ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

中山道を歩く(28-2:和田峠:1日目)  長野県長和町  22 km (2013.10.16)


(写真は、中山道の和田峠。左は絶壁!
 かなり深い谷で、足元は遥か下に急流で危険! 道幅は
 狭く、足元はやっと足がつける感じで石がゴロゴロ。)

山道が険しい和田峠は中山道最大の難所でした。
このため、冬期の和田峠越えは、降雪で想像を絶する
厳しさでした。

また、峠を挟んで、東の和田宿と西の下諏訪宿の距離は
22キロと長く、1日で歩くには厳しい行程でした。

浅田次郎著「一路」では、大名行列の命がけの雪中・和田
峠越えが描かれています。

次の下諏訪までの1日22キロの厳しい山道の行程は、私の
足では絶対に無理ですし、険しい峠道は迷う恐れもあるため、
この行程だけ、旅行社主催のウォーキングに参加します。
このために、前回は、今回参加する「和田峠越え歩きコース
※」の出発点である「和田峠入口」までを歩いておきました。
(詳細は「24:八幡」をご覧ください。)

※「クラブツーリズム社・中山道を歩く」
  (1泊2日で34,000円)
   ・本日:歩行12キロ=和田峠入口~浪人塚
   ・明日:歩行 8キロ=浪人塚~下諏訪宿
    (計20キロ⇒残り2キロは前回歩き終えてます。)

上記の様に、この旅行社は、和田峠越えを2日に分けて
歩きます。

本日の夕方には、峠越えの途中の浪人塚までバスが迎えに
来て、本日宿泊する下諏訪温泉のホテルまで運んでくれます。
そして、明日の朝、下諏訪温泉のホテルから、浪人塚までバス
が送ってくれます。

従って、今回は、私はツアーの案内者に付いて歩いて行くだけ
なので、道に迷う心配もありません。

今回のツアーの参加者は30名くらいで、皆さん、日本橋から
和田宿まで、ずっと一緒に歩いてきたお仲間みたいです。

ツァーは、7:30にバスで新宿を出発し、和田宿で昼食を
取った後、写真の「和田峠登り口」で、我々を降ろし、
いよいよ和田峠歩きが始まります。


「和田峠登り口」には、写真の様に、中山道の標柱が立って
います。


狭くて急な山道を上り始めますが、想像していたよりも歩き
易い山道です。


その山道を少し歩くと、峠を往来する人馬の無事を祈った
という、下の写真の「三十三体観音」が見えてきました。





三十三体観音を過ぎると、道幅の比較的に広い、緩やかな
上り坂の山道になり、下の写真の様な快適なハイキング
コースです!
  
暫く歩き、一度国道に出ると、国道の向かいに、写真の「接待
茶屋」(永代人馬施行所)がありました。

接待茶屋とは、中山道の旅人に無料で粥を提供し、また、
馬には煮麦を施した所だそうです。
建物内には、煮炊きに使用していたかまど等が残っています。

また、接待茶屋の脇には、湧き水が汲める場所があり、車で
来た人がポリタンクに水を汲んでいました。

接待茶屋を出てたら直ぐに国道から分かれて、左手の山道に
入ります。
草の生えた柔らかくて歩き易い山道を歩いてゆくと、写真の
「近藤谷一郎巡査殉職」の供養碑がありました。
明治時代に、巡査が、護送中に逃走した犯人を捕まえよう
としてこの付近で格闘となり、刺され殉職した時のものだ
そうです。



更に、山道を歩いてゆくと、苔むして滑りやすい、大きい石が
ごろごろしている歩きにくい急な上り坂に変わってきます。








  
その苔むした山道が途切れ、しばらくすると「広原の一里塚跡」です。

江戸時代、降雪期に、この辺りが一面雪の原となり道が埋もれ
たとき、9m四方のこの塚が旅人の道標となったそうです。

山道は、やがて国道と合流し、間もなく左側にドライブイン
「東餅屋」が見えてきました。
江戸時代には、この辺りには、5軒の茶屋があって名物の力餅
で繁盛していたそうですが、交通機関の発達で歩く人がほと
んどいなくなり、現在は、このドライブインだけになって
しまったそうです。


