(知覧武家屋敷の「旧高城家住宅」)
私には、「死ぬまでに、どうしても行っておきたい場所」があります。
それは鹿児島県の「知覧特攻基地」です。
先月、所要で熊本に帰省しました。
この帰省の機に「特攻基地」行かなければ、一生行けないまま終わってしまう様な気がして、意を決し「熊本駅」から新幹線に飛び乗って鹿児島の「知覧」を目指しました。
(熊本駅)
新幹線の終点「鹿児島中央駅」で下りました。
(鹿児島中央駅)
上の写真は、駅前の「若き薩摩の群像」です。
(若き薩摩の群像の詳細は、「電車で行く薩摩街道・鹿児島宿」を見てね。)
新幹線の終点「鹿児島中央駅」で下りましたが、「知覧特攻基地」への行き方が全く分からず、仕方なく下の写真の駅前の「観光案内所」に飛び込みました。
観光案内所のお姉さんが「バス時刻表」を渡して、私が乗るべき便にマーカーをして、懇切丁寧に教えてくれました。
それによると、先ず、ここから「知覧武家屋敷」まで路線バスで行き、武家屋敷を見学したあとで、タクシーで「知覧特攻平和会館」へ向かうのがよい、と。
そして、「知覧特攻平和会館」から、「指宿駅」行の最終バスに乗り「指宿温泉」に1泊するのが、ベストルートの観光プランだと。
自信たっぷりの観光案内所のお姉さんの薦めに従い、先ず、「知覧武家屋敷」の散策をしてから、タクシーで「知覧特攻平和会館」に向かうことにしました。
路線バスは、「指宿枕崎線」と並行して南下して行きます。
やがて、路線バスは、指宿枕崎線から離れ、上の写真の様に「桜島」が見える位置まで、山道をドンドン上って行きます。
乗客もほとんど居なくなり、更に民家も全くない深い山奥へと進んで行きます。
え~っ?、特攻基地って、こんなに山奥の不便な所にあったんだ・・・
路線バスの終点の「特攻観音入口」の4つ手前の「知覧武家屋敷」で下車します。
徳川幕府が「一国一城制」をとり新しい築城を禁じたため、薩摩藩は「防備を兼ねた城塁型の武家屋敷群」を、「知覧」も含むめて113も造りました。
従って、各屋敷が塁のように防衛障壁となるよう工夫されています。
そして、曲折した道が多くあるのは、侵入してきた敵が通りを簡単に見通せないようにするためです。
現在残る「武家屋敷群」は、第18代の知覧領主・島津久峯の時代に造られたもので「薩摩の小京都」と呼ばれています。
江戸時代の町並みや、七つの庭園がそのまま残っており、「重要伝統的建造物群保存地区」指定されています。
そして、現在、実際に子孫の方が住んでおられる家もあります。
緑の生垣と石垣をめぐらせた武家屋敷が整然とたたずむ風景は、江戸時代にタイムスリップしたようです。
写真は「旧高城家住宅」です。
写真の「旧高城家住宅」は、「二ツ家」と呼ばれる武家住宅です。
居住空間である「おもて」と、台所などがある「なかえ」の2つの屋根の間に小棟を置いた「知覧」だけにみられるタイプです。
左側の間口が広い方が「おとこ玄関」で、右側の狭い方が「おんな玄関」です。
鹿児島は昔から「男尊女卑」の土地柄だとは聞いていましたが、ここまで酷いとは!
武家屋敷の通りの道路向かいには、カフェや蕎麦屋がありました。
今回の旅の目的は、屋敷見物ではなくて、特攻基地なので、早目に武家屋敷巡りを切り上げ、蕎麦屋で早目の昼食を済ませて「知覧特攻基地」へ向かいます。
「黒豚しゃぶ板そば」(1,050円)を注文します。
予定より早く武家屋敷見物を切り上げて、タクシーで「知覧特攻基地」へ向かいます。
知覧武家屋敷(鹿児島県)