と共用で300円)




上の写真は、かわち屋の向いの問屋だった「山本屋」です。



上の写真は、本陣・名主だった長井氏の屋敷を改築して、
現在も古い建物で営業している「本亭旅館」ですが、昔は
旅籠だったそうです。

今も、中山道を歩く人が利用しているらしいです。


上の写真は、名主・羽田家で、これまで食堂「かあちゃん家」
として利用していたのですが、現在、当主の体調不良のため
食堂は休業中とのことでした・・・

今日の昼食は、ここで、和田宿名物の郷土料理を食べようと
楽しみにしていたのに・・・残念!
和田宿の食堂は、ここ1軒だけらしいです。
仕方なく、非常用に持ち歩いているオニギリ1個で空腹を
満たします・・・ お腹すいたよ~

緩やかな上り勾配が続く宿場通りの両側に並ぶ家々には屋号
がとりつけられています。

(高札場跡)


和田の宿場町を抜けると間もなく、国道142号を横切ります
が、その交差点に、上の写真の「和田の一里塚と道標」が
あります。
この道標を目印に旧道に入り、大出集落から、依田川沿いに
歩くと、間もなく国道に合流します。
  


中山道は、国道に合流するこの辺りからは、国道の左手を
流れる川沿いの道だったのですが、現在は、川に削られて
ほとんど残っていないそうです。

上の写真の緩やかな上り坂の国道を延々と歩いてゆき、
唐沢の依田川を渡ると、左手に下の写真の旧道の入口がありました。

落ち葉の中の何となく心細い感じの山道ですが、木立の中を
歩いてゆきます。



細いみちを歩いてゆくと、やがて開けた場所に、左右に塚が
残っている「唐沢の一里塚跡」がありました。
ガイド本によると、草ぼうぼうの道なので、防水性のズボンが
必要と書いてありますが、私が歩いたときは、多分、地元の
方々が草刈りをされたのでしょう、前頁の写真の様に、下草が
綺麗に刈り取られていて、快適な遊歩道になっていました。

一里塚跡から、急な下り坂を下って、再び国道に合流します。

そして、国道のバス停・観音沢を過ぎ、道路標識に従って、
国道右手の脇道に入り、一の橋を渡ると、再度国道142号と
合流します。

その142号線が右に大きくカーブする辺りの道路の反対側に、
和田峠の登り口が見えました!

これが「古中山道」の入口で、ようやくクラブツーリズム社の
次回の旅行の出発点となる「和田峠の登り口」に到着しました。
和田宿から次の下諏訪宿までの、これから先の22キロもの
厳しい山道の行程は、私の足では、1日では絶対に踏破無理
ですし、ここの峠道は険しくて道に迷う恐れもあるため、
次回は旅行社主催の和田峠を歩いて越えるコースに参加する
ことにしました。

従って、今日は、次回に参加予定の「クラブツーリズム社」の
「和田峠越え歩きコース」の出発点である「和田峠の登り口」
まで歩いたので、ここから同じ道を和田宿まで引き返します。
(詳細は、「24:八幡」をご覧ください。)

帰りは、和田宿から、1時間15分かけて、バスで、長野新幹
線・上田駅へ向います。

新幹線の中で、上田名物「アユめし弁当」を食べながら、横浜
へ帰りました。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

更家
浮世絵
そうですね、街道歩きの楽しみの一つは、浮世絵の描かれた場所を探して、江戸時代の旅人が楽しんだ風景と同じ風景を眺める事ですね。
iina
好奇心
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/eb39d0578085267dda508102f9df6377
広重は、更家さんのように彼方此方を歩いているのですね。しかも、御嶽山の見える和田峠の雪景色ですから、
真冬でもでかけていますから、好奇心旺盛です。

>広重の浮世絵と同じ場所を探すのは楽しいですよね。
時代を経ても変わらぬ風物を見れるというのは、タイムスリップして広重と同じ場所に立ったようで、なぜか嬉しいです。

更家
和田峠を2日に分けて歩くし
どうやって和田峠を歩いて越えるかは、この中山道
歩きで一番頭の痛い問題でしたが、おかげで解決
しそうです。

22キロを2日に分けて歩くし、ウォーキングの
インストラクター付きなので、問題無いと思いますよ。

そうなんですよ。
中山道は、東海道に比べると、開発から取り残された
のが幸いして、街道沿いの宿場には色んな当時の物
が多く残っています。

これから先も、奈良井、妻籠、馬篭、関ヶ原など、
楽しみです。
船橋原人
中山道「和田峠越え」
丁度良いタイミングでツアーに参加することが出来たようで、
22キロも歩く必要が無いようですね。
しかし、街道沿いの宿場には色んな当時の物が多く残っているものですね。
これから先も面白いものが観られると良いですね。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「街道歩き」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事