名物の力餅(野沢菜付き350円)を食べ、体力を回復します。

さっぱりとした甘さで美味しかったので、土産用の力餅も買います。

峠の頂上まで、あと1.5キロです。



国道を横断して、林の中の山道を進み、下の写真のトンネルを
くぐります。


更に進むとビーナスラインに出ますが、旧中山道は、ここから
ビーナスラインを3度横切ります。





左手にスキー場を見ながら、急な坂道を登り切ると、間も
なく、和田峠頂上に着きました!!
峠の広場には、写真の御嶽山権現碑が建っています。





この付近は、冬になると積雪が3メートル近くになり、道が
どこだかわからず、歩くのが困難だったそうです。

晴れていれば、ここから、諏訪湖と下諏訪の街が見えるそう
ですが・・・

今日は、霧雨のため、写真の様に、頂上からの景色は何も見え
ません・・・ 残念!
下の写真は、池上季実子と浅田次郎が、和田峠の頂上に来た
ときに見えた下諏訪の街です。
そうか~!
頂上からこの様に下諏訪の街が眺められたハズだったんだ!
残念!!


これから先は、「下諏訪」に向かって下るだけですが、イン
ストラクターの話だと、和田峠のホントの難所は、この先の
下り坂だそうです・・・





下り始めると、確かに、道は段差のある急傾斜の坂になり、
道幅が非常に狭く、足場が不安定です。

転げ落ちそうです・・・

峠頂上まではハイキング気分だったのですが、下りは、ツアー
参加者にも緊張感が走ります・・・

更に下ると、周辺は笹が非常に多くなり、草むらを掻き分け
ながら歩きます。
旅行社のパンフレットの必携品に「軍手」とあった意味が
分かりました!!
軍手が無いと笹を掻き分けるときに手が切れてしまいます・・

私は隊列に付いて行くだけなので、気楽なのですが、笹を
掻き分けながら、道無き道の先頭を進むインストラクター
は大変でしょうね。やはり、一人旅で無くて良かった・・・
更に、暗くて細い山道が続きます。



急な坂道を40分くらい下り続けると、ようやく前方が開け、
草むらに、写真の「西餅屋跡碑」がありました。

この辺りには、茶屋本陣など4軒の茶屋があったそうで、
東餅屋と同様に繁盛していたそうです。
西餅屋跡碑から、更に下り始めると、すぐに写真の「西餅屋の
一里塚」がありました。

一里塚跡碑を過ぎると、山道は極端な悪路と化し、身の危険を
感じる様になります・・・

林の中の道の痕跡らしきところを歩いてゆきます・・・
この辺りの山道は、地震や雨の影響でしょうか、山道が崩れて
しまった所もあります・・・

足場が急傾斜の崩れた岩道で、足をつくのがやっとの10
センチくらいの非常に狭い道幅で、足元は石がゴロゴロして
いて非常に危険です!!

山道の左側は、何と!、 断崖絶壁の崖です!!

崖下はかなり深く、足元の遥か下には急流が・・・
その崩れた石ころだらけの道をゆっくりと進みます・・・
怖いよ~!!
ps.帰宅してから「誰でも歩ける中山道五十九次」を読んだ
ら、上記の崖沿いの道について、”このルートは、崖崩れで
崩壊しており、通行不能。筆者もトライしてみたが、残って
いる旧道部分は僅か10センチほどで、崖下はかなり深く危険
なので、途中で引き返した。”と記載されていました。
やっぱりね。一人旅だったら遭難してたかも・・・
誰でも歩ける中山道六十九次 (上巻)
日殿言成
文芸社




張りつめた気持ちで、急傾斜の崩れた危険な岩道を歩き終わる
と、倒木で遮断された山道が続き、そこを抜けると、そのまま
国道へ出ました。


国道の下り坂を延々と歩いてゆきます。

国道から、左側に分かれる細い道に入り、更に下りると「浪人
塚」の公園があり、ここにバスが迎えに来てくれていました。

迎えのバスで、下諏訪温泉の豪華な「RAIKO華乃井ホテル」
へ行き、美味しい夕食を食べ、温泉に入って、一日の疲れ
を癒しました。

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コメント一覧

更家
諏訪 一大事!
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
へ~っ!そうなんですか!
甲斐の武田が、諏訪家の領地に侵攻した時に「すわ(諏訪) 一大事!」という言葉が生まれたんですか!
知りませんでした!
驚き!
iina
すわ 一大事
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/50da6292b793289d59b0a23c703aad5e
峠は、小説の舞台に好い効果を与えているようです。峠や一里塚が歩く目安になったでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/ee02f2574e9134188b7caaa3747dbdab

「すわ 一大事」は、もしかして「諏訪、一大事」かと思いました。  念のためにweb検索したら、左様でした。(^^ゞ 
「いざ鎌倉」のようなフレーズに、 ・・・ ホントかな?
http://ameblo.jp/makihirona/entry-11371029486.html

長文でした。

更家
始めまして!
旧中山道のブログ、楽しく拝見させて頂きました。
「お気に入り」に登録しましたので、これから先の中山道一人歩きの際の参考にさせて頂きます。

中山道以外の街道一人歩きも先輩の様ですので、これからも宜しくお願いします。
hide-san
和田峠
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
始めまして!
中山道を8年かけて歩きました。
和田峠には’08年6月に歩きました。
下りの22kmを予想して、和田宿に一泊。
元庄屋の本亭旅館に泊りましたが、
いにしえを思い出しながら、楽しい一泊でしたよ。
その経験をどうぞご覧ください。
http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2008/07/post_c5b4.html
hide-sanより
更家
見どころが沢山
スマホでブログを見て頂いているんですか?
ありがとうございます。

日本橋から新橋まで歩いたんですね。
東海道歩きは、新橋から、田町、品川へと、見どころが沢山ありますよ!

「東海道五十三次を歩く(完全踏破の一人旅)」
http://www.minedayo.com/
に、この辺りの見どころを細かくご紹介していますので、
このブログ以外にも、上記のホームページにも是非お立ち寄り下さい。
はるみん
お久しぶりです
久々にパソコンを開きましたのでコメントさせていただきます。スマホでブログは拝見しているのですが、、、、
更家さんの健脚ぶりにはいつも驚かされています。
先日、日本橋と京橋に用事があったので、
「東海道を歩く」をスタートさせ、新橋まで歩いてみました!!!続きはあるのでしょうか???
更家
江戸時代はこんなに荒れてなかった
へ~、「四国88カ所巡り」でも同じ様な場所があるんですね。

和田峠は、想像以上に一人旅には厳しかったです。

多分、江戸時代には、こんなに荒れた山道では無かったんじゃないか、と思います。

地震などで山道が崩れてしまった後に、復旧されないままになっているんじゃないでしょうかね。

ツアー参加の方々は、皆健脚で、インストラクターのもと団結力が強いので、これから先、中山道を歩き通されると思いますよ。
船橋原人
最大の難関突破
「和田峠」は無事に越えられたようですね。
写真で拝見すると、本当に険しい山道を歩くので驚きました。
昔の人はあの道を歩いて往来したのですから感心です。
「四国88カ所巡り」でも同じ様な場所がありましたよ。

この先はマイペースで歩いて、全道完歩を達成して下さい。

また、一緒にツアーに参加されている方々も中山道を歩き通している方が多いことでしょう。
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